16.カバとタヌキが子供にかえった
今日は朝から、最高の天気だ。空はからっと晴れあがり、真っ青な空に、白いいわし雲の筋が幾筋もたなびいている。空はもう秋だ。
カッパ大王がどうやって説得したのかわからないが、土曜日の一日の授業を二年五組だけ組み換えて、武蔵川で半日すごす案は実現してしまっ
た。おまけに、タヌキやカバまで、武蔵川についてきてしまった。
あっ、そうそう。タヌキってのは、学年主任の久保田先生のあだなで、カバってのは相田校長先生のあだなだ。タヌキは、背が低くて身体は丸くお
腹が突き出していてタヌキそっくりなだけじゃなくって、僕たちをよくだます。英語の教師なんだけど、授業でよくうそを教える。話しがうまいので、みん
な信じてしまうのだが、あとでバレる。みんな、タヌキの話しの九十%はうそだってわかっていても、すぐだまされてしまうんだ。それでタヌキって僕た
ちがつけたんだ。
校長のカバは、顔がでっかくて口も大きく、すぐ大きな口あけてガハハって笑うからついたあだなだ。しかもその大口の中に、歯が三本くらいしかつ
いてない。口のまわりに、そり残しのひげが何本か長いまま残っているのも、カバそっくりだ。
そうそう、忘れていたけど、ハツカネズミまでついてきたんだ。ハツカネズミってのは、社会科の中嶋先生のこと。ちっこくて可愛い女の先生で、よく
しゃべるし、チョコチョコよく動く。授業中だって、一ヵ所にとまってない。おまけに前歯が二本、前に突き出しているんだね。今日は一時間目しか授業
がなく、おまけに担任がないからヒマよって言って、ついてきたそうだ。
先生たちを入れて、総勢四十三人。朝から武蔵川に入って水をくんだり、川底の生物を観察したり、河原に生えている植物の採集や昆虫の採集
をしている。中には釣竿までもってきて、魚を釣っているやつまででてきた。
「やっ。でっかい鯉がいるぞ。」
ナオジのやつが、網をひっつかんでさけんだ。
「よし。おれにまかせとけ!。」
ジャバジャバとはでな水音をさせて、川の中を走っていって素手で鯉をつかまえたのは、なんとカバだった。
「よおし。やったぞ。どうだ。おれの手並みは。昔とったきねづかってんだ。おれが中学生の時は、毎日学校さぼって、川で魚を捕まえておったぞ。ど
りゃ。こりゃあ、でけえな。ガハハハハ。」
カバのやつ、でっかい鯉をつかまえて有頂天になっている。タヌキまで、ズボンをずぶぬれにしてやってきて、鯉をバケツに入れた。
「いやあ。すごいですね。校長先生。僕なんか、町ん中で育ったし秀才で、毎日勉強ばかりしていたので、魚を捕まえたことなんかないんですよ。」
「うそつけ。おまえの田舎は、滋賀県の琵琶湖の近くだろう。毎日、ウナギでも捕まえていたんじゃないか。」
「ははっ。バレましたか。僕もよく、川で遊びましたよ。」
「おまえのうそなんか、すぐ見抜けるぞ。だいたい勉強ばかりやってた秀才なわけないだろ。タヌキみたいな顔をして!。」
二人とも、子供みたいだった。服は川の水がはねてびしょびしょだし、顔にまで鯉が暴れたひょうしにドロがとびはねてどろんこ。二人の真中で、ナ
オジがぽかんとして口をあけている。
少し離れた浅瀬では、女の子たちが、川底の石をどけて、底に住んでいる生物を調べている。
「あら。カワゲラだわ。カワゲラがいたわよ。武蔵川もあんがいきれいなのね!。」
「何いってるのよ。カワゲラのわけないでしょ。こんなに水が濁っていて臭いのに。カワゲラは、もっときれいな水にすむものよ。」
「じゃあ、なんなのよ。これは。」
「カゲロウじゃないの。この図鑑の写真によく似ているわ。」
「どれどれ、見せて。違うわよ。これってやっぱりカワゲラよ。」
「そうかなあ。全然違うと思うけど。」
川の中で、膝まで水につかりながらいいあらそいをしているのは、久美子と佳江だ。佳江ってのは、いつもキャアキャア元気な女で、すぐ大騒ぎを
する。
「ねえねえ、先生。どっちかな。これ。」
佳江のやつが隣にいたハツカネズミに虫を差し出した。
「キャッ。何よ。これ。気味が悪い!。」
目の前にいきなり虫を突き出されたハツカネズミは、ぱっと一歩後ろにとびのこうとしたが、そのとたんに足をすべらせて、ジャバンとはでな水音を
たてて、川の中にひっくりかえってしまった。
「あっ。先生、ごめん!。」
あわてた佳江が、手を伸ばしてハツカネズミを助けあげようとして、手にしていた虫を落としてしまった。
「あら。大変。カワゲラを落としちゃったわ。残念ね。せっかく見つけたのに。」
「どじね。まったく。でもあれはカゲロウよ。」
「そうじゃないわよ。カ・ワ・ゲ・ラ。」
二人はハツカネズミが川の中にひっくりかえったままなのも忘れて、またいいあらそっている。まったく・・・・・。
「ほら!。二人とも手を貸して。先生、びしょぬれじゃないの。」
見かねた麻美が、助けに入った。
「はははは。先生、びしょぬれじゃん。おまけに泥までかぶってしまって、これじゃハツカネズミじゃなくて、ドブネズミね!。」
のうてんきな佳江は、ゲラゲラ笑っている。
「ほんと。ドブネズミって、うまいこというわねえ。」
ハツカネズミまでつられて、おお笑いだ。
少し離れた河岸では、ちょうちょを追っかけて走り回っているやつもいる。信次郎だ。教室では、難しい顔していつも問題集ばかりやってる受験の
虫。今日は、人が変わったように河原を走りまわっている。
向こうの草むらで、河原の植物を図鑑片手に調べながら、一本一本ていねいに抜いて、新聞紙にしっかりはさんでいるのは直美。教室では、いる
のかいないのかわからないほど静かな子だけど、とっても几帳面で、配られたプリントなんかを、ていねいにファイルしているんだ。
その向こうには、ゴミの山を前にして、難しい顔をしているおチャメがいた。
「おい、おチャメ。どうしたんだよ。難しい顔してさ。」
「うん。翔か。ひどいよな。このゴミのすごいこと。なんで、こんなのまで捨ててあるんだよ。」
おチャメがそう言いながら、ゴミの山からひっぱり出したのは、泥によごれたビニール袋。中には、古くなった上着やズボンが、いっぱいつまってい
た。
「どう考えても、おかしいよな。これなら、廃品回収に出すとかすればいいんだよ。ここにあるものはどれも廃品回収か、毎日のゴミの回収にだせば
すむものばかりなんだ。」
おチャメはブツブツ言いながら、ゴミの山をかきわけていた。僕もそう思う。まったく世の中、どうなってんだろう。
「おーい。翔。こっちへ来てごらんよ。」
ユウヤの僕を呼ぶ声がする。声のするほうに向きをかえて見てみると、ユウヤがみんなが採集してきた水のビンを前にして、何か薬品をつかって
調べている。
ユウヤの所まで走ってみた。そばにいったのに、ユウヤは顔もあげずに、ビンに薬品を入れてふったりしている。
「何してんだ。ユウヤ。」
「あっ。翔か。うん。水質検査をしてるんだ。簡易式の検査パックだから、正確な数字はでないんだけど、これで結構、水の汚れぐあいはわかるんだ
よ。」
「へえ。この小さなビニールの袋で、そんなことがわかるのか?。」
僕は、ユウヤの横にある小さなビニールの袋を、持ち上げてみた。すかして見ると、中に白い粉が入っている。
「この粉なんだ?。」
「あっ。それか。それはね。その袋の中に川の水を入れると、その粉が溶けて反応して、水に色がつくんだ。その色の濃さで、水の汚れぐあいがわ
かるんだよ。」
僕は、そこにあったビンに入った水を、太陽にかざしてみた。
「へえ。で、どうなんだ。この。見ているだけだと、結構透明で、きれいだと思うけどな。」
「その水を、このパックに入れたやつだけど、見てごらんよ。水が紫色をしてきただろ。」
「うん。淡いけど、はっきりとした紫色になってきたね。」
「よし。ちょうど時間だ。この検査表の、色見本と較べてみよう。」
ユウヤは手に持ったパックの色を太陽にかざしながら、色見本と見比べている。
「うーん。二か。やっぱり汚れているな。見た目とは違うってことだな。」
「これは、何を測っているの?。」
「これはね、水の中のリン酸イオンの濃度を測っているんだ。色見本によると、濃度は二だからね。水の中に、かなりリン酸が含まれているというわ
け。これはね、家庭から出された汚水の中に含まれる野菜とか魚とか、そういった生き物のかすが分解してできたものなんだよ。そのリン酸が多い
ってことは、この川の水が、家庭からの排水で汚されているってことが分かるんだ。」
「へえーっ。たいしたもんだ。それにしても、川にはいろんなゴミが含まれているんだなあ。なんとかならないのかな。」
二人でこんなことを話しいる間に、まわりにみんなが集まってきていた。
「いやあ。楽しいね。鯉もつかまえたし、ほら、バケツにいっぱい魚がとれたぞ。」
カバのやつが誇らしげに、バケツを見せびらかしている。
「ええ。校長先生たいしたものですね。網も使わずに、魚を素手で捕まえてしまうのだから。中学時代に毎日学校さぼって魚とってたって、本当です
か?。」
久美子のやつが、まじめな顔して質問した。
「おお、そうだとも。おれの田舎は、長野の山奥でな、なんにもないとこだ。だが、自然だけは一杯あったぞ。学校の裏には川が流れていて。こんなも
んじゃないぞ。もっと幅が狭くて流れが早くて、水だってもっと透明できれいだ。こんなにおいなんかしない。もっとなんて言うのかな、冷たくて気持ち
よくて、さらっとしたいい感じなんだ。魚もとびはねていてな。勉強なんかつまらないから、よく学校さぼって川に行ってたよ。」
カバは、小さな目をおもいっきり細くして、どこか遠くを見るような顔をしていた。
「よくそんなんで、先生になれましたね。」
ゴジラのやつが、首をつっこんできた。
「いや。やる時はやったさ。でもそれは、高校時代だったな。今より高校いくのは簡単だった。高校いけないやつのほうが、多かったくらいだからな。」
「なんでですか。高校に行けないなんて。勉強ができなかったわけですか?。」
信次郎のやつが、真剣な顔して聞いた。
「そうじゃないよ。家が貧しかったんだ。みんなそうだった。まだ戦後もまもない頃だからな。子供を高校に行かせるだけの余裕のある家のほうが、
少なかった。みんな中学でてすぐ働いたんだ。高校いったやつだって、公立さ。私立にいく金なんてないからな。な、タヌキ先生。そうだろ。」
いきなりカバにタヌキよばわりされて、タヌキはびっくりしながら、話しの輪に入ってきた。
「先生。タヌキはないでしょ。そりゃ、たしかに似ているし、小さいころからそう言われていましたから。」
「あら。先生のあだなは、昔からタヌキだったの?。ほんとに。」
直美のやつがおもしろがって、話しに割り込んできた。めずらしいこともある。
「ああ、みんなしておれをからかうんだ。もっともおれの家は貧しくて、家の屋根まで草ぼうぼうで、まるでやぶの中に住んでいるみたいだったし、毎
日畑仕事で泥んこで、真っ黒になっていたからな。」
「小さい時も、やっぱり、ちびでふとっていてお腹が出ていたの?。」
直美はますます、おもしろがっている。
「うん。ちびで丸くて足が短くてな。運動会では、いつも一番びりだった。」
「おう。わしは、いつも一番だったぞ。村一番、かけっこの早い子だった。」
カバが話しに割り込んできた。
「へえっ。そのからだでですか?。」
ナオジのやつが、からかい半分で聞いた。
「ばかいえ。昔は、もっとスマートだったんだ。だから、泳いだって早かったんだぞ。見せたかったな。おれの雄姿。魚を追っかけて、よく泳いだもん
だ。ああ、あの頃がなつかしいな。あんなきれいな水。みんなにも、泳がせてやりたいな。でも無理か。こんな都会の中じゃ。」
「そうでもないですよ。校長先生。」
いきなり、カッパ大王の声がした。
「この武蔵川だって、もっと上流にいけば、先生の田舎の川みたいに澄んでいて、岩魚だってとれますよ。」
「おおそうか。どこまでいけばいいんだ。おれも行ってみたいな。」
「南武蔵野線で大宮までいって、そこで奥武蔵線に乗り換えるんですよ。そこから終点まで行って、あとはバスで三十分。先生の少年時代にタイムス
リップしますよ。」
「そうか。そんなに近いのか。電車をあわせても、二時間で行けるな。川波先生。こんど、生徒たちを連れていってやりなさい。おれも、時間があった
らついていくから。」
カバはすっかり乗り気になっている。まるで、子供みたいにはしゃいでいる。
「そうそう。校長先生。十一時からPTAの会議がありますから、急がないと遅くなりますよ。」
タヌキのやつが時計を見ながら、カバをせきたてた。
「おいおい、久保田先生。せっかく子供時代に戻って楽しんでいるのに、仕事のことなんか思い出させてくれるなよ。」
「でも、先生が行きませんと。」
「いや、行かないとはいっとらんぞ。いやあ、川波先生。今日はいい体験をさせてもらった。楽しかったぞ。生徒諸君、文化祭のきみたちの発表を、
おおいに楽しみにしている。じゃ、おさきに。」
カバとタヌキは自転車に乗って、学校へ帰って行った。