<つるばみの衣>B 聖徳太子のなやみ
教師:さて今日は、律令国家のできるまでを見てみよう。・・・・・その前に復習として、ノートの最初の問題をやってごらん。
○ノートの問題 大化の改新の目的は:【 】中心の国をつくり日本全国から【 】と【 】とを集めやすくする事 |
教師:さていいかな。大化の改新の目的。何中心の国をつくるの?。
生徒:「天皇!!!」
教師:そうだね。天皇。では、日本全国から何と何とを集めやすくするの?。
生徒:「税と兵士!!!!!!」
教師:そうだね。税と兵士。これが大化の改新の目的であり、律令国家に日本を変えることが目的だったわけだ。では今日は、その律令国家がどの
ようにして出来たかを見ていこう。年表にしたので読んでみてください。(資料B律令国家ができるまでを配る)
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教師:そうそう・・・・一つ大事な事を入れ忘れていたよ。・・・・622年。聖徳太子死す。と入れておいてください。・・・・・じゃあ順を追って見ていく
よ。645年に天皇中心の国づくりをはじめて、663年に唐と戦争して負け、668年にやっと中大兄皇子が天皇になり、さらに天皇中心の国造り
を進めようとしたけど途中で死んでしまい、彼の死後国づくりをめぐる争い、つまり天皇中心の国にするかどうかをめぐる争いがおき、その後よ
うやくにして完成したのが701年。大宝律令ができたときだ。
生徒:「大宝律令ってなんですか?。」
教師:大宝というのは平成というのと同じで年号なんだ。つまり大宝と言う年号のときに出来た律令ということ。
生徒:「律令って何ですか?。」
教師:律っていうのはね、刑罰なんだ。つまり国の決まりを守らないものに対してどんな刑罰をあたえるかを定めた法律なんだ。そして令というのは、
その国のありかたを決めた法律なんだね。どちらも中国の言葉で、中国の隋・唐の国で天子中心の国を作ったときの法律なんで日本でもまね
をしたんだね。・・・・・ところでこの年表を見て何か気がついたことはないかな?。・・・・・・・・はい。○○くん。
生徒:「はい。天皇中心の国を作るということがとても長い年月がかかっています。」
教師:なるほどそうだね。大化の改新から大宝律令の完成まで何年?。
生徒:「・・・・・・46年!!」
教師:そうだね。46年。・・・・・・・・・・・・他にはないかな。・・・・・・・・はい、□□さん。
生徒:「はい。天皇中心の国づくりを進めようとした人が途中で死んでいます。」
教師:誰の事を指していっているの?。
生徒:「はい。中大兄皇子です。天皇中心の国ができないうちに671年に死んでいます。」
教師:なるほど。そうだね。途中で死んでいる。・・・・・・・・・他にもあるかな?。・・・・・・・・・はい。△△くん。
生徒:「はい。何回も天皇中心の国にするということが行われています。」
教師:なるほどそうだね。・・・・・・・・・で、その一番最初はいつかな?。
生徒:「603年。聖徳太子が冠位12階を定めたときです」
生徒:「天皇中心の国にするって言うのは大化の改新が最初じゃあないんだ。」
教師:そうだね。その後646年に大化の改新の翌年。それから670年。2年前に天智天皇が即位してから全国的に戸籍をつくって・・・・・。
生徒:「戸籍って何ですか?。」
教師:ほら、君たちにだってあるでしょ。戸籍。たとえば中学を卒業して高校や会社に行くとき持って行く書類・・・・。
生徒:「あっつ、履歴書?。」
教師:いやいや、あれは違う。だいいち高校に行くときには履歴書はいらない。・・・履歴書は今まで何をしてきたかと言う事が書いてあるんだ。・・・・
ほら、いるでしょ。戸籍の写しが。
生徒:「その写しに何が書いてあるの?。」
教師:君たちの名前と、そして君の御父さんや御母さんの名前それから住所や生年月日。それから君の家族なんかも書いてある。
生徒:「そんなものを作る事と天皇中心の国にする事と何の関係があるの?。」
教師:全国のどの村になんと言う人が住んでいて、その人は何歳で何人家族がいて・・・・・という具合に全国の全ての人をもらざず記録するんだ。
生徒:「何のために?。」
教師:何のためだと思う?。
生徒:「・・・・・・・・・あっつ、税をとるためだ!!!!」
生徒:「それから兵士を集めるため!!!!」
教師:そういうことだよ。天皇が全国を治めると言う事は全国の土地と人を知っていなければできないからね。・・・・・そうやって670年に全国的に
戸籍をつくり、いよいよ天皇中心の国をつくろうとした・・・・・・。
生徒:「なのに完成しないうちに死んでしまったんだね。」
生徒:「はい。先生!!」
教師:はい。○○さん。何ですか?。
生徒:「はい。天皇中心の国をつくろうとして途中で死んだのは中大兄皇子だけではありません。」
生徒:「他に誰がいるんだ!!」
生徒:「聖徳太子がいるでしょ。聖徳太子は603年に天皇中心の国づくりをはじめて622年に死んでいます。天皇中心の国になったのは701年で
すから、聖徳太子は途中で死んでいるわけです。」
生徒:「あっつ、そうか!!」
教師:そういうことだ。何度もやろうとしてやろうとしている人は途中で死んでいる。・・・・・・大化の改新からでも天皇中心の国にするのに46年。でも
聖徳太子からだとすれば・・・・・・・・
生徒:「98年!!!」
生徒:「すげー長い!!!」
教師:そこで問題です。・・・なぜ律令国家、天皇中心の国家に変えるのにどうして長い年月がかかってしまったんだろうか。・・・・自分の考えをノート
に書いてみてください。
(各自自分の考えをノートに書く)
教師:だいたい書いたかな。・・・・・では、班の座席にして討論して意見をまとめてみよう。
(各班での討論)
教師:では、いいかな。・・発表してください。・・・・・・・はい、1班。
生徒:「はい。うちの班では、変える事に反対の人たちが多かったので、なかなか天皇中心の国に変えられなかったのだと思います。」
教師:なるほど。・・・一つ質問して良いかな?。・・・反対する人って誰かな?。
生徒:「はい。豪族です。自分の私有地がなくなってしまい、王様ではなくなるからです。」
教師:なるほど。そう言う理由で豪族が反対するのね。・・・・・・他に、はい、4班。
生徒:「1班と似ているんですが、豪族たちが反対してもめて、殺し合いが起きてしまったのだと思います。645年に蘇我氏が滅ばされたのもそう言う
事だと思います。」
教師:なるほど。反対する人々との殺しあいね・・・・・・。はい。○○さんなんですか?。
生徒:「はい。殺しあいは他にもあります。672年の壬申の乱というのも国づくりをめぐる争いということだから、天皇中心の国にするかどうかの殺し
合いだと思います。」
教師:なるほど。何回も殺し合いがあったということですね。・・・・では他に・・・・・・はい、2班お願いします。
生徒:「はい。ちょっと違うんですけど、外国との戦争に忙しくて、自分の国のことを考えているひまがなかったという意見が出ました。」
教師:ほう、どういうことかな?。
生徒:「はい。663年に白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れるとありますが、そのあとも671年にその時の捕虜が帰ってきて、唐が日本に攻めて
くると知らせたとあるので、まだ外国との戦争は続いていて、日本の事を考えられなかったのだと思います。」
教師:なるほど。外国との関係ね。・・・・・・はい。□□さん。なんですか?。
生徒:「今の2班の意見についてなんですが、唐はその後日本に攻めてきたんですか?。」
教師:あっつ、良い質問だね。・・・・それは幸いなかったんですよ。676年に新羅が朝鮮を統一とありますね。そこで朝鮮を支配しようとする新羅と唐
とが戦って結局新羅が勝ち、唐が勢力を広げる事はできず、日本にも攻めてはこなかったんです。
生徒:「あっつ、そうなの。・・・・よかったね。」
教師:そう。良かったね。・・・・・・・じゃ、天皇中心の国にするのに時間がかかったことについて他の意見があるかな?。・・・はい、5班。
生徒:「はい。さっきの1班に似ているんですが、豪族や農民たちが反対したんで天皇中心にはできなかったとおもいます。」
教師:ほう。農民もね。・・・・・で、この人たちが反対する理由は?。
生徒:「はい。豪族は土地を取られて力が弱ってしまうので反対で、農民は日本が統一されることで前より税が重くなったりして大変だから反対した
んじゃあないかと思いました。」
教師:なるほど。統一されるとかえって税が重くなるんじゃあないかと・・・・。面白い意見だね。・・3班や6班はどうですか?。
生徒:「はい。6班は、まとまらなかったのですが、1班と同じで豪族が反対したと言う意見と農民が反対したと言う意見が出ましたけど、意見が一致
しませんでした。」
教師:どう一致しなかったの?。
生徒:「はい。豪族が反対というのはみんな賛成なんですが、農民は戦争がなくなったりして前より良くなるから賛成という意見があって、それでまと
まりませんでした。」
教師:なるほど。農民が反対と言うところは意見が割れたんですね・・・・・。じゃあみんなに聞いてみようか。豪族が反対したと思う人!」
(ほとんど全員が手をあげる)
教師:では農民が反対したと思う人!(これは半分弱)・・・・・農民は賛成だと思う人!・・(これも半分弱はいる)理由は何にかな?。
生徒:「やはり、6班と同じで、豪族同士の戦争が少なくなるから農民にとっては良いので、賛成だと思います。」
教師:なるほど。日本が統一されれば戦争が少なくなるということね。・・・・・あと3班は?。
生徒:「はい。3班はさっき出た意見だけど、何回も賛成反対で殺し合いが続いてまとまらなかったんだと思います。」
教師:はい、ありがとう。・・・・・・・今の意見をまとめてみようね。
○板書事項―天皇中心の国に変えるのに長い年月がかかった理由は? @豪族が反対したから―私有地をとられ王ではなくなるから― A豪族たちのあいだで賛成反対の殺し合いが続き変えるどころではなかったから。 B農民たちが反対したから―税が重くなる― C外国との戦争が続き、日本の事を考えているひまがなかったから。 |
教師:農民が反対と言うのは、律令国家になって前よりも税が重くなったかどうかを調べればわかるね。・・・・これはあとでどこかの時間で調べてみ
よう。・・・それから外国との戦争が続きと言う意見は白村江の敗戦以後、戸籍が作られたり、新羅が朝鮮を統一して唐との戦争の危険がなくな
ったあとで律令が作られているから、そうである可能性が強いね。・・・それから、豪族が反対し殺し合いが続いたというのは643年の聖徳太子
の子が蘇我氏に殺されるとか645年のその蘇我氏が滅ぼされる。そして672年の改革を進めてきた天智天皇の死後の壬申の乱とあるから、
これも可能性大だね。
生徒:「だから聖徳太子が悩んだんだ。」
教師:何を悩んだの?。
生徒:「天皇中心の国にしようとしても豪族などの反対があってできなくて悩んだの。」
教師:なるほど、そうだね・・・・・・・・こうやって見ると反対が強かったり外国との戦争続きで国のしくみを変えられなかった可能性があります。・・・・
ただ、ではそのまま天皇中心の国にならなかったかというと・・・・・?。
生徒:「なった!!!」
教師:そう。なったね。701年に大宝律令ができて律令国家、つまり天皇中心の国家はできているわけだ。・・・・・・・そこで、最後の問題。・・いろいろ
反対やらなんやらあっても、最終的には天皇中心でまとまったのはなぜだろう。・・・・・・さあ、ノーヒント。じゃ自分の意見を書いてみて?。
(各自ノートに意見を書く)
教師:じゃあ、意見を出してもらおう。・・・・△△くん。
生徒:「ぼくは、反対した豪族たちの多くが白村江の戦いで死んでしまったので、そのあとは天皇中心でまとまったのだと思います。」
教師:なるほど・・・・・・・。はい、□□さん。
生徒:「はい。私は、天皇が粘り強く反対する豪族たちを説得してまとめたのだと思います。」
教師:なるほど・・・・・・・説得ね・・・・・・。はい、○○くん。
生徒:「ぼくは、天皇が反対する豪族を力で倒したんだと思います。」
生徒:「じゃあ、なんでもっと早く反対するやつを倒さなかったのだよ!」
生徒:「やっぱり、天皇が力がないからじゃない。力で倒したんではなく、唐との戦争の危険がなくなったあと説得したんだと思います。」
生徒:「はい。違う意見があります!!」
教師:はい。□□くん。どうぞ。
生徒:「僕は天皇が力がないから反対する豪族たちに贈り物をして釣ったんだと思います。」
教師:何を贈ったのかな?。
生徒:「それはお金とか土地とかそういうもので、わいろみたいなものです。」(賛成!!という意見があちこちからでる)
教師:なるほど・・・・・・・。他に意見があるかな?。・・・・・・ないようなので今出た意見から一つ選んで御覧なさい。・・・・・・・じゃあ聞くよ。
反対した豪族が外国との戦争で死んだからに賛成の人!!(これは少ない)
では、天皇が粘り強く反対する豪族を説得したと思う人!!(これは女子を中心にさっきより多い)
では、天皇が反対する豪族を力で倒したと思う人!!!(これはほんのわずか)
では反対する豪族たちにわいろを贈って賛成に変えたと思う人!!!(これはかなり多い!!!。「やっぱ金だよ」という声もあり)
生徒:「先生!!!。正解はどれなの?。」
教師:うーん。どれかね。いろんな意見があるんだ。学者たちの間にもね。例えば、天皇中心の国でまとまったのは唐という強大な国と戦う必要がで
てきて今のままでは負けるから、唐みたいな国のしくみをまねて、天皇中心の国にしたという意見もある。
生徒:「ふーん。でもそれじゃあ唐との戦いの危険がなくなってからどんどん改革がすすんだのとあわないね。」
教師:なるほどそうだね・・・・・・・・。この問題はもう少し深めて見ましょう。・・・次は律令国家のなかみを詳しく調べて考えてみたいと思います。では今
日はこれでおしまい。