★Kさんへの手紙6:目の前しか見ない危うさ-耐震偽造問題について★
2007年1月11日
今年も年頭から、いろんな事件が相次いでいますね。正月の内から世間はなにやらざわついていて、今年も激動の年になりそう。
この中でひっそりと報じられた事件。
昨年の暮れに例の耐震偽造問題についての一審判決が出たのですが、姉歯被告が控訴したという記事が、夕刊の片隅に載っていました。理由は、国会での偽証を理由に実刑判決が出たのですが、証人喚問での証言で「木村建設の東京支店長から強要されて構造計算書を偽造した」と発言したのは、別に耐震偽造の責任を他人に転嫁しようとしたわけではない。偽造を始めた時期を間違えて証言したにすぎないということで、実刑判決は承服できず、この件については執行猶予をお願いしたいということでした(耐震偽造そのものについては罰金刑となっています)。
この控訴の記事を見て、少し不審な点がありました。
それは、一つは、なぜこの事件では、構造計算書を偽造した建築士だけの責任が問われ、関係者、とりわけ建築の専門家であるから偽造を見ぬけなかったはずはない人々(建設会社の責任者や建築士、そして「経済設計」の名の下に鉄筋の量を減らした設計を提唱していた研究所の関係者など)の責任がなぜ裁かれないのかということ。そしてもう一つは、国会証言の段階では、建設会社に強要されて偽造を始めていたと証言した姉歯建築士がなぜ、警察での取調べの過程で証言を翻し、自分個人の責任だと自白したのかということ。彼が自分個人の責任において、膨らんでいる借金や生活費を稼ぐために構造計算書を偽造したのなら、当然国会での証人発言は、事態の捜査を混乱させ、責任を他になすりつけたものと弾劾され実刑判決がでることは当然と言えましょう。それに対して「執行猶予」と主張するのはなぜなのでしょうか。
どうも、胡散臭いものを感じるのです。
直接根拠を示せないのですが、姉歯建築士が証言を途中で翻し、結局は建設会社などの責任が問われないのは、建設会社などの関係者が姉歯氏に対して「あなた一人の責任でやったことにしてくれれば、罰金刑で済んで実刑はくらわない。罰金や保釈金などはこちらで負担する」と持ちかけたからではないだろうかと思うのです。
こう思うのには幾つか根拠があります。
一つは構造計算書の偽造を始めた理由は、姉歯氏としては、彼が自供しているような個人的な経済的な理由だったのでしょう。しかし彼のいいかげんな計算書を、建築の専門家が見破れないはずはありません。現に事件が明るみになったときの報道では、実際に鉄筋を組んで建物を建てる技術者たちは、「こんなに鉄筋が少なくてこの建物は大丈夫なのか」という不安があったと証言しているものもいたし、姉歯氏に最初の建物の設計は依頼したが、出来た建物を見てとても不安に思ったので、2件目からは他の建設会社に発注したというホテルチェーンの経営者の証言もなされていました。ちょっと見る目のある専門家が見れば、姉歯氏が設計した建物は、建物の大きさや高さからすると下の階の柱が細すぎるし、壁も薄すぎるのだそうです。構造計算書を偽造しろとは指示しなかったかもしれませんが、どう見てもおかしいことぐらいは建設会社やこれと一体になっていた設計事務所の専門家は見ぬいていたと思います。またこの事件が明かになる1年以上も前に、不安になった注文主が他の建築士に構造計算のやり直しを依頼して、姉歯氏のものが数字が偽造されていることを見つけ、その結果をその建築士が、建設会社と設計事務所に対して姉歯氏立会いの下で指摘していることは、当時も報道されていました。
どう考えても、関係の専門家たちは、事件が明るみになるずっと前に、構造計算書が偽造されていたことは知っていたと思います。
そしてマンションの安売り競争が激化している当時としては、設計者に対してどんどん単価を安くしろということは圧力として当然かけられており、その過程で、法令ぎりぎりの線で、鉄筋の強度をぎりぎりまで下げろという指示がされていたことは確かだと思います。国会の証人喚問で、木村建設の東京支店長は、そのような発言をしています。ただ「法令違反の偽造をしろ」とまでは言っていないと繰り返していましたから。
しかしこれは当然証拠はないでしょう。問題になったときに数字を偽造しろと指示した文書があった場合には、建設会社が当然責任を問われます。口頭での指示だけなら、「そこまでは言っていない」で、建築士が強硬にこれに反対して指示されたことを証言し続けたり証拠を開示しないかぎり、建築会社や設計事務所の責任を問うことはできません。だから警察も状況証拠しかないし、とうの姉歯氏が証言を翻してしまったのだから、建設会社や設計事務所の責任を法的に問うことはできないのだと思います。
そして姉歯氏はなぜ拘置所に収監されてから8ヶ月も保釈されなかったのでしょう。たった500万円の保釈金が払えなかったと報道されていますが。
たしかに一文なしの彼にはすぐには払えなかったでしょう。知人からかき集めるのに時間がかかったと一般には理解されます。しかしなぜ裁判が始まる直前になって保釈金が払われ彼は保釈されたのでしょうか。そして一審の審議では彼は検察側の主張を完全に受け入れ、自身の責任で偽造を行い、証言も嘘をついたことを「素直に」認めました。
なのになぜ判決に不服なのでしょうか。
こういう疑問から、彼の自白は作られたものではないのかという疑惑を抱いたわけです。
この耐震偽造の背景には、今の経済活動が、目先の利益をあげることだけに汲々として、その経済活動の社会的責任と言う事を放棄しているという問題があります。
このことは事件の発覚以来、さまざまな人々が発言し、指摘したことです。そして偽造されることを前提にして厳しいチェックをするのではなく、偽造はないとの前提で、すばやく建築確認がなされてどんどん建物ができるように、従来は公的機関しか構造計算書のチェックが出来なかったのを民間企業ができるように法令を改正した政府の責任も追及されました。
しかしこの中で一つだけ指摘されなかった問題があります。
それは、鉄筋コンクリートのビルを破壊するほどの巨大地震はいつ起こるかわからないという問題です。
これがこの事件の背景にある、根本的な問題ではなかったかと思うのです。
たしかに「巨大地震はいつ襲ってくるかわからない。だからちゃんと備えておかないといけない」と、政府も気象庁も、地震予知協議会の学者たちもマスメディアも声を揃えて言います。しかし、ではそれはいつなのかと尋ねると、その答えは曖昧。東海地震などは、30年も前から「来る、来る」と言われ続けているけど今だその前兆すらない。そして直下型地震もいつ来るかわからないと言われ、しかもこれは周期性があるのかないのかもわからないし、原因となる活断層は無数にあって、活動周期を地面を掘って調べるには、資材も資金も時間もないとまで言われています。
要するに巨大地震がいつくるかということは、確定的にはわからないのです(でも予知できるという説もあります。地殻の中を流れる電流を測定すれば巨大地震は予知できると。ギリシアではこの方法でいくつかの巨大地震を予知した学者たちがおり、その結果、ギリシア政府の地震予知関係の役所の係官が総入れ替えになったそうです。この方法は日本でも金沢大学など一部の研究機関が試しています。しかし東京は地上も地下も雑音や様々な電磁波が多いため、地下1000m規模の穴を掘らないと測定できないのだそうです。そして東京大学ではまだこの研究をしていません。他にもいろいろな研究がなされていますが、どうも学閥に分かれていて、学際的な総合的な研究は進んでいないように見えます。おかしなことです。当然来る危機に備えようとしないのですから)。。
わからないとなれば、よほどの用心深い人しか備えようとはしません。しかも長い間巨大地震の恐ろしさが科学者たちから警告されていても、政府を始めとして公共機関は、その具体的な対策をとろうとはしてきていません。いまだに大人数が集まる公共的な建物の半分以上が巨大地震に耐えられない、古い基準で作られた建物ですし、多くの人が住む木造住宅については、その8割が巨大地震に耐えられないといわれながらも、その耐震補強や立て替えを進めるために、税制での優遇措置も取られていませんし、公的な資金補助も多くの地域では定められてすらいません(この背景には、利益優先の風潮とともに、地震の研究者たちが研究だけを優先して、その社会的役割、危機に備える社会体制を構築させるための具体的提言を学者が積極的に果たすと言う意識に欠けていたという問題もあります。これは、先にに三宅島噴火の問題で指摘した所ですが)。
こんな状況の中で、目先の利益だけを追いかけている人々が、地震に備えろというのは無理があります。
耐震偽造事件が明らかとなったとき、姉歯氏は「巨大地震が来てあなたが偽造した建物が破壊されて多くの人が死ぬ事を考えなかったのか」と質問されて、彼は、こう答えていました。「そこまでは考えていなかった」「巨大地震が来るのは何十年も先のことだから、その時にはこの建物は耐用年数が過ぎて立て替えられているだろうから、偽造はばれないと思った」と(そういえば、阪神・淡路大震災の被害を受けた建物の中に、明かに巨大地震に耐えられない構造になっていた建物がいくつもあり、耐震偽造や建築段階での手抜きが予想されていたが、この問題は深く追求されていなかったそうです)。
そしてまた、偽造がわかってから藤沢市のマンションを売った、マンション販売会社のヒューザーの小島社長もまた、偽造は知らない段階で売ったと強弁しながらも、「巨大地震が来るとしても先のことだ」とも発言していました。
そう。耐震偽造を行った姉歯建築士を始めとして、彼が設計した多くの建物が巨大地震に耐えられないことを知っていたり疑った人々が、この動きをしっかりと阻止するための社会的行動に出なかった根本の理由は、巨大地震が来るのはずっと先だという根拠のない認識だったということです。そしてこれは社会一般の理解でもあると思うのです。
たしかにこの事件の背景には、目先の利益だけを追い求めるという、現在の資本主義の悪しき姿があります。そしてそれを許してしまう、政府や業界団体の上意下達的構造や身分秩序も。しかし根本の所は、目の前に危機が見えないことは、「ずっとさきの話しだ」と対応を先延ばしする意識構造があったと思います。目に見えないものは存在しないのと同じという考え。もしくは目に見えないことにして見ないようにすれば、その存在はなくなったと観念する考え方。
どうもこの考え方が世の中に蔓延していると思います。
いじめ問題にしても虐待の問題にしてもそうです。人の心の中は見えませんからね。
そして見えないものは見ようとしない心性は、神を怖れない・敬わない心性と同じであり、神を信じない考えかたが、社会全体を覆った現在だからこそ、社会に跋扈する考え方になっているのでしょう。物のみを、物質的な豊さだけを信仰する精神、ただ物主義。あるいは拝金主義。これが現代人の精神の有りかたです。信仰を持たれるあなたには、たぶん、こういう問題は見えていると思います。怖れを失った人間が、欲望のままに暴走している姿として。
これはどのようにしてなくすことができるのでしょうか。これは信仰を回復することを通じてなのでしょうか。また、民族主義者たちが言っているような、民族主義的な、自民族をもっとも価値有るものとした観点からの社会的道徳・倫理の復興ということを通じてなのでしょうか。どちらでもないというのが、神の存在を信じない僕の考えではありますが。
もちろんこれは、宗教の役割の否定ではありません。神を信じる人たちに対して宗教の面から現代社会の問題点と今後のあり方を示す事は大事ですし、人は、さまざまな契機を通じて新たに神を発見します。この意味で宗教の力は大きいと思います。ただその信仰が唯我独尊になってはいけないと思っています。自分の信仰だけが正しく、自分たちは選ばれた民だという考えに陥ると、自分と異なる信仰(考え)を持つ人を排撃するだけになり、それこそ、このような偏狭な信仰は、さまざまに差別を温存したり人を支配する世の中を温存しようとする人々に利用され、宗教の名の下に、差別や殺戮が許されてしまいます。9日の毎日新聞夕刊で瀬戸内寂聴と学者の中島岳が対談していましたが、その中で中島が瀬戸内が以前にガンジーと同じことを言っていたとして、「富士山の頂上は一つでも登り口はたくさんあります。それが宗教なんです」という言葉を紹介していました。異なる他の存在を認めつつも、社会の真実の姿を見つめて、ありうべき姿を探ろうと言う意味で活動するならば、宗教・信仰がまだまだ大きな役割を果たせるとは考えます。要は、人々が現在の社会のありかた、人間のありかたの醜さおかしさを認識するために、ものの見方を提供することが、今はもっとも大事なことなのだと思います。
2007年1月11日
コアラ
Kさんへ