「我が町長尾の歴史」講演記録2<長尾しらかし会>にて
1985年2月:
このシリーズは、川崎市多摩区長尾の歴史をつづったもの。
地域の婦人サークル「しらかし会」の依頼を受けて、年二回のペースで、この町の歴史を講演したもの。
一回目は、長尾の歴史2.弥生時代から古墳時代のはじめのころをあつかったものです。
(資料の説明)
一枚目の史料と二枚目の史料をつかって、長尾地区のこの時期の古代遺跡を解説。要するに東高根森林公園の古代遺跡広場と谷を挟んだ対岸にある緑が丘霊園にあった弥生時代の集落跡は、大規模な環濠(周りを囲んだ深い堀)で守られた武装した大集落だったこと。そしてこの集落を統べる王の一族の墓が、長尾で一番高いところである長尾神社の下の尾根、つまり長尾小学校のあたりから、そのまま東に延びて久地駅と津田山駅の間で南武線に接する尾根の上に、延々と続いていました。その最後のものがDの古墳。関東でも最古期のもの。
つまり長尾には弥生時代から古墳時代初期にかけてこの地方を治めていた有力な豪族とそれが治める大集落があったのではないかと考えています。
(長尾の歴史1はほかの方が講義したので資料がありません。縄文時代の話。この資料のAの下原遺跡(東名高速が長尾の山を切っている場所にあった)が、縄文時代晩期(一番終わり)の大きな集落と墓地ですので、縄文時代から長尾の山には人がたくさん住んでいたことはわかります。)