書名 | 古代は輝いていたV―法隆寺の中の九州王朝― |
著者名 | 古田武彦 |
出版社名・出版年 | 朝日新聞社・1985年 |
内容・目次 | はじめに 第1部 律令と年号を持った九州王朝 第1章:継体と筑紫の君 ・いつわりの反乱 ・記紀の常套手段 ・北朝の立場に立つ「書紀」 ・「書紀」の歴史作りと津田史学 ・磐井の勢力圏 ・継体のクーデター ・ささやかな戦果 ・沈黙の史実 第2章:任那日本府 ・朝鮮半島南辺の倭地 ・任那の滅亡 ・「みまな」という地名 ・「倶に崩薨」の謎 第3章:律令体制の国家 ・中国の律令史 ・日本列島の律令史 ・朝鮮半島の律令 ・古律令の痕跡 ・漢語を用いた成文法 ・磐井の意図 ・磐井と継体の間 ・「裁判の場」の石造物 第4章:九州年号 ・磐井と年号 ・年号は実在した ・新羅年号と倭国年号 ・聖武詔報の中の九州年号 ・禁止された年号 ・実用の痕跡 ・飛鳥の九州年号 ・年号の創始 ・「九州年号」論争 第5章:二つの「風土記」 ・県と郡 ・「一書」の先例 ・「日本旧記」と「日本世記」 ・九州王朝の行政単位 ・国県制の成立 ・国県制の論争史 ・「県風土記」のすべて ・「県風土記の3種類 ・四方の志 ・県「風土記」の成立はいつか ・中国の制度史 第6章:筑紫舞と「礼記」 ・「礼記」 ・「続日本紀」の証言 ・伝承された筑紫舞 第2部 仏教渡来の複数ルート 第1章:九州王朝と仏教 ・3世紀の洛陽 ・高句麗仏教 ・朝鮮半島の倭軍と仏教 ・九州王朝への公伝 第2章:古墳期の仏像と仏像鏡 ・丸隈山古墳の小仏像 ・仏像鏡 ・画文帯仏像鏡 ・扶桑国 ・「梁書」 ・東夷伝序文と二つの問題 ・仏教伝来多元説 第3部 6、7世紀の東アジアと日本列島 第1章:空白の世紀 ・倭国史書の欠如 ・彗星歌 ・二つの滅亡 第2章:出現した出雲の金石文 ・額田部臣 ・「臣」の不審 ・「姓」の多元史観 ・出雲王朝の ・天皇家の姓 ・六角連続文 ・岡田山1号墳 第3章:隋朝の南北統一とたい(人偏に妥)国 ・南朝の滅亡 ・隋朝への遣使 ・歴代の倭王朝 ・たい(人偏に妥)国伝の証言 ・「多利思北孤」の意義 ・「隋書」の実例 ・兄弟統治 ・天子と年号 ・たい(人偏に妥)国の律令 ・たい(人偏に妥)国伝の地理 ・秦王国と不定性 ・竹斯国基点 ・流求国 ・国交断絶 ・正確な国家関係 ・六角連続文の分布 第4章:推古朝の対唐外交 ・裴世清の帰国 ・「隋書」と「日本書紀」 ・「朝貢」の有無 ・推古朝の遣唐使 ・12年のずれ ・「隋書」への認識 ・元興寺の丈六光銘 ・裴世清の称号 ・「宝命」とは ・唐の高祖の使用語 第4部 法隆寺の中の二つの金石文 第1章:釈迦三尊の光背銘 ・一九六字の銘文 ・上宮法皇 ・聖徳太子か ・法興元三十一年 ・登場しない推古天皇 ・上宮法皇の正体 ・止利仏師の謎 ・焼失した本尊 ・諸資料の中の上宮法皇 ・研究史の回顧 第2章:薬師仏の光背銘 ・薬師仏造像記 ・用明天皇と大王天皇 ・崇峻の空白 ・「推古仏」と「天平仏」か ・福山説の問題 ・東西の金石文 第5部 白村江の戦いと九州王朝の滅亡 第1章:「旧唐書」の証言 ・東夷の五国 ・「旧唐書」倭国伝 ・白江の戦い ・倭国の正体 ・朝貢外交と対等外交 ・「旧唐書」日本伝 ・「日本国」の登場 第2章:「日本書紀」の側から ・天智紀にみる敗戦記事 ・筑紫君の捕囚 ・敗戦後の叙勲 第3章:「万葉集」の謎 ・歌人の分布 ・麻統王・軍王とはだれか ・「大王」の探究 ・「東国万葉集」 ・出雲人の作歌 ・「倭国万葉集」 ・「万葉集」の多元史観 第6部 権力の交替と郡評制度 第1章:那須国造碑をめぐって ・韋提の賜った称号 ・旧称の授与者 ・石碑建立時の日本列島 第2章:評制の終結 ・郡評論争 ・新たなる謎「評から郡へ」 ・隠蔽された評制 ・律令制の新視点 あとがきにかえて |
解説 | 古田武彦氏が「邪馬台国はなかった」以来中国や日本の史料を史料に忠実に読む事によって主張してきた 「倭国中心=北九州」説の集大成のシリーズの最終巻。ここでは@律令制を最初に取り入れたのは九州王朝 であったことA隋に「日出る国の天子」と名乗って国書を送ったのは九州王朝の主であったことB法隆寺の釈迦三尊 の光背銘の上宮法皇は聖徳太子ではなく九州王朝の王「天の多利思北孤」であり、聖徳太子の事跡は全て多利思北孤 の事跡を盗用したものC白村江の戦いで唐に敗れたのは九州王朝でありその王は日本書紀の「筑紫の君」である事 D九州王朝の最終的な滅亡は701年であることなどを史料をもとに論証している。 日本古代史を根本的に書き換えた書であり、日本国家成立の謎をも明らかにしている。 |
値段 | 1600円 |