書名 | 本覚思想批判 |
著者名 | 袴谷憲昭 |
出版社・出版年 | 大蔵出版・1989年 |
内容・目次 | はしがき 序論:本覚思想批判の意義 第一部 1.空性理解の問題点 2.「大乗起信論」に関する批判的覚書 3.縁起と真如 4.宣長の仏教批判雑考 5.差別事象を生み出した思想的背景に関する私見 6.宣長の両部神道批判―思想と言語の問題に関連して― 7.四依思想批判 8.仏教と神祇―反日本的考察― 9.「維摩経」批判 10.「宝性論」における信の構造批判 11.場所(topos)としての真如―「場所の哲学」批判― 第二部 12.道元理解の決定的視点 13.「弁道話」の読み方 14.十二巻本「正法眼蔵」撰述説再考 15.三教一致批判小考 16.道元に対する「全一の仏法」的理解の批判 17.教外別伝と教禅一致―禅の融合主義批判― 18.道元の否定したもの 19.七十五巻本「発無上心」と十二巻本「発菩提心」 あとがき |
解説 | 曹洞宗の僧侶であり駒澤大学仏教学部教授である著者が、現在の曹洞宗教学を含めた 全ての仏教教学は本来の仏教(=釈迦の教え)を理解していないし、それを歪めているこ とを論証し、論じた仏教哲学の書。 著者は、現在の仏教教学は本覚思想に犯されている。本覚思想とは著者によれば「全 てがたった一つの根源的な覚り(=本覚)に包含されており、その根源的な悟りは言葉に よっては表現できないとする考え方」である。したがってこの考え方は言葉によって論証も できないのだから批判的な思考も疑問も排除し、全てが「真理」として権威主義的におしつ けられるものとなる。 しかし著者によれば釈迦の覚りとは「このような根源的な覚りを否定」し、物事は時間の 移り変わりと因果関係によって成り立っているとする理解であり、これが「縁起」という考え 方である。つまりはものごとをそのまま容認するのではなく、その歴史的由来(成立・発展 ・衰退の過程)と原因とを見極める事で認識する事で、現状を批判的に理解し、それを変 革することを可能とする考え方が、仏教であるというのが著者の理解である。 釈迦が覚りを開いたとする言説は間違いで、むしろ「ものごとの因果関係=縁起を覚っ た」というのが正しく、「律蔵」「大品」編や「法華経」「方便品」がこのことを正しく伝えた仏典 であることを著者は論証している。 |