「ラフカディオ・ハーンと平家琵琶A」

                                                                                         川瀬 健一

2023年 9月 2日、日本英学史学会本部例会 第556回例会にて発表


 第556回例会での「ラフカディオハーンと平家琵琶ー耳なし芳一考ー」の訂正・補足報告。
 ハーンの著書『怪談』の冒頭を飾る「耳なし芳一」の話における、芳一の語りと琵琶の調べは、「声をはりあげて」語る、「様々な音を琵琶で表現する」とのハーンの表現から、薩摩琵琶などの盲僧琵琶系の琵琶楽を元にしている可能性が高い。平家琵琶では琵琶は刻々と変わる節の音程を取るために時々弾くだけで、声はなるべく抑えて歌わず、語るように静かに語るのが常だからだ。
 また「耳なし芳一」の英文の注の「琵琶」の項では、「主に叙事詩の読誦に使われる。かつて平家物語や他の悲劇の歴史を読誦する職業的吟遊詩人は琵琶法師と呼ばれた。」と注記され、平家物語以外の悲劇の歴史を読誦したと、盲僧琵琶系の琵琶楽の特徴をきちんと捉えているので、ハーンが平家物語しか語らない平家琵琶以外に、その他の悲劇の歴史を語る盲僧琵琶系の琵琶楽があることを知っていたことは確かだ。
 ではハーンはこれらにどこで出会ったのか。前回報告した1892年12月21日付のチェンバレン宛書簡にある熊本の西堀端の新居への転居・離れにストーブ設置の詳細報告の中の、「荒神様の怒りを解くために祈祷を行ったこと」と「仏教の僧侶に儀式を行ってもらった」との記述に見られる「僧形の祈祷師」には、晴眼の祈祷師と盲目の琵琶の調べて語る祈祷師の両方があり、どちらも僧形なので、ハーンが出会ったのがどちらかは判断しかねる。
 またハーンがいた明治20年代の熊本は薩摩琵琶が流行しており、様々な機会に演奏されていたが、ハーンが様々な歓送迎会や宴会に参加したことはわかっても、そこで薩摩琵琶の演奏があったとの資料は見当たらない。また筑前琵琶が熊本に広がったのは明治30年代であり、さらに東の関西や東京に広がったのは大正時代になってからのことだ。残念ながらハーンがこれらの盲僧琵琶系琵琶楽に出会ったという証拠は今のところ見当たらない。
 しかし最近のハーン研究の深化の中で、ハーンが日本の古典や怪談を「再話」する過程は、妻セツが独力で資料を読み込んで語りハーンがそれにどんどん付け加える形で行われたのではなく、セツが読み込む過程で、典拠となっている日本の古典に詳しい人に教えを請い、さまざまなアドバイスを得たうえで、ハーンの前で語っていることがわかってきた。この関係者の一人にセツの遠縁にあたる歴史学者三成重敬がいる。東京大学史料編纂所で活動した三成なら、明治30年代から40年代にかけて東京でも流行した薩摩琵琶に触れる機会はいくらでもあり、関係者に取材して琵琶楽について知る機会も多かったものと思われる。
 このセツの助言者歴史家三成重敬を通じてセツとハーンとが盲僧琵琶系の琵琶楽の情報を得ていた可能性も考慮するべきではなかろうか。(会報第156号掲載)


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