齋藤修一郎の比較文明論−歴史叙述方法の違いから見た日・中・欧
川瀬健一
齋藤修一郎(1855−1910)が、1873(明治6)年12月頃、開成学校法科予科3年在学 時17歳のときに書いた英作文の一つを紹介する。これは、ラトガース大学のアレキサ ンダー図書館が所蔵するグリフィス・コレクション中の生徒作文319編の中の一つ で、「HISTORICAL STYLES」という分野に分類された9編の作文の最後のもの。9編の作文を書いた生徒 は齋藤も含めて全員法科予科3年の生徒で、おそらく直前に「開化史」の講義を修了 した法科生に対してグリフィスが、日・中・欧の歴史書の比較を英作文の課題に出し たことへの回答か。この作文の中で齋藤は、日本や中国の歴史書のように事実を大事 にせずに王侯の事跡だけを注目する歴史書よりも、国や国民の習慣をより高い文明の 段階に引き上げる出来事に注目して事実に即して記述する西洋の歴史書の方が優れて いるとし、この違いの裏にはアジアと西洋の文明・政治制度の差、すなわち帝王によ る専制政治と国民主権の議会制政治の差があると断定している。この点は昨年紹介し た自伝で齋藤が、西洋文明を目指し議会制の国民国家を建設すべきとしていることに つながる。齋藤が比較に使用した歴史書は、『十八史略』『元明史略』『皇朝史略』 『日本外史』とギゾーの『ヨーロッパ文明史』か。注目すべきは齋藤がこの作文で 「日本は中国とは異なり忠義の国である」と断じている個所で、『文明論之概略』の 著者福澤諭吉とは異なり、齋藤がこの時点で忠君愛国を国民統合の理念と考えていた ことを示しており、後に彼が米国で『いろは文庫』を英訳し、日本を忠義の国と紹介 したことにつながるのではないか。 (2012年7月7日 日本英学史学会本部例会発表の概要)