7.武蔵川の河辺にて


 僕の目の前を川が流れていく。聞こえるのは川の流れるかすかな音と、ときおり吹く風にざわめく、草々の葉のすれる音。目に入るのは川面のさ

ざ波にキラキラと反射する太陽のひかり。

 体育祭。あんなに楽しい体育祭は初めてだった。体育祭というと、いつも腹が痛くなって早く終われとだけ念じていた僕なのに。

 準備の二週間もまたたくまに過ぎ去ってしまい、終わって二週間たつ今でも、心地よい爽快感が身体の中に残っている。

 体育主任のクマジイのかわりに来た川波先生は、まるで何年も前からこの学校にいたかのような顔をして、体育祭の準備を取り仕切っていた。カ

ッパ大王がやると、体育祭の準備もぜんぜん雰囲気が違った。

 恒例の全学年男子による組み立て体操だって、いつもなら教師どもにどなられぶん殴られながら、いやいややっていたものだ。

 ところが今年は違った。最初の練習のときにカッパ大王はこう言った。

「この組み立て体操は、体育祭の一番の華だ。見せ場だ。もちろん主役は君たちだ。演技するのは君たちで、先生はどうしたら君たちが一番かっこ

よく見えるかって、演技のシナリオを考えるのが仕事だ。練習の時には、先生はああしろこうしろと指図はしない。シナリオを作った者として、注文を

出すだけだ。あとは君たちが、体操リーダーを中心にして、どうやったら僕の注文どおりの演技ができるのか考えてやってくれ。」

と。

 そしてこうも言った。

「昨日までの三日間で、各クラスの体操リーダーたちには演技のポイントを詳しく教えた。リーダーたちは、君たちの目で見ても充分かっこいい演技

ができるようになっている。練習時間は二時間を一コマにしているが、最初の一時間は君たちだけでクラス毎に練習してくれ。演技のどこまでを練習

してくれと指示するから、そこを自分たちでなっとくいくまで仕上げてほしい。クラスで練習する時は、二組みに分かれて、一方の練習を他方が見て

良い所悪い所を教えあっていくとよい。二時間目の練習は、全クラスで僕の前で演技を見せてもらう。課題を充分こなしていれば次の課題にいく。課

題が残っている時はクラス毎の練習のやり直しだ。ではしっかりやろう」

 こんなことできるのかな?と、最初は半信半疑だったが、回を重ねる毎にみんな乗ってきた。おまけにカッパ大王のつくったシナリオに文句つけ

て、もっと難しいのをやろうなんて言っていく三年生まで出てくるしまつ。そういう時カッパ大王は、すぐに全クラスのリーダーを集めて、その三年生の

提案について討論させ、リーダー達全員が挑戦しようときめると、僕たちに提案するんだ。

「リーダー達はやってみようと言っている。挑戦してみたい演技はこれだ。」

と言って三年生の一クラスを使って、模範演技をその場で教える。その時もけしてどなったりしない。根気よく静かに、自分もやって見せながら仕上

げていく。そして模範演技がある程度の形になると、こう提案する。

「さあ、演技はわかったと思う。ちょっと難しい。でも君たちならできる。各クラスで挑戦するかどうか、討論して決めてくれ。」

 こんなふうにして体育祭は作られた。

 

 当日はみんな燃えた。もちろん二年五組だって燃えた。僕も燃えた。というより、身体の底から熱くなった。

 僕は走るのが苦手だ。なのに全員が走る二百m走というのがあって、トラックを半周させられる。いつものようにスタートで出遅れ、最初のカーブに

かかった時にはすでに十m以上も引き離され、足ももつれて転びそうになりながら走っている時、僕の耳に僕の名を呼ぶ声がとびこんできた。

「翔。しっかり。負けるな翔。ビリでもいいぞ。最後まで全力で行け。」

 ゴジラの声だった。二つ目のカーブの角で、ゴジラを先頭にして五組の応援団が旗を振り乱して応援している。もちろんマークはカッパ大王。応援

旗をふっているのは麻美だ。

「カッパ。カッパ。いけいけカッパ。」

 これが五組の応援の掛け声だ。

 急に足に力が入って、しっかりと地面を捉えた。自分でも信じられないくらいの力で、地面をけっている。

 二つ目のカーブを曲がって、後は直線。だんだん僕のずっと前を走っていたやつの、背中が大きく見えてきた。

『よし、もう一息。よーし。いくぞ。』

 僕は自分で自分を励まし、てゴールへとびこんだ。

 結果はやっぱりビリ。

 でも嬉しかったな。決勝審判でビリの生徒をつれていくのは久美子の係だ。久美子のやつ、僕の腕をおもいっきりつかんでこう言った。

「翔。すごい追い込みよ。やればできるじゃん。あと二m早くスパートしてたら抜けたわよ。」

と。

 みんなで燃えたのは、クラス全員リレーだ。三十九人全員で、それぞれ百mずつ走ってリレーしていくんだ。一人一人がベストをつくすしかないゲー

ム。走り終わったやつも、これから走るやつも、みんな夢中。

「いいぞ○○。いけいけ○○。」 

なんて絶叫して、どのクラスも大騒ぎ。今年初めて入った競技だけど、早いも遅いもない。みんなの力の勝負で、こんなにクラスの気持ちが一つにな

った経験は初めてだった。

 体育祭の午後のプログラムの最初にやったのは、ブロック毎の応援合戦。全学年五クラスずつあるので、抽選で各自のブロックを組み、一年から

三年までの三クラスでブロックをつくって、三クラスの得点合計でブロック優勝をかけて闘う。

 応援合戦は、ブロックのみんなの気持ちをひとつにする場面だ。

 僕のブロックのマスコットは、五組のと同じカッパ大王。クラスみんなで三年生と一年生を説得して決めたんだ。応援の中に、高さ四mのカッパ大

王を登場させた。もちろん顔は僕だ。

「翔なら。そのまんまでカッパだからな」

のゴジラの一言で決まり。

「やだよ。高いヤグラの上に乗るんだろ。落ちたらやだ。」

と僕が言ったら、ゴジラのやつは、

「心配するな。おれがヤグラをかつぐ役をしてやるぞ。」

だってさ。

 その上、ゴジラの兄貴分にあたる三年生二人も、かつぐ役になってくれるという。三人とも一m八十五cmはあって、体重は約百kgもある。ふともも

の太さが、僕のウエストより太いっていう猛者ばかりなのだ。

 本番ではなんとこの三人は、僕を乗せた高さ二m以上で重さ九十kgのやぐらをかついで、カッパ踊りまでやってくれた。

観客は大爆笑。ヤグラの上で僕も笑った。


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