「ラフカディオ・ハーンと平家琵琶ー耳なし芳一考ー」
川瀬 健一
2022年 6月 4日、日本英学史学会本部例会 第556回例会にて発表
ハーンの著書『怪談』の冒頭を飾る「耳なし芳一」の話。この中でハーンが再現した芳一の語りと琵琶の調べは何に基づいているのか。「声をはりあげて」語る、「様々な音を琵琶で表現する」というハーンの表現と、平家琵琶・肥後盲僧琵琶・薩摩琵琶・筑前琵琶の語りの音源を比較すると、それは平家琵琶のものではなく、肥後盲僧琵琶以後の盲僧琵琶系の近世三味線音楽の影響を受けたものであることが判明。ではこれらの琵琶楽をハーンが聞いたことを証する資料はあるのか。ハーンの手紙や著作の記述にはこれらの琵琶楽に関する記述はないが、「耳なし芳一」の英文原文の琵琶についての注に「平家物語や他の悲劇の歴史の読誦」に使用するとあることから、ハーンは平家以外の歴史物語を語る盲僧琵琶の存在を知っていた可能性があることが判明。さらに1892年12月21日付のチェンバレン宛書簡にある西堀端の新居への転居・離れにストーブ設置の詳細報告の中に、「荒神様の怒りを解くために祈祷を行ったこと」と「仏教の僧侶に儀式を行ってもらった」との記述がある。荒神とは正しくは竈の神であり、地の神のことで、盲僧琵琶を奏でる琵琶法師は、荒神・地の神を鎮める祈祷を正業とし、江戸時代にはこの仕事は彼らの独占が認められていたことから鑑みて、熊本でハーンが出会った「僧形の祈祷師」とは、肥後琵琶盲僧である可能性が高い。そしてこの出来事の半年ほど後の、1893年8月前後にハーンが盲僧琵琶でもしばしば語られる「俊徳丸」「小栗判官」の歌詞を手に入れていることも、ハーンが熊本で肥後盲僧琵琶に出会っていた可能性を示す事実であると思われる。
ハーンが「耳なし芳一」の話を再話するとき、芳一の語りと琵琶の調べを再現するに際して参照したのは、かつて自身が熊本で聞いた肥後盲僧琵琶の語りと琵琶の調べの記憶である可能性が高い。(会報第154号掲載)