イラクの状況についての情報
イラク情勢が急展開しています。占領軍と全イラク人民との激突の様相を見せてきており、アメリカの大中東構想の破綻を示す事態だと思います。日本人拉致もこれとの関係でしょう。 私のところに様々な所からイラク情勢に関するメールが届いています。メディアでは載ってないものもあるので、まだ知らない人のために公開します。(★更新する暇がないのでとりあえず更新を中止。下の4つのリンク先で今の状況は確認してください。2004.7.28★) ※現在のイラク情勢全般の論評としては 【◎共同通信ニュース】の全文は、 http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/iraq4/ でどうぞ TUP速報の申し込みは: http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/ |
◎宮殿の米大使館利用に反発 ブレマー氏要請にイラク側 【バグダッド5日共同】(04.6.24)
イラクの連合国暫定当局(CPA)のブレマー行政官が、CPAが現在本部として使っている旧大統領宮殿を、六月末の主権移譲に伴うCPA解散後は米大使館として使いたいと要請、イラク側の反発を呼んでいる。
旧大統領宮殿は、CPAが管理するバグダッド中心部の通称グリーンゾーン内にあり、二百五十以上の部屋を持つ。フセイン元大統領だけでなく、二十世紀前半の王政時代から歴代の最高指導者が執務室を置いた。現在はCPAが使い、イラク人にとって「占領の象徴」とも言える。
米大使館は職員三千人規模になる見通し。ブレマー氏は解散した統治評議会メンバーとの五月中旬の会合で「ほかに適当な施設がないので、(米大使館として)使わせてほしい」と要請したが、猛反発されたと地元紙が報道した。
関係者によると、反発の強さに驚いたブレマー氏は、五月末の会合で「使うのは一部で、正式な大使館建設までの暫定的措置だ」と説明したが、反発は収まっていない。
◎爆発で米兵1人死亡 バグダッド東部 【バグダッド5日共同】(04.6.24)
バグダッド東部で五日朝、道路を走行中の米軍車両のそばで爆発があり、イラク駐留米軍によると米兵一人が死亡、三人が負傷した。
目撃者によると、道路に仕掛けられた爆弾が爆発したとみられる。間もなく米軍ヘリコプターが現場に到着、死傷者を搬出した。
現場は、イスラム教シーア派の対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の支持者が多く住むサドルシティーに近く、現場付近の道路では四日にも米軍車両に対する攻撃で五人が死亡した。
◎多国籍軍の駐留期限前倒し 米英、イラク新決議再修正、サミットにらみ協議大詰め 【ニューヨーク5日共同】(04.6.24)
米英両国は四日、国連安全保障理事会に対し、六月末のイラク主権移譲に向けた新決議案で、暫定政権の要求があれば多国籍軍の駐留を終えることを明記した再修正案を提出した。
新決議案をめぐる協議は、「イラク復興への国際社会の団結」を強調できる絶好の機会となる八日からの主要国首脳会議(シーアイランド・サミット)までに採択のめどを付けたい米英両国と、多国籍軍問題でさらに譲歩を迫るフランスなどとの間で大詰めの段階に入った。
再修正案は米英が一日に提出した最初の修正案に比べ、焦点の駐留期限を前倒しできる可能性を盛り込んだことで、フランスやドイツ、ロシアなどにさらに歩み寄りを見せた内容。
◎決議案の早期採択求める 多国籍軍の駐留必要、安保理でイラク新外相 【ニューヨーク3日共同】(04.6.24)
イラク暫定政権のジバリ外相は三日午後(日本時間四日未明)、ニューヨークの国連本部で開かれたイラク新決議案をめぐる安全保障理事会の協議で、完全な主権移譲を認める決議の早期採択を求めた。暫定政権閣僚の協議参加は初めて。
外相は、米軍主導の多国籍軍駐留について「情勢安定化のため多国籍軍の支援は必要だ。早まった撤収は混乱と内戦の可能性につながる」と指摘。その上で「暫定政権の主権も多国籍軍の自衛権も損なわない在り方を整える必要がある」と述べ、米軍の自衛権を全面に出す米国の主張に配慮した。
イラク軍が多国籍軍の軍事作戦を拒否できるかどうかについても「イラク軍はイラク人の指揮下に置かねばならないが、多国籍軍とのパートナーシップの下で活動する」と述べるにとどめ、深入りを避けた。
◎シスタニ師が暫定政権容認 イラク国民も受け入れへ 【バグダッド3日共同】(04.6.24)
イラクのイスラム教シーア派の最高権威アリ・シスタニ師は三日声明を発表、一日に発足したイラク暫定政権について「選挙による正統性を欠いている」としながらも、発足自体は「正しいステップだ」として、原則として容認する考えを示した。
イラクで60%を占めるシーア派住民の間では、形式的に国連が選出を主導した暫定政権について「米国が選んだ統治評議会よりはまし」(南部サマワ市民)とする意見が多く、シスタニ師の容認声明により、国民もおおむね暫定政権を受け入れる見通しとなった。
一方、シスタニ師は声明で「暫定政権は巨大な課題を負っている」とし、治安の改善、選挙の実施、新たな国連決議など重要問題の解決が暫定政権を支持する前提と強調。これらの課題達成のために「勤勉かつ真剣に取り組まなければ、人々の支持を得ることはできないだろう」とくぎを刺した。
◎イタリア大使館に迫撃弾 イラク人2人死亡【バグダッド3日共同】(04.6.24)
イラクの首都バグダッドで三日午後四時(日本時間同日午後九時)ごろ、イタリア大使館に向けた迫撃砲による攻撃があった。ANSA通信によると、この攻撃で大使館近くにいたイラク人二人が死亡した。大使館員にけがはなかった。
大使館の警備員によると、迫撃弾は計六発発射され、うち二発が大使館の屋根を直撃。近くのレストランや商店に三発が着弾したほか、一発が民家を直撃し爆発、子供三人を含むイラク人計六人が負傷したという。
◎米基地弾薬庫に砲弾攻撃か イラク北部キルクーク 【バグダッド3日共同】(04.6.24)
ロイター通信によると、イラク北部の油田地帯キルクーク郊外の米軍基地周辺で二日深夜(日本時間三日未明)、多数の爆発音が響いた。砲弾、ロケット弾が基地上空に飛び交うのを同通信記者が目撃した。基地の弾薬庫に着弾したもようで、一帯に煙が立ち上っている。
米軍当局者はあくまで現時点と強調した上で負傷者はないと述べた。地元警察幹部も「(旧ソ連製多連装ロケット砲)カチューシャが基地の弾薬庫に着弾した」と説明、一方で市民の間に負傷者はいないと語った。ロイターによると、救急車なども出動していないという。
◎軍事面もイラクに全権を 仏が新決議で譲歩求める 採択までさらに曲折も【パリ3日共同】(04.6.24)
フランスのシラク大統領は二日、米国と英国が国連安全保障理事会に一日提出したイラク新決議案の修正案について、「軍事面でのイラク暫定政権への完全な権限移譲の確認」などでさらなる修正の必要があると述べ、六月末の主権移譲後に展開する多国籍軍の主要な作戦についてイラク暫定政権が決定権限を持つべきだとの立場を強調した。
大統領は、欧州連合(EU)議長国アイルランドのアハーン首相との会談後の記者会見で語った。
米軍が指揮する多国籍軍と暫定政権の関係は、新決議案採択に向けた大きな対立点として残っており、採択までさらに曲折が予想される。
◎多国籍軍駐留は05年末まで 米英、安保理に修正案 【ニューヨーク1日共同】(04.6.24)
米英両国は一日、六月三十日のイラク主権移譲に向けた国連安全保障理事会の新決議案で、米軍が主導する多国籍軍の駐留期限を二〇〇五年末とする修正案を提出した。安保理は一日午後、同案をめぐり協議した。
「多国籍軍の任務の失効時期の明記」を求めたフランス、ドイツ、中国、ロシアなどの修正要求に歩み寄る内容で、安保理理事国からは、米英が五月末に提出した「最初の決議案より改善された」との評価も出た。
しかし新生イラク軍と多国籍軍の指揮権限の問題など不透明な部分が残されており、安保理は継続協議の方針を決めた。
◎イラクで爆発相次ぐ 首都などで十数人死亡 閣僚発表狙いテロ【バグダッド1日共同】(04.6.24)
イラク暫定政権の閣僚人事が発表された一日、首都バグダッド中心部の連合国暫定当局(CPA)が管理する通称グリーンゾーン付近や、北部バイジで自動車爆弾などによる爆発が相次ぎ、少なくとも十数人が死亡した。
これと前後して、バグダッドの爆発現場付近の国際会議場では、ブラヒミ国連事務総長特別顧問が暫定政権の陣容を発表しており、イラク復興プロセスの進展を誇示しようとする米国主導の占領当局に対する武装勢力側のテロとみられる。
◎イラク暫定政権発足 大統領にヤワル氏 主権移譲受け皿整う 【バグダッド1日共同=及川仁】(04.6.24)
ブラヒミ国連事務総長特別顧問は一日、イラク暫定政権の大統領に、現在の統治評議会議長でイスラム教スンニ派のガジ・アジル・ヤワル評議員を指名、シーア派のアヤド・アラウィ評議員を正式に首相に選んだ。アラウィ氏は同日、内閣の閣僚名簿を発表、統治評議会は直ちに解散し暫定政権が発足した。六月三十日の主権移譲の受け皿が整った。
暫定政権は来年一月に予定される直接選挙を準備する選挙管理政権。首相が実権を持ち、国家元首の大統領と副大統領は象徴的な立場だ。
アラウィ氏は米中央情報局(CIA)と深いつながりがある亡命イラク人組織、イラク国民合意(INA)書記長。米国の強い意向が人選に反映され、ブラヒミ顧問が当初目指した「実務者内閣」の性格は薄れた。国民の幅広い支持が得られるかどうかは不透明だ。
◎ブラヒミ構想、実現困難か 大詰めの暫定政権人事 【バグダッド31日共同】(04.6.24)
六月末のイラクへの主権移譲に伴って発足する暫定政権の閣僚人選作業が大詰めを迎えているが、ここにきて、政治的生き残りを図るイラク人の統治評議会評議員と影響力保持を狙う米占領当局の利害が一致、両者が主導権を握る情勢となっている。
本来、人選と発表を任されているブラヒミ国連事務総長特別顧問の存在はかすんでおり、政党や宗派に“しがらみ”のない実務者中心の政権を樹立するという「ブラヒミ構想」は実現が難しくなってきた。
◎暫定政権陣容の報道否定 統治評議会、真偽は不明 【バグダッド30日共同】(04.6.24)
ロイター通信は二十九日、六月末の主権移譲後に発足するイラク暫定政権の骨格が固まったと報じた。一方、イラク人による暫定統治機関、統治評議会のハミド・カファイ報道官は「報道は誤りだ」と否定している。
同通信は二十九日、チャラビ評議員が語った内容として、現暫定内閣外相のホシヤル・ジバリ氏を国防相に充てることなどで統治評議会と連合国暫定当局(CPA)、国連が合意したと報じた。
ただ、暫定政権の顔触れは本来、人選を進めているブラヒミ国連事務総長特別顧問が発表すべき内容で、チャラビ評議員が事前に明らかにした意図は不明。米軍の家宅捜索を受けるなど、米国と関係が悪化しているチャラビ評議員が、米主導で進む人選をつぶそうとした可能性もあり、真偽は不明だ。
◎日本の民間人、再び標的 「問答無用」の手法 【バグダッド29日共同】(04.6.24)
イラクの日本人フリー記者襲撃事件で、小川功太郎さん(33)らが日本人と分かった上で殺害された可能性が高まったことで、イラクを占領統治する連合国の一角として、日本人は民間人でも武装勢力の標的になることがさらに明確になった。
同じく「ソフト・ターゲット」(狙いやすい標的)である日本人のボランティア活動家やフリー記者、非政府組織(NGO)活動家が拘束された四月の人質事件と大きく異なるのは、その「問答無用」の手法だ。
犯人は銃撃を受け燃え上がる車両に執拗(しつよう)に銃を乱射。現場から約十キロ離れた場所で見つかった小川さんとみられる遺体には、みけんを撃ち抜かれた跡があり、犯人は負傷した小川さんを連れ去って殺害した可能性が出ている。
◎イラク暫定政権の陣容報道 統治評、国連側などが合意【バグダッド29日共同】(04.6.24)
ロイター通信は二十九日、六月末の主権移譲後に発足するイラク暫定政権の石油相にサミル・ガドバン、財務相にイスラム教シーア派の有力政党イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)幹部のアデル・アブドルマハディ、国防相に現暫定内閣外相のホシヤル・ジバリの各氏が指名されたと報じた。
現在の暫定内閣閣僚か、統治評議会にメンバーを送り出している政党の幹部らが多数加わっており、イラクで次期暫定政権の人選に当たっていたブラヒミ国連事務総長特別顧問が目指した「テクノクラート(実務者)内閣」からはほど遠い構成だ。次期内閣にも影響力を残そうとの米政権の思惑が強く働いたとみられる。
◎イラク首相にアラウィ氏 国連、統治評議会が合意 親米の穏健シーア派【バグダッド28日共同=及川仁】(04.6.24)
イラク統治評議会は二十八日、六月末の主権移譲後に発足する暫定政権の首相に、イスラム教シーア派の穏健派で亡命イラク人組織「イラク国民合意」(INA)書記長のアヤド・アラウィ氏を全会一致で指名した。アラウィ氏は統治評議会のメンバー。
ブラヒミ国連事務総長特別顧問の報道官はアラウィ氏指名を「歓迎し、尊重する」と表明、これにより、迷走し続けた暫定政権の首相人事が固まった。同氏はブッシュ米政権との関係が深く、正式に就任すれば、米国が主権移譲後も引き続き強い影響力を保持することになるとみられる。
イラクの暫定政権には大統領と二人の副大統領も置かれるが、実質的な権限は首相にある。
アラウィ氏は同日開かれた統治評議会の臨時会合で指名され、会合に同席していた米国主導の連合国暫定当局(CPA)のブレマー行政官も指名を歓迎した。
◎ナジャフの民兵、減少 マハディ軍、兵力温存か 【バグダッド28日共同】(04.6.24)
イラク中部のイスラム教シーア派聖地ナジャフで、シーア派の対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」と駐留米軍との間の戦闘が停止したことを受け、ロイター通信などは二十八日、市街からマハディ軍の民兵の姿が減ったなどと伝えた。ただ民兵の撤退規模などは不明で、事態が沈静化に向かうかは不透明だ。
サドル師が六月末に予定される主権移譲後を見据え、政治的影響力を保持するために兵力温存を図ったとの見方も出ている。
同通信によると、マハディ軍は二十七日、前線からの撤退を開始。迫撃砲など重火器類をトラックに積み込む姿が見られた。市街では民兵の姿が減り、軽武装になっている。
AP通信は、民兵のほとんどを占めるとみられるナジャフ出身者が市内の自宅に帰っただけだとも伝えた。
◎イラク米兵死者800人に 戦闘激化でさらに増加か【ワシントン27日共同】(04.6.24)
昨年三月のイラク戦開戦以来イラクで死亡した米兵の死者数が二十七日、八百人に達した。反米武装勢力との戦闘が激化した四月以降の約二カ月間だけで、二百人以上が犠牲になっており、さらに犠牲者は増えそうだ。
集計によると、開戦からブッシュ大統領が大規模戦闘の終結を宣言した五月一日までの死者百三十八人に対し、終結宣言以降の死者は六百六十二人。戦闘による死者が五百八十五人、事故など戦闘以外が二百十五人だった。
◎ナジャフ停戦に合意 サドル師が撤退指示 米軍攻勢、民兵70人死亡【バグダッド27日共同】(04.5.27)
イラク中部のイスラム教シーア派の聖地ナジャフで戦闘を続けている米軍と同派対米強硬指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」は二十六日夜、ナジャフでの停戦に合意した。英BBCのアラビア語放送が二十七日、米軍当局者などの話として伝えた。
マハディ軍の指揮官の一人は、ロイター通信に「今日(二十七日)の正午までにナジャフから撤退するよう(サドル師から)文書と口頭で指示を受けた」と言明した。
米軍は二十五日夜から二十六日にかけて大規模な掃討作戦を展開、BBCによると、過去最大規模となる民兵約七十人が死亡した。同師スポークスマンは二十六日、「米軍の攻撃はエスカレートしており、シーア派の弱体化が起こっている」と述べており、強まる米軍の攻勢にサドル師側が危機感を持ったとみられる。
サドル師は二十七日、「神聖な場所での悲劇的な状況と暴力を止めるため、武装デモの停止や、すべてのマハディ軍兵士の撤退を宣言する」との声明を出した。AP通信は、イラク統治評議会のルバイエ評議員の話として、サドル師がナジャフからの民兵撤退を提案、米軍に対し基地に戻るよう要求し、イラク警察によるナジャフの治安の統制を認めたと報じた。
◎米軍攻勢、民兵70人死亡か ナジャフで大規模掃討作戦 サドル師派が撤退提案【バグダッド27日共同=宇田川謙】(04.5.27)
イラク中部のイスラム教シーア派の聖地ナジャフや首都バグダッドで二十五日夜から二十六日にかけて、駐留米軍が同派の対米強硬指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」への攻勢を強め、英BBC放送によると、民兵約七十人が死亡した。
百人近くが死亡したとの情報もあり、双方の戦闘の死者としては過去最大規模。米軍は二十六日、サドル師の親せきで側近のヌーリ氏を拘束しており、同師派の大規模な掃討を行ったもようだ。米軍のキミット准将は民兵側に「非常に多くの」死者が出たと語った。
一方、AP通信によると、イラク統治評議会のルバイエ評議員は二十七日、サドル師がナジャフからの民兵撤退を提案、米軍に対し基地に戻るよう要求し、イラク警察によるナジャフの統制を認めたと述べた。
提案についてサドル師は、ナジャフの「悲劇的状況」を勘案したと語った。フランス公共ラジオによると、米政府高官もサドル師の撤退提案を確認した。
◎ナジャフで戦闘、24人死亡 米軍、サドル師の側近拘束 【バグダッド26日共同】(04.5.27)
イラク中部のイスラム教シーア派聖地、ナジャフで二十六日、駐留米軍とシーア派の対米強硬指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」が交戦、病院関係者によると、民兵ら二十四人が死亡、約五十人が負傷した。AP通信などが伝えた。二十五日から二十六日にかけての戦闘で民兵ら約百人が死亡したとの情報もある。
また、駐留米軍は同日、昨年四月に起きたシーア派の有力聖職者ホエイ師暗殺事件に関与した疑いで、サドル師の親せきで側近のリヤド・ヌーリ氏をナジャフの自宅で拘束したことを確認した。ヌーリ氏の身柄は、イラク検察当局に引き渡される予定。
ロイター通信は、他の三人の側近も自宅を襲われたが拘束を免れたと伝えており、米軍はサドル師派への圧力を加速させているようだ。
一方、米軍は二十五日夜、北部ティクリートでも反米武装勢力と交戦し、六人を殺害。米兵一人が軽傷を負った。
◎銃撃受け技師ら4人死亡 ロ民間人、イラク撤退へ 【モスクワ26日共同】(04.5.27)
ロシア外務省によると、イラクの首都バグダッド近郊のドラ発電所近くで二十六日、同発電所を建設しているロシア企業インテルエネルゴサービスのバスが武装グループに銃撃され、ロシア人技師二人と警護員とみられるイラク人二人の計四人が死亡、五人が負傷した。
同社はイラク国内四カ所の現場で働く技師ら二百三十一人全員の引き揚げを決定。治安悪化により欧米企業の撤退が相次ぐ中、復興支援に重要な役割を果たしていたロシア民間人ほぼ全員が国外脱出することになり、イラク再建に大きな影響が出そうだ。
バスには十三人が乗っており、発電所の入り口で銃撃された。バグダッドの宿舎から出勤する途中でのテロを避けるため、発電所内の宿舎に移動するところだった。
◎最重要の聖廟にロケット弾 ナジャフさらに緊張【バグダッド25日共同】(04.5.27)
イラクのイスラム教シーア派の対米強硬派指導者サドル師が民兵組織を率いて立てこもり、駐留米軍と対峙(たいじ)している中部のシーア派聖地ナジャフで二十五日、双方が衝突、シーア派が最も神聖視するイマーム・アリ聖廟(せいびょう)にロケット弾が着弾した。
目撃者の情報としてロイター通信やカタールの衛星テレビ、アルジャジーラなどが伝えた。
どちらの側がロケット弾を撃ったのか明らかでないが、シーア派信者の強い反発を招く可能性があり、米軍のサドル師派民兵掃討作戦で緊張するナジャフ情勢がさらに悪化する可能性がある。
◎イラク安定へ5段階復興 多国籍軍で治安回復 ブッシュ大統領が演説【ワシントン24日共同=小片格也】(04.5.25)
ブッシュ米大統領は二十四日、米ペンシルベニア州の陸軍大学で今後のイラク政策について演説し、六月三十日の主権移譲や治安回復の確立に向けた支援など五段階の復興プロセスを明らかにした。多国籍軍の中核として、十三万八千人規模のイラク駐留米軍を「必要な期間」とどめると表明。イラク人虐待事件の舞台となったバグダッド郊外の旧アブグレイブ刑務所は解体すると言明した。
イラク情勢の混迷や虐待事件の発覚で支持率が急降下するブッシュ大統領は、刑務所の解体で虐待問題に区切りをつけ、早急な治安回復により復興を加速、イラク安定化を実現する決意を表明。国際社会に対し理解と協力を呼び掛けた。
大統領は、米軍主体の多国籍軍展開などを承認する米英提示の新たな国連安全保障理事会決議案採択の必要性を強調。イラク暫定政権については今週中に人選が終わるとの見通しを示した。
◎孤立深めるサドル師 イラク聖地で支持失う 【バグダッド24日共同】(04.5.25)
イラク中部のイスラム教シーア派聖地ナジャフに立てこもり、民兵組織「マハディ軍」を率いて駐留米軍と一カ月半以上にわたり戦闘を続けている同派の対米強硬指導者、ムクタダ・サドル師が急速に住民の支持を失い、孤立化しつつある。
これを見透かした米軍は、サドル師の逮捕と武装解除を目指し、同師への軍事的圧力を一層強めている。
ナジャフの住民の多くはイラク国内ばかりでなく、隣国イランからの巡礼者相手の商売が生活の基盤。しかし、長期化する戦闘で巡礼客が激減、経済活動が深刻な打撃を受けており「住民は戦闘に嫌気がさしている」(イラク人ジャーナリスト)という。
◎結婚披露宴のビデオ放映 アルジャジーラ【カイロ24日共同】(04.5.25)
イラク西部カイム付近で十九日、米軍の空爆により住民四十五人が死亡した事件で、カタールの衛星テレビ、アルジャジーラは二十四日、爆撃前に住民が結婚披露宴を開いている様子を撮影したとされるビデオ映像を放映した。
AP通信系の映像配信会社APTNが入手して各局に配信した。米軍の誤爆が裏付けられれば、アラブ人の反米感情にさらに油を注ぐことになりそうだ。
アルジャジーラが放映したのは約三十秒の映像で、砂漠に設けられた会場にリボンや花で飾られた車が到着する場面から始まる。テントの中で男性らが踊り、複数の子供が座っている姿も写っていた。
さらにキーボードを弾く男性が登場した後、同じ男性が今度は遺体となって写し出された。終わりの部分は破壊されたテントや遺体搬送の現場で、混乱した様子が写っていた。
◎爆発で英国人2人死亡 連合国当局の本部付近【バグダッド24日共同】(04.5.25)
イラクの首都バグダッド中心部の連合国暫定当局(CPA)本部近くで二十四日、道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発し、通りかかった車に乗っていた二人が死亡、二人が負傷した。ロイター通信によると、英国のストロー外相は、死者二人と負傷者のうち一人が英国人だと述べた。
現場はCPA、駐留米軍や国連関係者が内外の記者団を集めて会見を開いている国際会議場から約百五十メートルで、イラク外務省庁舎からも近い。
◎戦闘でモスク「血の海」に 米軍が大攻勢、34人殺害 【バグダッド23日共同=及川仁】(04.5.25)
イラク中部のイスラム教シーア派の聖地ナジャフ周辺で二十二日夜から二十三日にかけて、駐留米軍がシーア派の対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織掃討のため大規模な作戦を実施、ロイター通信によると、少なくとも三十四人が死亡、数十人が負傷した。
ナジャフに立てこもるサドル師への圧力を強める米軍は戦車、軍用機を投入、民兵らの拠点とされるモスク(イスラム教礼拝所)を攻撃し、ロイターはナジャフ近郊クーファのサハラ・モスクの中が「血の海」になったと伝えた。
サドル師側は二十二日、中部の聖地カルバラで米軍と撤退で合意したと主張、ナジャフでも米軍が撤退すれば部隊引き揚げの意向を表明していたが、この大規模作戦は「サドル師の投降以外選択肢はあり得ない」とする米軍側の回答といえる。
中部ファルージャ近郊では二十三日、米軍の車両が武装勢力の待ち伏せ攻撃を受け、米兵二人が死亡、五人が負傷した
◎警察施設に手投げ弾 サマワ、女児1人軽傷【サマワ23日共同】(04.5.25)
陸上自衛隊が活動しているイラク南部サマワで二十二日午後十時(日本時間二十三日午前三時)すぎ、警察施設を何者かが手投げ弾で攻撃、サマワの警察当局者によると、近くに住む女児一人が軽傷を負った。
手投げ弾は警察施設前の道路で爆発、犯人はそのまま逃走した。
同警察施設は、イスラム教シーア派の対米強硬指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」とオランダ軍、イラク警察当局が十四、十五両日に交戦した際、サドル師支持者らが拠点として使用していた場所。
◎8人殺害容疑で捜査 米虐待事件、死者37人に 【ワシントン21日共同=木下英臣】(04.5.23)
米国防総省は二十一日、イラクとアフガニスタンの収容施設などで、米兵に拘束された八人が虐待や暴行で殺害された疑いがあるとして、新たに捜査していることを明らかにした。
同省によると、二〇〇二年八月以降、イラクとアフガンで米軍拘束中に死亡したのは三十三件、計三十七人。同省は約二週間前に計二十五件と報告していた。
裸にするなど単なる辱めの虐待行為だけではなく、死に至る激しい暴行がかなりの頻度で行われていた可能性が高まったといえる。虐待事件で批判を浴びているブッシュ政権は、さらに苦境に追い込まれそうだ。
司法省も同日、別の殺人容疑事件で独自に捜査を始めたことを明らかにした。AP通信によると、米中央情報局(CIA)が雇った民間の尋問者が捜査対象とみられる。
三十七人の内訳はアフガン人五人、イラク人三十二人。イラクでは虐待事件が起きた旧アブグレイブ刑務所で死亡した二人が含まれているという。
◎聖地撤退で合意とサドル師 「武装解除前提」と米否定【バグダッド22日共同】(04.5.23)
イスラム教シーア派の対米強硬派指導者サドル師の関係者は二十二日、シーア派の聖地、中部カルバラから駐留米軍と同師の民兵組織の双方が撤退することで合意したと述べた。AP通信が伝えた。
しかし、駐留米軍のキミット准将は同日の記者会見で、サドル師側の武装解除が前提として合意を否定しており、サドル師側の動きが本格的停戦につながるのかどうか不透明な部分が多い。
ロイター通信によると、同じくシーア派の聖地である中部ナジャフでも二十二日、サドル師側近が、米軍が撤退すればナジャフとカルバラから部隊を引き揚げる意向を表明。しかし、側近はそのために「米軍が両聖地に戻って来ないという保証」が必要と指摘し「(保証は)現時点で得られていない」と述べた。
◎カルバラで民兵18人死亡 米に徹底抗戦とサドル師【バグダッド21日共同】(04.5.23)
イスラム教シーア派の聖地、イラク中部カルバラで二十一日未明、駐留米軍とシーア派の対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」が交戦、マハディ軍側の十八人が死亡した。取材中のカタールの衛星テレビ、アルジャジーラのスタッフ一人も流れ弾が頭に当たり死亡した。
サドル師は同日、中部クーファでの金曜礼拝で「私が死んでも抵抗をやめるな」と支持者らに対し駐留米軍への徹底抗戦を呼び掛けた。
AP通信によると、カルバラでの衝突は、中心部をパトロールしていた米軍戦車をマハディ軍がロケット弾で攻撃したのがきっかけ。シーア派のイマーム・フセイン聖廟(せいびょう)とイマーム・アッバス聖廟付近で激しい戦闘になった。
中部ナジャフやクーファでも二十一日、米軍とマハディ軍が衝突。米テレビCNNは、マハディ軍がナジャフの米軍基地を攻撃したと伝えた。
◎「すべてが演出であってほしい」、ニック・バーグの処刑ビデオ リバーベンドの日記 5月15日(04.5.21)
http://www.geocities.jp/riverbendblog/
(TUP/リバーベンドプロジェクト:池田真里)
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2004年5月15日土曜日
ここ数日…
ニック・バーグのビデオはおぞましさを通り越している。私は正視に耐えられず最後まで見ることができなかった。それは吐き気をもよおさせ、起こったことが信じられない。彼の家族は驚愕したに違いなく、私には彼らが感じたことを想像することさえできない。一切が進行中だし―まずアブ・グレイブそしてこれ−私は何も書く気になれない。
アンサー・アル・イスラムは原理主義のイラク北部に本拠地を置く−ほとんどクルド人による−戦闘的なグループ。彼らは自分達に最近名前を付け、前政権よりも地域に対する管理権を行使していたCIAの十分認識の下、クルド人自治区を「家」ホームグラウンドに選んだ。戦争の開始以来ずっと、様々な爆発や攻撃の首謀者であった−少なくとも彼らがそう言っている。首を切ることはイスラム教と全く関係がない。私は−無理を承知で−いまだ全てがグロテスクな演出だったと望んでいる。
あるニュース番組で初めてこのビデオを見たとき、茫然自失で棒立ちになり、気持ちが悪くなった。どうかすべてを放送しないようにと懇願しながら−得体の知れない力によって画面から目を離せないことが分かっていたから。戦慄した。私は衝撃を受けたのか? 私は驚いたのか? いいえ。私たちは、イラクの囚人の拷問の最初の写真以来これが起こると予測していた。多くの人が激怒し怖いくらいだった。ブッシュの不完全な謝罪やラムズフェルドの突然の訪問では和らげることのできないないある渇望と報復への欲求があった。
できるだけ最悪の方法で、アメリカ人や西洋人に衝撃を与えるため首を切るという「処刑」方法をグループは選択したのだろう。アブ・グレイブや他の刑務所の拷問者が他の手段ではその恐ろしくサディスティクな行為以上の効果をイラク人やイスラム教徒を傷つけ驚かすことはできないと分かっていて性的貶めを選択したように。イラク人にとって、死はレイプや性的虐待よりはるかにましなことなのだ。死を凌ぐ最悪があり、あの写真はそれらを描写していた。
イラクにいる外国人は、とてもとても慎重になっている。それは当然だ。多くの会社は彼らのスタッフを撤退させていて、残っている社員や契約相手に注意深く行動し、できるだけ目立たないようにと要請している。
アル・ザルカウィ自身が首切を行ったという仮定は、少し極端に思える。現在、世界のテロリズムの首領は、ウサマ・ビン・ラディン、アイマン・アル・ザワヒリ、アブ・ムサーブ・アル・ザルカウィであるようだ。考えるための材料をあげよう――ウサマはサウジアラビア出身、アル・ザワヒリはエジプト人、またアル・ザルカウィはヨルダン人だ。地域においてどの国がアメリカの最良の同盟国だろう? どれどれ…あなたはサウジアラビア、ヨルダンそしてエジプトと推測した!? すばらしい! 旅行が当たりました…ファルージャへの!! (
いえいえ、あなたがサウジアラビアの手の甲首にシッペを食らわせ、エジプトのわき腹をつつけば、あなたはまだ仲間。このことは数に入れないでおいてあげるわ)。
サディスティクな悪魔のラムズフェルドが町にいる間、今日300人あまりの囚人が釈放された。明らかに、現在拘留されている何千ものうち300人の囚人を自由にすることは、イラク人をなだめるための−ブッシュらしい中途半端なやり口なのだが−アブドラ・ヨルダン国王への不完全な謝罪だ。私たちにとってアブドラ国王とは何なのか。ブッシュがひざまずき彼に赦を求めることがなんだというのか? いったい全体、彼がイラク人の何を代表しているというのか?
南部のカルバラとナジャフは戦闘地帯だ。通りにはシーア派の戦士がいて、アメリカ軍の戦車とヘリは一定の地域を爆撃している。今日、アメリカ軍はナジャフの最も古い墓地を(イラクで最も神聖な地の一つ)を爆撃した。これは騒乱を引き起こし、現在アル・サドルは南部での戦闘に加わるよう人々に要求している。バグダッドへ難民がさらに流入している…今回は南部地域から。アメリカ軍は「反乱軍」に対し、ファルージャと同じ戦術を用いている。1991年にはインティファーダ(民衆抵抗運動)あるいは一般的な暴動と呼ばれていたのに、なぜ急に今は「反乱軍」といわれるの? ナジャフとカルバラの通りで戦っているのは訓練された戦闘員や前政権のメンバーではない…彼らは単にから約束やうわべだけの保証に飽き飽きしている人々。
バドル旅団が、アメリカ軍側についてサドルのグループと戦っているという噂があり、これはSCIRI(イラク・イスラム革命最高評議会)にとって良くない前兆だ。統治評議会の操り人形達やグループのスポークスパーソンは事実認定を棄権したが、ハキムやダーワ党のリーダーがムクタダらの壊滅を見ること熱望していると人々は嗅ぎつけている。
年末の試験がほとんどの学校でスタートした。学校運営者は、人的に可能な限り早急に終わらせようとしている。既に耐え難く暑くほこりっぽいが、暑さは夏が進むにつれさらに厳しくなる。昨年、試験は6月と7月に実施され、子供達は電気の来ない学校の夏の暑さのため卒倒した。私たちは、今年はそれを避けたいと望んでいる。
子供達がテストを受けている日中、地域発電所に学校がどうにか接続していられるよう、私たちは地域の学校に寄付をしている。車の中に捕らえられている、暑さで紅潮しぐったりした彼らをあなたは通りで見かけるだろう。私たちみんな、子供達が激烈な出来事に見舞われることなく(つまり比較的、激烈な出来事って事よ。)
年を終えることができるように祈っている。
バグダッドの空気は、最近よどんでむっとしている。この数週間、失望と消耗そして怒りと恐れに対する一種の諦めが、辺り一帯に立ちこめている。(翻訳:リバーベンドプロジェクト 山口陽子)
◎空自輸送拠点の空港に砲撃 イラク南部、タリル空港 (04.5.21)
防衛庁によると、陸上自衛隊が駐留するイラク南部サマワに近いタリル空港周辺に日本時間二十日午前(現地時間同日未明)、砲弾が着弾した。けが人はいない。
タリル空港への砲撃は初めて。航空自衛隊の輸送拠点の一つで、管理する英軍などが、着弾位置や砲弾の特定などを急いでいる。
タリル空港はサマワの南東約五十キロにあり、周辺は砂漠地帯。日中は米軍がヘリコプターで警戒飛行している。
◎「最悪の誤爆」濃厚に 英TV、幼女の遺体放映 (AP=共同)【バグダッド20日共同】(04.5.21)
シリア国境に近いイラク西部のカイム付近で十九日未明、米軍機の攻撃で住民四十人以上が殺害された事件は二十日、現地からの映像や住民の証言などから、昨年五月一日のイラク戦争の大規模戦闘終結宣言以降、最悪の誤爆である可能性がますます高まってきた。
二十日の英BBCテレビは、死亡した人々の埋葬場面で、幼い少女や老人の遺体を前に泣き叫ぶ住民らの姿を放映。AP通信は、被害者が催していた結婚式の祝砲を米軍が調査に来て立ち去った後、ヘリコプターが現れ、攻撃したとする地元医師の証言を伝えた。
ロイター通信によると、結婚式に首都バグダッドから招かれていた音楽家兄弟二人も死亡。親類の男性は同日、住民らは結婚式後、睡眠中に攻撃を受けたと語った。
◎首都などでの死者5千人超 イラクでAP集計 【バグダッド20日AP=共同】(04.5.21)
ブッシュ米大統領が昨年五月一日にイラクでの大規模戦闘終結を宣言してから今年四月三十日までの一年間に、犯罪やテロなどの暴力行為に巻き込まれて死亡したイラク人の数が、バグダッドとイラクの三つの州だけで計五千五百五十八人に上ることが二十日、分かった。
AP通信がバグダッドに加え、カルバラ、キルクーク、ティクリートの三都市がある三州の遺体安置所の記録を集計した。
このうちバグダッドが四千二百七十九人を占めた。バグダッドでは毎月平均三百五十七人が暴力行為によって死亡したことになり、これは二〇〇二年の月平均十四人をはるかに上回っている。
◎結婚式誤爆か、45人死亡 イラク、最悪規模の犠牲 祝砲誤認?米軍は否定【バグダッド20日共同=宇田川謙】(04.5.21)
イラク西部のシリアとの国境近くにあるカイム付近の村で十九日、米軍機がイラク人住民の結婚式会場を攻撃、子供十五人、女性十人を含む計四十二─四十五人が死亡した。AP通信が中部ラマディの警察幹部の話として伝えた。
米軍機が、結婚式参列者が祝砲を空に向けて撃ったのを攻撃と誤認して空爆した可能性がある。米中央軍は「外国人武装勢力の隠れ家を狙った攻撃」との声明を発表し、誤爆を否定。米軍報道官は同通信に対し「現地から報告がないのでコメントできない」とした。
◎全裸にし、怒声上げ暴行 イラク人拘束者が虐待証言【バグダッド19日共同】(04.5.19)
「米兵はおれたちを裸にし、怒鳴り声を上げながら殴り続けたんだ」。バグダッド郊外の旧アブグレイブ刑務所で、イラク駐留米軍に虐待を受けたイラク人元拘束者、ハシム・マハセンさん(34)は十八日、米軍の軍法会議を前に、当時の様子を証言した。
マハセンさんが拘束されたのは、昨年八月十九日。乗っていたタクシーがバグダッド市内で故障。現場に来た米兵に護身用の拳銃が見つかり、旧フセイン政権の民兵と疑われた。
九月下旬、アブグレイブの米軍拘束施設に移り、屋外にテント三十張りほどが並ぶ「キャンプ2」と呼ばれる施設に収容された。
十一月半ばのある日、収容者同士のけんかを見物していたマハセンさんは、監視員にとがめられ、収容者六人とともに、頭に袋をかぶせられ、手錠姿でトラックの荷台に放り込まれた。
米兵は七人を、旧フセイン政権下で政治犯らが虐待された刑務所の建物に移送。暴力を振るった後、ナイフで服を切り裂き始めた。
「無理やり手を自分の股間(こかん)に押しつけられた」。性的行為を拒むと、殴られた。頭から突然、袋がはぎ取られた。股間の前に別の収容者の顔。女性米兵が笑いながら写真を撮っていた。
米兵らはさらに、七人に裸になってピラミッドをつくるよう命令。ピラミッドが崩れると、何度もやり直させられた。メディアで繰り返し流れた人間ピラミッドや、たばこをくわえた女性米兵が拘束者の股間を指さす写真が撮られたのも、この時。「指さされているのは私だ」と、マハセンさんは告白した。
虐待が一通り終わった後は独房に。三日目にやっとオレンジ色の囚人服を与えられた。二十五日目に屋外の拘束施設に戻り、十二月三十日に釈放。その後マハセンさんは警察官になったものの、虐待の表面化で職場に居づらくなり、運転手に転職した。
◎カルバラで交戦、8人死亡 【バグダッド18日共同】(04.5.19)
イラク中部のイスラム教シーア派聖地、カルバラで十八日早朝、駐留米軍とシーア派の対米強硬指導者、ムクタダ・サドル師派の民兵が交戦し、イラク人少なくとも八人が死亡、十三人がけがをした。ロイター通信が目撃者の話として伝えた。
戦闘は、聖廟(せいびょう)付近でも行われ、民兵らが進攻してきた米軍戦車をロケット弾で攻撃。夜明け近くになって、収まったという。AP通信によると、北部モスルでは十八日、武装グループが民間人の乗った車を銃撃し、二人が死亡、一人が負傷した。外国人が乗っていたとみられる。
◎炎上げ黒煙噴き出す車両 惨劇、暫定当局の目の前で 【バグダッド17日共同】(04.5.18)
炎を出して燃え続ける車から黒煙が間断なく噴き出す―。バグダッドで十七日起きたイズディン・サリム統治評議会議長らが暗殺された自爆テロ。厳戒態勢が敷かれていたはずの連合国暫定当局(CPA)管理区域の目の前で、自動車爆弾による黒煙が立ち込めた。
爆発があったのは現地時間で午前九時四十五分(日本時間同日午後二時四十五分)ごろ。サリム議長がCPA管理区域の入り口前に車で到着した直後だったようだ。
◎統治評議会議長、暗殺 占領当局前で自爆テロ イラク人「最高位」標的【バグダッド17日共同=及川仁】(04.5.18)
イラクの首都バグダッド中心部にある連合国暫定当局(CPA)管理区域入り口付近で十七日、自動車爆弾が爆発した。ロイター通信によると、イラク人による暫定統治機関、統治評議会のイズディン・サリム(本名アブドルザハラ・オスマン・ムハンマド)議長ら少なくとも八人が死亡した。
イラク駐留米軍のキミット准将は自爆テロとの見方を示しており、米軍統治に協力するイラク人としては「最高位」の人物である議長を標的にした暗殺事件とみられる。
事件は六月末の主権移譲後の暫定政権協議など一連の政治プロセスの妨害を狙った可能性が高い。首都の占領当局中枢前での今回のテロは、イラクの治安情勢が急激に悪化していることをあらためて鮮明にした。
サリム議長は政治的に穏健なイスラム教シーア派組織の代表で、議長の輪番制を採用している統治評議会で五月の議長。
◎幹部派遣し騒乱組織 武装蜂起の舞台にサマワ サドル師勢力と治安当局者 【サマワ17日共同】(04.5.18)
陸上自衛隊が駐留するイラク南部サマワで続くイスラム教シーア派の対米強硬指導者サドル師の民兵組織「マハディ軍」によるオランダ軍などへの攻撃について、サマワの治安当局幹部は十六日、他の地域から送り込まれた少なくとも幹部二人が組織したものだと語った。
治安当局幹部によると、派遣されたのは、サドル師勢力幹部のキラニ師とカメルアッザマン師。
四月初旬から始まったマハディ軍によるイラク全土での騒乱では、サマワだけが例外的に“無風地帯”だった。しかし連日戦闘が続く現状は、サドル師側がサマワも武装蜂起の舞台として視野に入れたことを示している。
◎イラク聖地などで衝突続く 米兵死者、776人に 【バグダッド16日共同】(04.5.17)
イラク中部のイスラム教シーア派聖地カルバラなどで十五日から十六日にかけ、米軍と反米武装勢力の衝突が続き、バグダッドでは十五日夜、道路に仕掛けられた爆弾が爆発し米兵一人が死亡、一人が負傷した。AP通信によると、昨年三月にイラク戦争が始まって以来の米兵の死者は、七百七十六人となった。
ロイター通信によると、カルバラではシーア派対米強硬指導者、ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」がロケット弾などで攻撃、米軍は同市中心部に戦車十台を進攻させた。病院関係者によると、民兵一人が死亡、三人が負傷した。
AP通信によると、南部ナシリヤでも十六日、イタリア軍とマハディ軍とみられる武装勢力の戦闘があり、イタリア兵四人が軽傷を負った。民兵が迫撃砲などで連合国暫定当局(CPA)事務所を攻撃、CPAは十五日、職員八人をナシリヤ郊外の連合軍基地に避難させた。
◎交戦でサドル師派1人死亡 サマワの治安さらに悪化 2警官負傷、厳戒態勢続く【サマワ16日共同】(04.5.17)
自衛隊が駐留するイラク南部サマワの治安当局によると、同市内中心部で十五日夜(日本時間十六日未明)から十六日未明にかけて、イスラム教シーア派の対米強硬指導者ムクタダ・サドル師支持者と警官隊が散発的に交戦、同師支持者一人が死亡し、警官二人が負傷した。
十四日深夜から十五日未明にかけての交戦に続くもので、サドル師支持者らの「武装蜂起」によりサマワの治安情勢は一段と悪化、事態を懸念した部族長や住民ら約百人が十六日朝、市中心部にあるムサンナ州政府庁舎付近の広場で、サドル師支持者らを非難する集会を開いた。
治安当局者らによると、二度目の交戦はサドル師支持者らが拠点とする建物にオランダ軍と警察が踏み込み、制圧した後に発生。周辺で警戒中の警官に対し、付近からサドル師支持者らによる銃撃があり、警官が応戦した。警官二人は銃弾ではなく、手りゅう弾で負傷したとの情報もある。
◎サマワ中心部で交戦 武装勢力が連日攻撃 サドル師拠点制圧【サマワ15日共同】(04.5.17)
陸上自衛隊が活動するイラク南部サマワ中心部で十四日午後十一時半(日本時間十五日午前四時半)から十五日未明にかけ、オランダ軍と警察部隊がイスラム教シーア派の対米強硬指導者サドル師支持者とみられる武装勢力と交戦、イラク警察当局によると、イラク人治安当局者一人が死亡した。
サマワの治安当局者によると、同市内で十五日、サドル師の拠点を包囲していた警官らが何者かに銃撃され、二人が負傷した。
十五日正午ごろには、サマワを州都とするムサンナ州の政府庁舎付近を警戒中のオランダ兵が二発のロケット弾攻撃を受けた。
オランダ軍とイラク警察は同日、州政府庁舎から約五百メートル離れたサドル師支持者の拠点に通じる道路や市街地を通る主要道路を封鎖し厳戒態勢を敷いた。治安当局は同拠点を制圧、武器などを捜索すると同時に、同師支持者十五人を拘束した。
◎サマワ中心部で交戦 オランダ軍と武装勢力 戦後初の本格戦闘【サマワ15日共同】(04.5.17)
陸上自衛隊が活動するイラク南部サマワ中心部で十四日午後十一時半(日本時間十五日午前四時半)から十五日未明にかけ、爆発音や銃撃音が断続的に発生、複数のイラク警察当局者はイラク人治安当局者一人が死亡したと語った。サマワのイラク警察高官は十五日「オランダ軍はわれわれと共同して武装勢力に応戦、発砲した」と言明した。
昨年五月一日のブッシュ米大統領によるイラク戦争の大規模戦闘終結宣言後、オランダ軍がサマワで武装勢力と本格的な戦闘を展開したのは初めて。武装勢力は、イスラム教シーア派の対米強硬指導者サドル師の支持者の可能性が高い。
「イラクで最も治安が安定した地域」(駐留オランダ軍)とされてきたサマワの治安状況の悪化が、あらためて浮き彫りとなった。
◎統治評議会メンバーが抵抗 暫定政権組閣、正念場 【バグダッド14日共同】(04.5.17)
六月末の主権回復まで約一カ月半と迫ったイラクで、受け皿となる暫定政権の樹立交渉が正念場を迎えた。国連のブラヒミ事務総長特別顧問の構想に既成の政治勢力が抵抗しており、順調な主権回復となるか予断を許さない情勢だ。
グロスマン米国務次官(政治担当)は十三日、米下院外交委員会の公聴会で「今後一週間から十日の間にブラヒミ顧問が三十人のメンバーを選び、イラク側に提示する」と明らかにし、暫定政権の組閣へ向けた動きが本格化する見通しを示した。
ブラヒミ氏が国連安全保障理事会で示した案では、来年一月の選挙実施までの暫定政権メンバーを五月中に選出する。フセイン政権崩壊後に発足した暫定統治機構、統治評議会に代わる暫定政権をつくり、正式政権につなぐという構想だ。
しかし旧政権の崩壊後にイラクの新勢力として統治評議会に参加した各政党指導者らは、ブラヒミ構想では政党色が薄まり、新政権で権力基盤を失うと懸念している。
◎ジュネーブ条約違反認める 米軍司令官許可の尋問方法 イラク人虐待で国防副長官【ワシントン13日共同=沢井俊光】(04.5.17)
米軍によるイラク人虐待事件で、ウルフォウィッツ米国防副長官は十三日、イラク駐留米軍のサンチェス司令官が昨年十月に許可した収容者に対する尋問方法の一部が、戦争捕虜の保護などを規定したジュネーブ条約に違反していることを上院軍事委員会の公聴会で初めて認めた。
ラムズフェルド国防長官らはこれまで、イラクでの収容者にはジュネーブ条約が適用されると明言していた。この日の証言で、条約に違反する尋問方法を駐留米軍が認めていたことが明確になり、条約違反の尋問許可が激しい虐待の下地になったとの見方が強まった。
◎8割がCPAに否定的 イラク人を対象に調査 【ワシントン13日共同】(04.5.17)
米紙ワシントン・ポストは十三日、連合国暫定当局(CPA)がイラク人を対象に行った世論調査結果として、八割の回答者がCPAや連合軍にマイナスイメージを抱いていると報じた。
調査はシーア派武装勢力の反米闘争が激化し、イラク人虐待事件が発覚する前の三月下旬から四月初めにかけて実施された。
悪化する治安状況に関して、六割以上の人が「最も急を要する課題」と回答。イラク警察に対しては79%、新生イラク軍には61%の人が好感を抱いているとした。
主権移譲に伴い発足する暫定政権については、イラク人自身が任命すべきとした人が27%で最大。イラク統治評議会が任命すべきとしたのはわずか0・1%だった。
◎重要宗教施設挟み激戦 シーア派聖地カルバラ【バグダッド13日共同】(04.5.17)
イラク中部のイスラム教シーア派の聖地カルバラで十三日、同派の対米強硬指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」と米軍が衝突、シーア派の重要宗教施設であるイマーム・フセイン廟(びょう)を挟み、激しい戦闘が続いた。
アラブ首長国連邦の衛星テレビ、アルアラビーヤは病院関係者の話として、イラク人住民五人が死亡、十人が負傷したと伝えた。ロイター通信は目撃証言として、米軍戦車がロケット弾の攻撃を受け大破したと報じた。
フセイン廟は、七世紀に非業の死を遂げた同派の三代目イマーム(指導者)フセインが祭られている主要宗教施設。ロイター通信によると、同廟付近から黒煙が上がっているほか、もう一つの重要施設イマーム・アッバス廟付近でも銃声や爆発音が鳴り響いている。
◎米軍との戦いは続行 サドル師、民兵解散に含み 【バグダッド12日共同】(04.5.17)
イラクのイスラム教シーア派対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師は十二日、シーア派の聖地ナジャフで記者会見し「聖地が汚されないよう、戦士らに立ち上がるよう求める」と述べ、米軍に対する戦いを続けると主張した。同師の記者会見は、四月初めに駐留米軍と同師支持者との戦闘が始まって以来初めて。AP通信などが伝えた。
同師は一方で、シーア派の指導者らが同師の民兵組織「マハディ軍」の解散を求めるファトワ(宗教令)を出せば従うとの姿勢を示し、米軍との対立の政治的解決に向けた動きに含みを残した。
◎すべてわかっていた、刑務所での拷問 リバーベンドの日記から(5月7日)(04.5.14)
http://www.geocities.jp/riverbendblog/
(池田真里/TUP、リバーベンド・プロジェクト)
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2004年5月7日(金)
とにかく出ていって…
人々は怒りで煮えくりかえっている。アブ・グレイブ刑務所とバスラにおけるイギリス軍の写真についていたるところで語られている。バグダッドで手にする新聞のすべてに、英米軍の残虐行為の写真が掲載されている。それは、悪夢が現実となったようだ。
誰でも、アブ・グレイブや他の刑務所でこのようなことが起こっていることを知ってはいた…しかし、写真を目にするということは、とにかくその認識を明白で確実なものと突きつけられること。アメリカとイギリスの政治家は、「アブ・グレイブ刑務所に収容されている人々は実際のところ犯罪者である。しかし…」などと厚かましくもテレビで発言している。しかし、ここイラクでは誰でも、何千もの無罪の人々が拘留されていることを知っている。ある者は単に間違った時の間違った場所にいたことにより、またある者は「疑いがある」という理由で拘留されている。新政イラクでは、「神の奇跡によって無罪であると証明されるまで有罪」なのである。
人々は非常に腹を立てている。人々の反応を的確に表現する方法が見あたらない―占領を支持するイラク人さえあまりもの戦慄に沈黙している。人々がどのように感じているか―あるいは、私自身がどのように感じているか説明できない。イラク人の死体の写真のほうがアメリカの軍事技術によるこのグロテスクなショーを見るよりまだ我慢できる。アブ・グレイブ刑務所を監視するケダモノによって性的に虐待され貶められるより、むしろ死んだほうがましだろう。
ここの人々が占領軍に同情的な時があった。占領に賛成か反対かにかかわらず、国籍に関係なく、軍隊への哀れみの時期があった。彼らがイラクの太陽に苦しめられ、なんとかしてどこか別の場所に行きたがっていることが明白で、その脆弱さが彼らをそれほど恐るべき存在でなく、より人間的に見せたのだ。そんな時期は過ぎ去った。今、人々は軍隊を見ればアブ・グレイブの写真が重なる…そして私たちは、恥辱と怒りそして何もすることができないことに対するフラストレーションで全身が燃えそうになる。今回、世界中の人々は拷問が当初から行われていたことを知ったわけだが、これでやっと何がファルージャで起こっているか理解してくれただろうか。
私が訪れるすべてのサイトであの写真がなんらかのかたちで目に入ってくるように感じるので、インターネットを忌避している。私は、あの写真がそこになかったらという願いと全世界が見ることが重要であるという想いとの間で引き裂かれている。私を最も悩ましていることはたぶん、子供たちがそれを見ることができるということだ。顔がない裸の体の上に、いやらしいアメリカ人兵士の顔がむけられていることについてどのように子供たちに話せばいいのだろう。どのように病的でねじれた精神について説明すればいいのか。何が7歳の身にふりかかっているかをどのように話したらいいのだろうか。
バグダッドや他の場所でデモンストレーションが起こっている。アブ・グレイブ刑務所自体の外でも大規模なデモがあった。刑務所の収容者の数人の家族は拘留および残虐行為に抗議して、激怒に涙を流し心配で顔を歪めその中にいた。そこの人々、一人一人が、あのグアンタナモを温泉保養地のように見せる地獄の壁の内側で彼らの愛する者がどんな扱いを受け苦しめられているのかと心を痛めていた。
また、その渦中において、ブッシュは胸がむかむかするスピーチを行った。彼は中東のテレビ局に出演し、内気そうにそして誠実に見えるように振る舞いながら、このような行為が長い間行われていたという事実にもかかわらず、この「出来事」はアメリカ人あるいは軍隊すべてを象徴するものでない、などとわけのわからない事を言った。また彼は、アメリカ人に対する態度にこれらの写真を反射させないようにとイラク人に依頼した。一方で、アメリカ人がファルージャの通りを引きずられた報復に、アメリカ軍が都市全体を罰したというのに…
彼は云う。「これは、合衆国の名誉についたシミ」だと。いいえ、私はそうは思わないわ。いとしのブッシュ、あなたの祖国の名誉についたシミは、クリントンがまだワイトハウスにいた頃、大見だしで報じられた不名誉なあの青いスーツについていたもののこと…これは「シミ」などではなく、大災害。そして、あなたがイラクへ進攻し、WMD(大量破壊兵器)を見つけることができなかったその時、あなたの信用はなくなった…あなたの名声など最初から存在してなどいない。
アブ・グレイブ刑務所における残虐行為が本当にアメリカ軍の特性でないですって? グアンタナモでアメリカ人によって行われた残虐行為はなんなの? アフガニスタンは? 私はわざわざあさましい過去を引き合いに出さないわ。とにかく現在に注目しましょう。拷問と屈辱が、「アメリカ軍の駐留という恵みに授かった」国々で使用される共通の技術であるように見える。私がこれまで聞いた最も下手な弁解は、アメリカ軍の兵士がジュネーブ条約に謳われている人権の原則を教えられなかったということだった。正しいモラル、価値観そして思いやりを教えなければならない。
前政権が、自分たちの不確実な運命に怯えた米軍捕虜の写真をテレビで放映した時の全世界の怒りのことが頭を離れない。「アメリカ製の素敵な」服を着た傷ひとつない捕虜の姿をさらすなんてイラク人はケダモノだと主張した米国民からの抗議を思い出す。それなら、今回これはアメリカ人にとって何なのか。
私たちはすべてを聞いていた…占領当初から、何時間も正座を強いられ、冷水をかけられ、蹴られ、ぶたれて睡眠を何日も許されず、悪名高い「赤い部屋」に何日も勾留させられるという囚人の話を…強姦、劣悪な扱い、精神的・身体的な拷問の話を聞いていた。私たちが聞いていることは誇張なのだと信じたかった瞬間もあった。しかし今私は、それが真実の小さな断片だったことを悟った。この真実の体裁を繕うことなどできない。そんなものなどない。
このすべての間、統治評議会はどこに行ってしまったの。操り人形はどの石の下で隠れているの。なぜ誰もこれを非難しないの。なんでブレマーは自分とアメリカの釈明を行わないの。この耐えられない静寂は何?
私は、「衝撃」的な写真に対しアメリカ人がショックだと主張することが理解できない。あなたたちは軍隊がドアを壊し、女性と子供を震え上がらせ、恐れさせ、罵り、叫び、地面に押し、引きずり倒し人々の頭をブーツで踏みつける様を見たでしょう。軍隊が民間人を平然と撃つのを見たでしょう。軍隊が都市と町を爆撃するのを見たでしょう。戦車とヘリコプターを使用して自動車や人間を燃やすのをあなたたちは見たでしょう。この一連の暴虐はまったく恐ろしく驚きではないのですか。
南部での殺戮の数はさらに増えた。アメリカとイギリスは、彼らが「反乱軍」、およびアル・サドルの民兵の一部であると言っている。しかしナジャフの人々は、無辜の民間人が毎日死んでいると主張している。今日、軍隊はナジャフに侵攻した。また、通りで戦闘があった。ナジャフが聖都と考えられ、世界中のシーア派にとって最も大切な場所なので、これは暴動を引き起こす。南部の状況は、一体誰がこの時期人々を「保護する」ためにファルージャやナジャフのエリア一帯に飛行禁止区域を決定するのかだ。
私は時々解決策を提案してくれるようにと依頼する電子メールを受け取る。いいでしょう。本日のレッスン:強姦せず、拷問せず、殺さず、まだ選択の余地があるような場合−できることなら干渉しない…混乱? 内戦? 流血? 私たちは私たちの運命を引きうける―だから、あなた達の操り人形、あなた達の戦車、あなた達の精密兵器、あなた達の愚かな政治家、あなた達の嘘、あなた達のから約束、あなた達の強姦魔、あなた達のサディスティックな虐待者を連れて出ていって。
(翻訳:リバーベンド・プロジェクト
山口陽子)
◎聖地で戦闘22人死亡 サドル師、軟化の姿勢も 【バグダッド12日共同】(04.5.14)
イスラム教シーア派聖地のイラク中部カルバラで十一日夜から十二日にかけ、駐留米軍とシーア派対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」が交戦、民兵二十二人が死亡し、米兵六人が負傷した。さらに、米軍による砲撃や空爆で民兵の立てこもるモスク(イスラム教礼拝所)が半壊した。シーア派信者らの反発が強まる恐れがある。
AP通信によると、サドル師は十二日、シーア派の別の聖地ナジャフで記者会見し「聖地が汚されないよう、戦士らに立ち上がるよう求める」と述べる一方、シーア派の指導者らがマハディ軍の解散を求めるファトワ(宗教令)を出せば従うとの姿勢を示し、米軍との対立の政治的解決に含みを残した。
◎米国内に衝撃と怒り 虐待事件批判の鈍化も 【ワシントン11日共同】(04.5.14)
米民間人男性が首を切り落とされて殺害される映像がイスラム系ウェブサイトで十一日、公開されたことに、米国内では強い衝撃と怒りが巻き起こっている。衝撃的な事件の影響で、イラク人虐待事件で高まったブッシュ政権や米軍に対する批判が鈍る可能性もある。
CNNなど米主要テレビは虐待事件に関する議会公聴会を押しのけて、民間人殺害事件をトップニュースで報道。マクレラン大統領報道官は記者団に「(映像は)自由の敵の本性を示している。実行犯を捜し出し裁きにかける」と強く非難した。
◎米民間人殺害の映像公開 「虐待の報復」と首切断 米政権に新たな打撃【カイロ12日共同】(04.5.14)
国際テロ組織アルカイダと関連があるとみられるイラクの反米武装勢力が、拘束した米民間人男性ニック・バーグさん(26)=米フィラデルフィア在住=の首を切断して殺害する場面の映像が十一日、イスラム系ウェブサイトで公開された。
武装勢力側はこの殺害について、米軍によるイラク人虐待事件への報復だと主張し、さらなる殺害を示唆。衝撃的な映像は米国内に強い衝撃と怒りを巻き起こし、事件の影響を最小限に食い止めたいブッシュ米政権への新たな打撃となった。
◎武装勢力の脅威サマワにも 自衛隊の活動にも影響 【バグダッド11日共同】(04.5.12)
イラク南部サマワに駐留するオランダ軍兵士への襲撃は、至近距離から狙った攻撃で、イラク全土に広がる治安悪化が、比較的安全とされていたサマワでもいよいよ現実化し始めたことを明確に示した。今後の自衛隊活動にも影響を与えそうだ。
イラクでは、イスラム教スンニ派が米軍と徹底抗戦を続けていた中北部に加え、南部でも三月下旬ごろから、シーア派対米強硬指導者サドル師の民兵組織と連合軍との衝突が激化。南部の州都でサマワだけが、比較的平穏だった。
だが、旧アブグレイブ刑務所での米軍によるイラク人虐待事件などを受け、反連合軍感情は急速に悪化。さらに、国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン氏とされる人物が、日本やイタリアなどイラクに部隊を派遣している国の軍人らを殺害した者には金五百グラムを与えるなどとウェブサイトで呼び掛け、関係国に懸念が広がっていた。
◎オランダ兵2人死傷 陸自展開のサマワで初 サドル師支持者の犯行か【サマワ11日共同】(04.5.12)
陸上自衛隊が駐留するイラク南部サマワの中心部で十日夜(日本時間十一日未明)、パトロール中のオランダ兵に手りゅう弾が投げ付けられ爆発、オランダ国防省当局者によると、兵士一人が死亡、一人が負傷した。
サマワに駐留する部隊への攻撃で死傷者が出たのは初めて。自衛隊の活動にも影響を与えそうだ。
オランダの公共テレビによると、デフラーフ副首相は十一日、イラク警察が容疑者二人を拘束、取り調べていることを明らかにしたが、背後関係など詳細は不明。
◎サドル師事務所を完全破壊 米軍、2日間で35人を殺害 対米強硬派「徹底抗戦」へ【バグダッド10日共同】(04.5.12)
イラク駐留米軍は十日、中部ナジャフに立てこもるイスラム教シーア派の対米強硬派ムクタダ・サドル師を追い詰めるため、首都バグダッドのサドルシティーにある同師事務所を空爆で完全に破壊した。米軍はサドル・シティーで、九日から十日にかけ計三十五人の民兵を殺害した。
九日には中部クーファで同師が礼拝を行うモスク(イスラム教礼拝所)付近に戦車で進攻した。
ロイター通信によると、サドル師のスポークスマン、ハザリ師は事務所空爆に対して「抵抗運動は第二段階に入った。全イラク人に拡大する」と述べ、徹底抗戦の姿勢を示した。
◎油送管爆破で石油輸出減 イラク南部【バグダッド10日共同】(04.5.12)
AP通信などによると、イラク南部ファオ半島の二本の石油パイプラインのうち一本が八日、何者かに爆破され、十日も炎上を続けた。カタールの衛星テレビ、アルジャジーラはイラク南部からの石油輸出が急激に落ち込んだと伝えた。
フランス公共ラジオは輸出量が半減したと報道。一方でロイター通信は輸出が停止したと伝えており、詳細は不明だ。輸出量の減少が長引けば、復興途上のイラク経済にも影響する恐れがある。
◎米軍、サドル師派と激戦 クーファに戦車進攻【バグダッド10日共同】(04.5.11)
イラク駐留米軍は九日、バグダッド北東部サドルシティーでイスラム教シーア派の対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」と激戦を繰り広げた。また中部クーファでは同師が礼拝を行うモスク(イスラム教礼拝所)付近に戦車で進攻、サドル師派への圧力をさらに強めた。
九日深夜にはサドルシティー付近で数回にわたり大きな爆発音が鳴り響き、ロイター通信は目撃者の話として米軍機が空爆を行ったもようだと報じた。
AP通信によると、サドルシティーでの戦闘はマハディ軍が警察署を攻撃、複数の検問所を設けたことが発端。駐留米軍のキミット准将によると、米軍は二つの警察署を確保し、サドル師派民兵ら十八人を殺害した。
◎暫定政権に政治家登用を 米、ブラヒミ氏に要請【ニューヨーク9日共同】(04.5.11)
米紙ニューヨーク・タイムズは九日、ブッシュ米政権がブラヒミ国連事務総長特別顧問に対し、イラク暫定政権は有力政治家を排除して実務家を主体とするとした同顧問の構想を見直し、政治家の登用を求めていると報じた。
複数のブッシュ政権当局者によると、六月末のイラク人への主権移譲に伴って発足する暫定政権が実務家中心になった場合、しっかりしたものになるかどうかブッシュ政権内で疑問が出ているためで、ブラヒミ顧問にはイラク国内の各政治勢力に関係する人物の役割を尊重するよう要請した。
暫定統治機関である統治評議会のメンバーでもあるクルド人やイスラム教シーア派の政治家もこれに賛同し、ブッシュ政権のブラヒミ顧問への要請を後押ししているという。
◎サドル師派との戦闘続く イラク各地で米英軍 【バグダッド9日共同】(04.5.11)
イラクの南部アマラなど各地で九日、前日に続いてイスラム教シーア派の対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」と駐留米軍、英軍との戦闘が相次いだ。ロイター通信によると、首都バグダッド北東部のサドルシティーでは、米軍との戦闘でサドル師派の十八人が死亡した。
AP通信などによると、アマラではマハディ軍が行政施設や英軍の陣地を迫撃砲で攻撃。住民らは英軍ヘリコプターによる空爆で子供を含む市民四人が死亡、八人が負傷したとしている。
◎拡大統治評議会が選出を 暫定政権めぐり声明 【バグダッド9日AP=共同】(04.5.11)
イラク人による暫定統治機関、イラク統治評議会は八日、六月三十日の主権移譲の受け皿になる暫定政権について、拡大された統治評議会が選出するとともに、活動も監督すべきだとする声明を発表した。
暫定政権発足をめぐり、統治評議会と国連のブラヒミ事務総長特別顧問との間で深刻な意見の違いが残っていることがあらためて鮮明になった。
◎組織ぐるみと米兵反論 「上官の指示」と声上げる【ワシントン8日共同】(04.5.9)
バグダッド西方の旧アブグレイブ刑務所で起きたイラク人虐待事件で告発された米兵とその家族らが八日までに、虐待行為は「上官らに命じられただけだ」などと反論の声を上げ始めた。
ブッシュ米大統領やラムズフェルド国防長官らは「虐待は少数の者の仕業」と述べ、少数の米兵らに責任をとらせる意向を示しているが、軍が組織的に虐待を行っていた疑いがより濃厚となった。
米紙ワシントン・ポストは八日、告発された女性米兵、サブリナ・ハーマン技術兵(26)のインタビュー記事を掲載。軍情報担当者らから「イラク人が話をしたくなるように、眠らせず、地獄のような思いをさせること」などと虐待の指示を受けていたと語った。
一方、暴行、虐待の共同謀議などで告発されたリンディ・イングランド陸軍予備役上等兵(21)の家族は七日、ウェストバージニア州で記者会見し「彼女はスケープゴート(いけにえのヤギ)にされた」と訴えた。
上等兵の母親は「娘は『上官からは、供述を取るためには何でもしろと言われた』と話していた」と語り、虐待は上官の命令と主張した。
◎「反占領」で急接近 イラクのイスラム2派 【バグダッド8日共同】(04.5.9)
米国主導の占領統治が続くイラクで、イスラム教スンニ派とシーア派が急速に接近している。少数派スンニ派が実権を握った旧フセイン政権下では、多数派シーア派が冷遇され両派に溝もあったが、今は「反占領」の共通目的があるからだ。
七日の金曜礼拝では、スンニ派武装勢力が米軍に激しく抵抗した中部ファルージャのモスク(礼拝所)で、中部のシーア派聖地ナジャフなどから来た対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師支持者ら約四百人が礼拝。反米での両派の結束は駐留米軍も無視できない動きとなりそうだ。
◎カルバラで戦闘、8人死亡 シーア派聖地の衝突続く サドル師、対米抗戦訴え【バグダッド7日共同】(04.5.9)
イラク中部のイスラム教シーア派聖地カルバラの中心部付近で七日、駐留米軍とシーア派の対米強硬指導者ムクタダ・サドル師派による戦闘があり、ロイター通信は病院関係者の話として、イラク人八人が死亡、十五人が負傷したと伝えた。
サドル師は同日、イラク人虐待に関するブッシュ米大統領の謝罪を「不十分」と非難、あらためて米軍に徹底抗戦する姿勢を示した。
シーア派の別の聖地である中部ナジャフ近郊では六日、サドル派民兵組織と米軍との戦闘で民兵四十一人が死亡。AP通信によると民家も砲弾の直撃を受け、二歳の女児ら子供三人を含む市民六人が死亡した。
◎謝罪「遅すぎる」と反発 イラク国民 【バグダッド7日共同】(04.5.9)
ブッシュ米大統領が六日、イラク人虐待事件を謝罪したことについて、イラク国民は「遅すぎる」と反発している。大統領が謝罪しても無意味だとの突き放した見方もあり、不満は簡単に収まりそうもない。
◎米大統領が初めて謝罪 国防長官も議会に イラク人虐待の沈静化狙う【ワシントン7日共同】(04.5.9)
ブッシュ米大統領は六日、米軍によるイラク人虐待事件について「恥辱を与えて申し訳ない」と述べ、事件の発覚後、初めて謝罪した。ヨルダンのアブドラ国王とホワイトハウスで会談後、記者団に語った。
ラムズフェルド米国防長官は七日、上院軍事委員会の公聴会で、同事件や、虐待事実を隠ぺいしたとの疑惑について証言する。
AP通信によると、長官は虐待写真がマスコミで流される前に議会への報告を怠ったことを謝罪し、国防総省による虐待の情報の扱いなどを調査する独立委員会を設置する考えを表明。
◎ブラヒミ氏の活動難航も 反発や治安悪化が影響 【バグダッド7日共同】(04.5.9)
六月末のイラクへの主権移譲の受け皿となる暫定政権の円滑な発足などを目指し、国連のブラヒミ事務総長特別顧問が七日までにバグダッドで活動を本格化させた。しかし、ブラヒミ氏の構想に対する一部政治勢力の反発は強まるばかりで、イラクの複雑な政治情勢や治安の悪化も絡み、活動は難航が予想される。
◎ナジャフで民兵41人殺害 カルバラ中心部に米軍進攻【バグダッド6日共同】(04.5.9)
イラク駐留米軍は六日、イスラム教シーア派の対米強硬派指導者、ムクタダ・サドル師が立てこもる中部ナジャフの東方で、サドル師の民兵組織「マハディ軍」と交戦、民兵四十一人を殺害した。米軍はナジャフの州知事庁舎も奪還した。
カタールの衛星テレビ、アルジャジーラなどによると、米軍は中部カルバラでもマハディ軍と交戦。市の中心部に進攻してサドル師の事務所を破壊、米軍に抵抗を続けるサドル師への圧力を一気に強めた。
◎多国籍軍の指揮権など協議 安保理、新決議案めぐり 【ニューヨーク6日共同】(04.5.9)
国連安全保障理事会は六日、イラクへの主権移譲後も多国籍軍駐留を認めることなどを目的とした新決議案の採択を目指し、初の非公式協議を開いた。
ニューヨークの英国連代表部で開かれた約二時間にわたる協議には、安保理メンバー十五カ国の大使が出席。英当局者によると、英国大使が(1)多国籍軍の展開(2)六月末までに予定される主権移譲後の国連の役割(3)イラク産原油の輸出収益をめぐる取り扱い―など決議案に盛り込む予定の六項目の議題を提示した。
協議では、多国籍軍の問題を中心に話し合ったが、主権移譲後も新生イラク軍を含めて軍の指揮権を維持したい意向の米国と、フランスやドイツなどとの間で意見対立があったもようだ。
◎サドル師に聖地撤退要求 シーア派指導者ら 【ニューヨーク5日共同】(04.5.6)
イラクのイスラム教シーア派の指導者グループが四日、バグダッドで会合を開き、同派の対米強硬派指導者サドル師に対し、現在立てこもっている聖地ナジャフなどから民兵組織を撤退させるよう要求した。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が五日報じた。
会合にはシーア派の最高権威シスタニ師に近い聖職者グループなど宗教界、政界の有力者約百五十人が参加した。これほど大規模な会合を指導者らが開き、サドル師に撤退を迫ったのは初めて。
指導者らは、サドル師の民兵組織が宗教施設などに武器、弾薬を備蓄していると指摘し「聖地を武器庫に変えた」と非難。ナジャフとカルバラで民兵組織が立てこもる政府庁舎などを明け渡すよう求めた。
◎聖地でマハディ軍が攻勢 米軍との衝突から1カ月 【バグダッド4日共同】(04.5.6)
イラクのイスラム教シーア派の対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織マハディ軍と、米軍など連合軍の衝突が起きてから四日で一カ月。シーア派の聖地ナジャフに立てこもるサドル師やマハディ軍と、郊外に陣取る米軍のにらみ合いが続いているが、聖地突入をためらう米軍に対し、マハディ軍が攻勢に出る動きを見せている。
マハディ軍は二日夜から三日にかけ、迫撃弾で米軍拠点を断続的に攻撃。米軍が応戦し、AP通信によると、マハディ軍に約二十人の死者が出た。四月二十六日の交戦でマハディ軍六十人以上が死亡して以来の激しい戦闘となった。
◎女性も裸、軍用犬で威嚇 米紙、虐待の詳細を報道【ロサンゼルス3日共同】(04.5.6)
駐留米軍によるイラク人虐待問題で、米紙ロサンゼルス・タイムズは三日、同軍が女性を裸にしたり、軍用犬で威嚇するなど、精神的、肉体的に拘留者を執拗(しつよう)に虐げていた実態を軍の内部報告書を基に報じた。
報告書は軍が今年二月にまとめたもので、米誌ニューヨーカー(インターネット版)が二日に存在を明らかにしたが、虐待の詳細に関する報道は初めて。イラクを含むアラブ社会の反米感情が一層悪化するのは必至だ。
同紙によると、バグダッド西方の旧アブグレイブ刑務所内で昨年十─十二月の間、米軍関係者らが拘留者の指や性器などに電線を取り付け、電気ショックを与えると脅したり、軍用犬を使って威嚇し、重傷を負わせていた事実が判明。
◎アブ・グレイブ刑務所の虐待(リバーベンドの日記4月30日)(04.5.5)
http://www.geocities.jp/riverbendblog/
バグダードバーニング by リバーベンド
友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。
2004年4月30日(金)
写真...
それはおそろしいものだった。それらを見たとき、いろんな感情がよぎった。その最も突出したものはもちろん憤怒だった。何かものを破壊したいという抑えがたい欲求に衝き動かされた。事態を何とかマシにするため、あるいは怒りや屈辱を静めるために。これまでバグダッドのアブ・グレイブ刑務所についてはひどい話を聞いていたけれど、どの言葉も表すことができない様子をそれらの写真は呈していた。
裸にされ、無抵抗の、頭に袋を被せられた人々を見たとき、冷たい氷の手で顔をひっぱたかれたような気がした。見てはいけないものを私が見たというように...彼らを見たことが私を恥じ入らせた。そして脳裏に浮かんでくるのはただ「この顔の見えない人たちの誰かを知っているかもしれない...」ということだった。町で通りすがったり、一緒に働いていた人かもしれない。この人たちの一人から食料品を買ったかも、あるいは大学で座って講義を受けた...彼らの誰かは先生であったり、ガソリンスタンドのサービス員あるいは技術者...誰かはお父さんであったりお祖父さんであるかもしれず...彼らのひとりひとり、どの人もが誰かの息子やたぶん兄弟なのだ。そして、人々は数週間前にファルージャでおこった、あのアメリカ人たちが殺されて通りを引き回されたことがなぜ起こったのかを考えるのだ...
今日は誰も彼もそれらの写真のことしか話さない...恐ろしい写真。それほどの激怒とフラストレーションをみんなは感じている。これが「たまたまあった出来事」であり、また、「こんなことをした人たちを恥じています」といったことを主張する何十通もの電子メールが私のところに来ることはわかっている。でも、それが何だというの?アブ・グレイブのこの人たちはどうなるの?アブ・グレイブでの仕打ちで永久に傷つけられた生活や命や彼らの家族はどうなるの?何人かは次のようなメッセージを送ってくることもわかっている。「でも、これはサダム政権下でも起こっていたのでは...」。だから今起こってもかまわないと...過去にも苦しみがあったのだから、大量虐殺や拘留や拷問も、単なる小さな不運で片付けてしまおうと。私はずっとMのことを考えていた(訳注:3月29日の記述を見てください)。なるほど彼女は実に「幸運」だったといえる。そしてわかっているかしら?あなたがたは暴虐非道や何が起こったかの半分もしらないってことを。なぜなら、イラク人は誇り高く、気高いので、性的虐待については、誰でも進んで話題にするような主題ではないから。アブ・グレイブや他の場所での残虐行為は隠され、そして占領軍がもたらしている全ての他の恥ずべき事の下に埋もれてしまうだろう...
女性の囚人たちに起こっているにちがいないことを考えると私の血は逆流する。それは、憂鬱とか屈辱をはるかに超えたものだ。イラクの囚人たちのそばで笑っている兵士を見るとぞっとする。何とかして彼らが苦しめられることを私は望む。でもどういうわけか彼らは罰せられないということを知ってはいるけれど...
彼らは、せいぜい軍隊から除隊されて家に帰り、家族や仲間たちと一緒にその写真に乾杯するのだろう。「アメリカの精鋭」が「ばかなイラクのテロリスト」をどうあしらっているのか...に。ジャニス・カーピンスキー(訳者注:1月まで同刑務所の責任者だった予備役准将)がするであろうおそまつな弁解、どんなに彼女が彼女の父に子供の時虐待され、彼女の母は酒に溺れて早死にしたかということ。それが彼女がアブ・グレイブでやったことの理由だったなどと、いずれ本を書いたりするのだろう。本当に胸が悪くなる。
統治評議会はどこにいるの? 彼らはいったいどこに隠れているの?
私はこの件についてちゃんとおおやけに立件されることを要求する。このことに責任のある身の毛もよだつような兵士たちをおおやけに罰し、辱めることを要求する。彼らに有罪判決を下し、いかに恐ろしい人たちであるかを認定することを要求する。彼らがどんなことをしたかということを、彼らの子供たちやその子供たちにもずっと伝えつづけて欲しい。この囚人たちが受けた屈辱と痛みがイラク人のこころと魂に忌まわしい記憶として刻み付けられている限り...
(11:30 PM) リバーによって掲示
(翻訳 ヤスミン植月/リバーベンド・プロジェクト)
◎イラク新国旗に、民衆の怒りが爆発(04.5.4)
英インデペンデント紙 4月28日 掲載
多くのイラク人にとって、この新しい国旗は、「究極の侮辱」だ。米政府に任命されただけで、イラク国民に選ばれてもいない統治評議会が、祖国のシンボルとして親しまれてきた国旗を一夜にして捨て去り、新国旗を勝手に選んだことに対して、民衆は次々に怒りをあらわにしている。
ふだんは穏やかな意見しか言わない建築家のサラーは、こう語った。「私は腹が立ってしかたがありません。統治評議会の連中は、なんの権利があって私たちの国旗を替えたのですか? 彼らは米国の傀儡(かいらい)ではないですか? 新国旗は私たちイラク民衆を象徴するものではなく、裏切り者や占領軍協力者のシンボルです」
米軍によるファルージャの虐殺に、一般市民はすでに怒りを感じているのに、この新国旗の制定は、その怒りの火に油を注いで爆発させるようなものだ。 昨日、抵抗勢力の多いイラクの街では、人々が新国旗に反対するデモにくり出し、新国旗を焼いて不満をぶちまけた。
抵抗勢力は、イラク国民に人気のある旧国旗を捧げ持つことで、自分たちこそが愛国的な勢力だと証明することができるし、また新国旗を、海外占領軍にへつらう者たちの印としてさげすむこともできる。
すでに反米ゲリラ勢力は、赤、白、緑の旧国旗を自分たちの陣地にひるがえしたり、トラックにくくりつけたりして、「戦旗」として扱っている。
旧国旗の下に愛国心と宗教心を融合させようとするこの試みは非常に成功していて、占領軍に対するレジスタンス活動を広げるのに役立っている。
新国旗が一般市民をさらに怒らせている理由は、それがイスラエル国旗をモデルにして作られていると人々が信じているからだ。白地にイスラム教を示す青い三日月、その下にチグリス、ユーフラテス両川を示す青い横線2本があり、その間にクルド人を象徴する黄色い線が入っている。
青い横線2本がイスラエル国旗の青い横線2本と酷似していると、イラク人たちはいう。また、人口の80%がアラブ人なのに、クルド人の黄色を入れたのは、クルド人だけが米軍を全面的にサポートしたからではないか?と疑う者もいる。
サダム政権に反対していた人々でも、旧国旗に愛着を持っている市民は多い。雑貨店で働いているジャシームは、「旧国旗はサダムの国旗ではないんです。それはサダムのずっと前からあるイラク国旗で、わが祖国を代表するものです」と語った。
また23歳の学生ドゥラームは、こう語った。「私たちは旧国旗を振りながら、長年、イラクのサッカーチームを応援してきました。旧国旗は私たちイラク人を象徴していると感じます。今度の新しい国旗は嫌いです。イラクではないようです。それはまるで、イスラエルかトルコの国旗みたいです。でもなにが気に入らないかって、それがアメリカに押しつけられたものだから嫌いなんです」
去年、新しい国旗を制定してはどうかという提案があったとき、市民の間で強い反対意見が巻きおこった。しかし長年海外に亡命していたイラク人とサダムの反対派で成っている統治評議会は、一般市民の意見をまったく無視することで悪名が高い。
統治評議会は、デザイナーに三日月の青を濃いめの青にかえる注文をつけただけで、新国旗を承認してしまった。
新国旗のデザインは、ロンドン在住のアーチスト、リファット・チャディリによるものだ。彼のデザインが一番よかったという。しかし、リファットは、統治評議会の議員であり、新イラク国旗選定委員会の会長でもあるナシール・アル・チャディリの実の兄弟なのだ。
リファットは新国旗デザインのいきさつについて、こう語った。「新国旗のデザインコンテストがあったなんて、何も知りません。兄が電話をしてきて、統治評議会のために国旗をデザインしてくれないかと頼まれただけなんです。コンテストのことは知らされていません」
新国旗を制定した理由として最も説得力があるのは、クルド人が旧国旗を弾圧のシンボルとみなしていることだ。
しかし統治評議会のクルド人メンバーであるマハムンド・オットマンは、昨日、「国旗の変更については、選挙で国会議員が選ばれるまで待つべきだった」と語った。 (抄訳・パンタ笛吹/TUPチーム)
◎米軍へ攻撃相次ぎ9人死亡 イラク中部やバグダッド【バグダッド3日共同】(04.5.4)
イラク中部ラマディ付近や同じく中部のイスラム教シーア派聖地ナジャフ、首都バグダッドで二日から三日にかけ、駐留米軍基地に迫撃弾が撃ち込まれるなどの攻撃が相次ぎ、米兵七人とイラク人二人の計九人が死亡、四十五人以上が負傷した。
ラマディ付近の攻撃は武装勢力によるものとみられ、ナジャフはシーア派対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」によるとみられる。
◎「米軍の服着たサダム」 怒り収まらぬイラク市民【バグダッド3日共同】(04.5.4)
「米軍の服を着たサダム(フセイン・イラク元大統領)だ」。一連の写真で明るみに出たイラク駐留米軍によるイラク人への虐待。イラク市民の間で急速に盛り上がった反米感情は、収まる気配がない。アラブのメディアは連日トップ級で報道しており、六月の主権移譲に向け、ブッシュ米政権に大きな障害が生まれつつある。
虐待の舞台の一つとなった旧アブグレイブ刑務所は、フセイン旧政権下で政治犯の拷問などが行われた場所。今回の事件は、旧政権下の悪夢を呼び起こすことになった。
バグダッドの医師サエイフ・アリさん(28)は「旧政権時代に逆戻りした」と憤激。コンピューター技師のルアイ・ファウジさん(27)は「解放者の米軍も今や犯罪者だ」と失望感をあらわにした。
◎攻撃で米兵5人死亡 イラク首都や南部など【バグダッド2日共同】(04.5.3)
イラク駐留米軍によると、バグダッドと南部アマラ、北部キルクークで一日から二日にかけ、武装勢力の攻撃を受けた米兵計五人が死亡した。
アマラでは一日夜、米軍の車列がロケット弾などによる攻撃を受け、米兵二人が死亡。英軍との合同作戦中だったという。AP通信によると、イスラム教シーア派の対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織「マハディ軍」が攻撃した。
同通信によると、アマラでは駐留英軍とイラク人武装勢力との間で約十二時間にわたる戦闘があり、イラク人五人が死亡、英兵八人が負傷した。
◎ブラヒミ構想に反発 暫定政権の人選難航か【バグダッド2日共同】(04.5.3)
六月末のイラクへの主権移譲の受け皿となる暫定政権の人選などを詰めるため、国連のブラヒミ事務総長特別顧問が近くイラク入りし、政治、宗教勢力指導者らと協議を進める方針だ。
しかしブラヒミ氏の暫定政権構想や、主権移譲後も実質的な権限を維持しようとする米国の方針にイラク側の反発が強まっており、同氏が目指す五月中の暫定政権の人選は難航が予想される。
ブラヒミ氏は四月二十七日の国連安全保障理事会での報告で、暫定政権の正副大統領、首相らの人選を五月末までに決める考えを表明した。 これに対しイスラム教シーア派聖職者でイラク人の暫定統治機関、統治評議会メンバーのウルーム師はロイター通信に「われわれは保護者同伴が必要な年齢ではない」と反発、暫定政権は国連ではなく統治評議会が決めるべきだと主張した。
◎イラク人死者1361人 4月、米兵の10倍に 治安悪化浮き彫り【バグダッド1日共同】(04.5.3)
イラクで四月に戦闘行為に関連して死亡したイラク人は、AP通信の集計で千三百六十一人で、同月の米兵死者百三十八人のほぼ十倍に上ることが一日、分かった。
米兵の四月の死者数はイラク戦争後、月間で最多だったが、市民や警官、武装勢力を含むイラク人の死者数はほぼ十倍にも達した。一日はブッシュ米大統領がイラク戦争の大規模戦闘終結を宣言してからちょうど一年だが、治安状況の悪化が一段と浮き彫りになった。
米軍と武装勢力の戦闘が激しかった中部ファルージャで、地元病院は七百三十一人のイラク人が死亡したとしており、APはこの数字を集計に含めた。イラク保健省は四月二十二日の時点でファルージャでの死者を二百七十一人としている。
一方、イラク駐留米軍は一日、西部アンバル州で四月三十日に米海兵隊員二人が自爆攻撃で死亡したと発表。四月の米兵死者数は計百三十八人となり、昨年三月のイラク戦争開戦以来、月間で過去最悪の記録となった。
◎日記「リバーベンド・ブログ」。4月26日(04.5.1)
http://www.geocities.jp/riverbendblog/
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2004年4月26日月曜日
チャラビ、旗、国歌・・・
過労にはふたつある。ひとつは、肉体の過労。たとえばバケツに水を入れては階段を上ったり降りたりして屋上のタンクをいっぱいにする。これを40回繰り返す――4回めか5回めで、筋肉が皮膚の下でぶるぶる震えているのがわかる。バケツをおくと、腕は頼りなく重さがないみたい――なくなってしまったような感じだ。もうひとつは、こころの過労・・・それは、このバケツ運びを頭の中でやる、40杯分の水が、次々と空けられていく過程を思いえがくとき、また心配や怒りや恐怖がどっとあふれて叩きのめされそうなとき。
まわりの人はみんな、このこころの過労状態だと思う。それは目の中に見てとれ、緊張した声に聞きわけることができる。激しい感情の重荷でいまにもぶっちぎれそうだ。みんな、まわりを用心深く見張りながら、なんとか平常半の生活を送ることに神経を集中しようとしている。つなわたり。南部の状況は悪化するばかりで、毎日何人もの新たな死者の報を聞く。ファルージャでは、再び戦闘が開始された。停戦はいったいどうなったんだろう。いま何が起こっているのかだってわからない。深い疲労感がわたしたちを被っている。
チャラビが(うまくいけば)ほされかかっているという、記事を読んでいた。チャラビが役立たずだという結論に達するのに、ワシントンはこんな長い時間が必要だったとは、信じられない話だ。チャラビが新時代のリーダーとして歓迎されるだろうって思ってた人、いる? みんな、この1、2週間、ファルージャ攻撃の間、チャラビが何をするか何を言うかと注意深く見ていた。重大局面だった・・・みんな、操り人形評議会のなんらかの動きを期待していた――ともかくなんらかの動きを。非難の言葉・・・殺されていっているまたホームレスに捨ておかれているイラクの人々との連帯の表明を。だが、あるのは奇妙な沈黙だった。評議会のメンバーひとりが、辞任を振りかざして脅した。しかしそれも憤激したイラクの人々が、この事態をなんとかしないと評議会メンバーを叩きのめしてやるという姿勢を見せてのちのことだった・・
チャラビはごく最近になって自分の安全な場所からあえて出てきて(いつものけばいネクタイで)、選挙の可能性を探るためにコフィ(国連事務総長)から送り込まれた国連特使ブラヒミは、全面的に反シーア派で偏向していると叫んでいる。それで、チャラビはいまや自分がイラク中のシーア派の擁護者であると思っているらしい。この構図の愉快な点は、誰もチャラビに、シーア派の間ではおまえはジョークになってるよと教えてやってないらしいことだ。イラク人(スンニ派とシーア派)はこんなふうにからかいあっている。「じゃ、‘シーア派、時の人’、チャラビってわけだ、なるほど」。すると、言われたほうは憤然として、そんなんじゃない、チャラビはたとえばイラクの・・・ブリトニー・スピアーズだ。
テレビで演説しているチャラビをじっと見る。そして、彼がイラク社会のなんらかの党派を代表していると考える人がどこかにいるなんてことがあるんだと思ってつくづくいやになる。チャラビがイラクの知識人と非宗教主義者の旗手だと思われているなんて信じられない。彼はブッシュ株式会社が、民主主義推進のためといって、兵士や戦車と一緒にイラクに送り込んだおもしろくもないジョークだ――17、8の男の子が卒業記念ダンスパーティのためにダンスを練習するときの、プラスチック人形のお相手みたい。
今日はまたこんなニュースもある。操り人形たちが国旗を変えるんだって。前のとはちっとも似ていなくて、初めはすごく不愉快だった。しかし、関係ないんだと気がついた。操り人形評議会には法的根拠はなく、よってそこで制定した憲法は無効で、そこで決定した旗はそこだけのものだ。その旗は、評議会がイラクを代表している程度に、イラクを代表している、その程度のものだ――内側の縫い目にそって“メイド・イン・アメリカ”と縫いとりがしてあるんだろう。あれは操り人形評議会の旗で、見るたび、その薄青い地色にチャラビたちの顔を見るわけだ。
アメリカにいるメール友だちで同業イラク人のシステム・アナリストは、こんなことを言ってきた。彼女のメール中の傑作。「イラク人のみなさんは、まったく法的根拠のないイラク操り人形評議会の手によって、輝かしい色合いの国家的布きれが制定されたことの著しい重要性にきっとひじょうに興奮していることと思います。もちろん新国旗のデザインは、いつも趣味のよい着こなしの自称対テロ専門家イラク総督、ポール・ブレマーが承認したもので、彼は、手縫いの戦闘用ブーツ、何千ドルの特注スーツ、シルクのデザイナー・タイを着用していることで有名です。次回の大ニュースは、国旗と国旗が代表する帝国に対して斉唱される’忠誠の誓い’となります。忠誠の誓いのアメリカ人作者の名前はまだ発表されていません。」
近々制定される国歌の歌い手として、イラク版“レディ・ママレード”の豪華メンバー、チャラビ、アラウィ、ハキム、タラバニを提案させてください。リバーによって掲示 午後11時37分
(翻訳:TUP/リバーベンド・プロジェクト、池田真里)
◎イラク・ディスパッチ ダール・ジャマイル特派員がバグダッドから報告する 2004年4月19日(04.5.1)----------------------------------------------------------------------
バグダッドの医師がファルージャでのクラスター爆弾使用を報告、米兵による患者へのいやがらせ
ダール・ジャマイル 2004年4月19日午後10時53分(バグダッド時間)に公表
バグダッドにおけるうわさ話はこうだ「自動車爆弾の自爆攻撃中止はその背後にCIAがあったということの証明である。なぜ?なぜならばと一人の男が語る。「(CIAエージェントが)今は戦闘にあまりに忙しいし、彼らが爆弾を使って引き起こそうとしていた不穏な状態は、いままさに達成されているから。」
本当なのか、そうでないかはともかくとして、確かにイラクでは占領者のイメージに良い兆しが示されるようすはない。
一昨日の晩私は、中央バグダッドで非常に大きい爆発と、それに続く3つの小さい爆発によって目覚めさせられた。今朝も私は、再び1つの大きい爆発と、それに続くいくつかのより小さい爆発で目覚めた。
非常に多くのジャーナリストがイラクを立ち去り、残留する大多数の人たちが(宿泊先のホテルの近くに足止めされているという状態におかれているため、地上で起きている出来事について正確な情報を手に入れることがいっそう困難になっている。
我々はここで、言うまでもなく移動をすることは、悪化する治安情勢のためにますます困難に直面することになった。
イラクの首都における毎日の(そして毎晩の)生活を象徴する散発的な砲火と、恒例となった爆撃は別として、少なくともイラクの他の地域と比較して、ここでは比較的静穏であり続ける。私が感じていることは、ここに住む多くのイラク人は(直接軍と戦っている者は別として)、ナジャフとファルージャに対して注目をしつつも静観的な位置に最も近いということである。
けれどもこれは現実の話、おおっぴらに戦闘をしているわけではない中央バグダッドのそれと矛盾していて、暴力と緊張は表面下で沸騰状態にある。アラブ子供病院への最近の取材において、尋ねたときに在籍した人の中で最も高い役職にあったワ−ド・エダン・ルイ博士が述べた「侵略の前に、我々は毎晩300人の患者を診ていた。今、治安がそれほど良くないから、我々は100人しか診ていない。」
一方、アル・アダーミヤのノーマン病院で、私の取材に匿名を条件に応じてくれた医者が述べた「我々は平均1日に1つの銃傷を治療しているが、私たちは占領の前に決して見なかった種類のものだ。これはバグダッドで法の支配が及んでいないことの帰結である。イラクの警察は脆弱な武器しか持っておらず、誰も彼らの権威に敬意を払わない。」
彼は同様に米軍兵士が抵抗戦士についての情報を求めてい病院に来たと述べた。彼は言う「私の方針は、アメリカ人に私の患者を与えないこと、そして少しの情報でも提供しないことだ。私は患者のために、アメリカ人への情報提供を拒否する。私は私の患者が病院の壁の外で何をしたかなど気にしない。私は私の仕事をし、その後患者は出て行くだけだ。」
「10日前にこれは起きた...人々が、大部分が子供たち、女性たちと高齢者であったけれども、ファルージャに入り始めた後、これは起こった。」
米軍がファルージャで文民を爆撃していたかどうか尋ねられて、彼が述べた「もちろんアメリカ人は、革命派とともに文民も爆撃している。1年前にファルージャに革命はなかった。けれども彼らは家を捜索し、人々を侮辱し始め、そして人々を怒らせた。人々は腹を立て、デモをし、その後アメリカ人はデモ参加者を撃った。それがこのファルージャ革命の始まりだった。それはサドル・シティでも同じだ。」
彼が怒って続けた「文民に対する侵略がこのすべてを起こした。占領後の最初の2カ月間は何も起きなかった。人々はサダムがいなくなったことがうれしかった。そして今、もしアメリカ人がナジャフを侵略するなら我々は神のお慈悲を望むだけだ。」
侵略と占領の間にクラスター爆弾が一般のイラク人に使われたと伝えられている。
匿名を条件に取材に応じたもう1人のノーマン病院の医者が、米軍が撤退した12月、アル・ドーラ地域にクラスター爆弾を落としているのを見たと述べた。「私はすべて私自身の目でそれを見た。兵士は自分のヘルメットに集めたクラスター爆弾の子爆弾を入れていた。米軍はそうやって不発弾を取り除いていた。」
負傷したファルージャ市民が述べたことと同じ証言が、現在働いている現場の医師からももたらされていることから、ファルージャでクラスター爆弾が使われていることは間違いないとみられている。
さらに彼は、治療したファルージャの犠牲者は、その多くが「ダムダム弾」で撃たれていたと主張した。その銃弾は撃たれた後に体の組織に最大の損傷を与えるように設計されている「ホローポイント弾」だという。これらは「銃創を拡大して」いると主張している。
ディスカッションの終了間際に、最初に語った医師は「米国は攻撃性を誘発する。もしあなたが私を攻撃しないなら、私は決してあなたを攻撃しないであろう。米国はイラクの人々の攻撃性を刺激している!」
バグダッドのアル・カラム病院で匿名を条件に取材に応じた医者が、彼の同僚の一人がちょうどナジャフから戻ったところだといった。彼女はスペイン軍が病院を占領していたために、そこで働くことは不可能だったと、アル・カラムに言った。ナジャフのアル・サドル大学付属病院の屋根は、スペイン軍の基地を見下ろす位置にあったため、軍が戦略上の目的で病院を接収した。
アル・カラム病院の医師は「アメリカ人は何がイラク人に起こっているか気にもしない。」と述べた。
バグダッドでアル・カー病院に似たような話がある。病院管理部門の一人が匿名を条件に取材に応じて「米軍兵士は常に我々に私たちの負傷者に関する情報を求めてここに来る、しかし我々は彼らに情報を与えない。」と述べた。
フセイン・カリム、サドル・シティのモハンメッド・ベイカー・ハキム病院の管理助手は、兵士が病院を占拠したり訪れたりする以前から、米軍兵士が病院の一台の救急車を撃って、運転士に怪我をさせたと言った。また彼は、2週間前の戦闘が始まった最初の日にサドルシティで女性や子どもばかりの90人の負傷者と32人の遺体を収容したと述べた。
ヤーモーク病院の、筆頭医師がファルージャの状況を語った。 彼はファルージャでの米軍の包囲攻撃最初の日に、傷ついた人たちが数多く彼の病院に搬送されたと語った。彼は「我々は別の病院に兵士を誘導しようとしたけれども、アメリカ人は私の患者に質問するためにここに来た。」と続ける。
彼は、彼が大虐殺と呼ぶファルージャの状況に憤慨しており「アメリカ人は治療支援のためにファルージャに来た我々の医師の何人かにまで発砲した。ミサイルで車が攻撃を受け、我々の医師の1人が負傷した。そのうえファルージャにいる私の医師からの報告では、アメリカ人は、ファルージャの主要な病院に対してと同じように、救急車さえも撃っている。」
「ファルージャの私の医者は、アメリカ人がクラスター爆弾を使っていると報告した。私たちが治療したファルージャから来た患者も同じことを言っている。」
クラスター爆弾の使用は国際法上、そうでないとしても少なくとも「法の精神」として戦争犯罪であると言われている。投下された後に残る不発弾が対人地雷と同じ影響を与えるから、クラスター爆弾が(米国がなにがなんでも署名することを拒否した)対人地雷禁止条約に違反する。
彼は続けて「ファルージャで一人の私の医者が、その場にいたアメリカ人に、傷ついた患者を都市から移動させることができるかと尋ねた。兵士は彼に犠牲者を動かすことはできないと言い、そして続けた「我々はここで死んだ兵隊といっしょにいるんだ。ここは戦場だ。」医師は負傷した男を移動させることが許されなかった。そして彼は死んだ。非常に多くの医者と救急車がここのチェックポイントから引き返すのを余儀なくされた。」
この同じ医師の報告によれば、アメリカ軍兵士はファルージャで救急車を撃つだけでは飽きたらず、それに加えて女性たちと子供たちを殺しているのを見たという。
私がその話をした医師は彼の怒りをこう表現した「アメリカが我々にもたらした自由とはいったい何だ。マシンガンの自由か。同じように私が私の銃をとって、そしてあなたたちを撃つことが自由にできるとでもいうのか。」
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ダール・ジャマイルはニュースタンダードのバグダッド特派員である。アラスカ出身の彼は、占領されているイラクから、語られない物語を記事にすることに専念している。ダールへカンパをすることによって、イラクにおける彼の重要な仕事を支援することができる。もっと多くの情報のために、あるいはダールにカンパするために、ニュースタンダードのサイトを訪問してください。
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おことわり:上記の記事に表明されたいかなる意見も著者の個人的なものであり、それらは必ずしもニュースタンダードあるいはピープルズネットワークスのスタッフの考えを表わすものではない。この項目は、硬いニュース論文ではなく、ウェッブログの項目であって、そして必ずしも完全に事実をチェックされたものではない。
原文URL
http://blog.newstandardnews.net/iraqdispatches/archives/000211.html
(翻訳 山崎 久隆 TUP/劣化ウラン研究会)
◎ファルージャから部分撤退 米軍、陣地引き渡し【バグダッド30日共同=三宅利昌】(04.5.1)
イラク中部ファルージャで包囲作戦を続けていた駐留米軍は三十日、地元代表との合意に基づき複数の包囲地点から撤退を開始、ファルージャ入りしたイラクの新たな治安部隊が陣地や検問所を引き継いだ。
三週間余りの米軍の包囲作戦で六百人以上のイラク人が死亡したとされ、米軍側にも大きな被害が出たファルージャ情勢は新たな局面を迎えた。
しかし駐留米軍のキミット准将は三十日、ファルージャ周辺の海兵隊配置は継続すると表明。部分的な撤退であることを強調し、イラク側の出方次第では再び強硬姿勢に転じる可能性を示唆した。米中央軍のアビザイド司令官は同日の会見で、イラク人部隊だけで治安維持に当たるのは時期尚早との認識を示した。
◎副長官「最終合意はまだ」 米軍撤退、なお不透明【バグダッド30日共同】(04.5.1)
イラク中部ファルージャを包囲している米軍が撤退すると現地の米海兵隊司令官が二十九日明らかにしたことについて、ウルフォウィッツ米国防副長官は同日、米軍は地元代表との間で最終合意に達していないとし「(ファルージャは)分かりにくい情勢となっている」と語った。実際に撤退が行われ、戦闘終結につながるかどうかは不透明だ。
AP通信によると、現地の海兵隊司令官は当初「合意成立」と語ったが、後になって「細部」の詰めが必要だと話しており、合意は暫定的なものとみられる。米国防総省報道官は、三月三十一日の米民間人四人殺害事件の容疑者引き渡し問題が決着していないとの見方を示した。
◎ファルージャ撤退で合意 既に一部は開始米軍、攻撃は継続 29日、イラク中部ファルージャの前線基地から撤退を始めた米海兵隊の部隊(AP=共同) 【バグダッド29日共同】(04.4.30)
イラク中部ファルージャを包囲する米海兵隊司令官は二十九日、包囲を続けてきたすべての米軍部隊が撤退し、旧フセイン政権軍幹部が指揮する新たなイラク人部隊が三十日から治安維持のため市内に入ることで地元代表と合意したと明らかにした。AP通信などが伝えた。
ロイター通信によると、米軍の一部は既に二十九日に撤退を始め、地元警察幹部は三十日に米軍の撤退が完了すると述べた。
しかし、ロイター通信などによると、米軍は二十九日もファルージャに空爆を行ったほか、散発的な銃撃戦も起きた。二十六日から四日連続の攻撃で、イラク人側の反米感情が強まっており、米軍の撤退が予定通り順調に行われるかどうか、予断を許さない情勢だ。
◎米が武装勢力拠点狙う 総攻撃辞さずと大統領ファルージャ激しい戦闘【バグダッド28日共同】(04.4.29)
イラク駐留米軍と武装勢力側が対峙(たいじ)を続ける中部ファルージャで二十八日、新たな戦闘があり、ロイター通信によると、米海兵隊は攻撃ヘリコプターや戦車を投入し、武装勢力側を激しく攻撃した。ブッシュ米大統領は同日、「米軍司令官はファルージャを確保するために必要な行動を起こす権限を持っている」と述べ、総攻撃も辞さない姿勢を示した。
戦闘が起きたのは北部ジョラン地区で、米軍の攻撃ヘリなどが機銃掃射し、武装勢力が応戦。爆発や銃撃音が続き、市街地からは黒煙が上がった。海兵隊幹部は、武装勢力の拠点である鉄道駅確保が目的と説明した。
しかし英BBC放送(電子版)は、救急車が米軍側から攻撃されたとの医師らの証言を報道。米軍の攻撃で約八百人が死亡したとする住民側は、米軍が殺傷力の強いクラスター(集束)爆弾を投下、停戦中も一般住民を狙撃したとしている。
◎危ぶまれる停戦継続 相互不信強いファルージャ【バグダッド28日共同】(04.4.29)
イラク駐留米軍と武装勢力側が対峙(たいじ)を続ける同国中部ファルージャでは二十七日夜も空爆を含む激しい戦闘があり、停戦継続が危ぶまれている。今月五日に始まった米軍の包囲は三週間以上も続き、米軍と住民側双方に多数の犠牲者が出ていることが相互の不信感と憎悪を強めており、本格停戦の実現には悲観的な見方が広がっている。
連合国暫定当局(CPA)は、ファルージャでは二百人の外国人兵士を含む武装勢力約二千人が一般住民を「人質」にして反米闘争を続けていると強調。国際テロ組織アルカイダとのつながりが指摘されるヨルダン人アブムサブ・ザルカウィ氏が「ファルージャかその周辺にいるようだ」(セナー報道官)とし、攻撃はあくまでテロリスト掃討が目的と説明する。
しかし英BBC放送(電子版)は、ファルージャ市内で米軍の支配地域に入ろうとした救急車が爆破されたり、数回にわたり狙撃されたとの証言を紹介。医師や援助関係者は「米軍からの攻撃に間違いない。車両には英語で救急車と明記されていた」と批判している。
◎イラクのアンネ、リバーベンドの日記から 4月23日(04.4.29)
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戦火の中のバグダッド、停電の合間をぬって書きつがれる24才の女性の日記「リバーベンド・ブログ」。イラクのふつうの人の暮らし、女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列と水汲みにあけあけくれる毎日。‘イラクのアンネ’として世界中で読まれています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。
http://www.geocities.jp/riverbendblog/
日本人人質事件に同情を寄せ、ファルージャの暴虐を報告したあとで、約10日書き込みがなく、心配していました。この前2週間書き込みがなかったときは、親戚が誘拐されていたので。何事もなかったようですが、このところリバーに深い疲れが見られます。
(解説 池田真里/TUP)
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◎バグダードバーニング by リバーベンド
友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。2004年4月23日 (金)
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説明などできない...
この一週間くらい書き込みをしなかった。そんな気になれなかったからだ。時に宿題のように重荷に感じたり、書かなかったことに後ろめたさを覚えたりしたことさえある。なぜブロッグしないのか、少なくとも電子メールをチェックしないのか非難するように見返すので、私はコンピューターを見ないようにする。実をいうと、私たちのまわりであまりにも多くのことが起こっているので、ささやかなブロッグに要約し始めることができない。南部の状況とファルージャにおける停戦まがいに、私は苦しみつつ腹を立てていた。現在私の廻りに漂っている感情を的確に表現できるものは何もない...それはモリッシーの歌に似ている:
今、私の心はいっぱいで
今、私の心はいっぱいで
説明などできない
だから、説明しようとさえしない
ファルージャは一種の休戦状態だが、都市部ではまだ爆撃が続き、どちらの陣営からも死者が出ていると聞く。難民はいぜんバグダッドおよび近隣の都市にいる。この2、3日、軍隊が1日当たり約80組の家族の流入を認めていると聞いたが、今では1日当たり15組の家族に減少したと聞く。難民は家に戻ることに不安そうで、家族を都市部に残す人も多い。
さらに、南部の状況、特にカルバラは気がかりだ。連合軍とアル・サドルの民兵との衝突の話が流れてくる。さらにバスラとバグダッドで爆発があったという。しかし、そんなこともうニュースにもならなくなった。イラク人は、砂塵嵐、停電および蚊と共にそれらをうまく切り抜ける。それは生活の一部になり、ちょうどアメリカ軍による道路封鎖をくぐり抜け、ますます高くなるコンクリート壁の迂回方法を見つけるように、生きるための抜け道を見つけなければならない。
このところ、一種の蒸し暑い、激しい暑さが続く。私たちが慣れている通常の乾燥したイラクの暑さではない。ほとんど固体として感じられるほど、湿気を多く含んでじとじとした暑さだ。電気の状況は、多くの地域で相変わらず大変悪い。3時間の電気供給の後、3時間の暗闇というスケジュールだ。それが涼しい冬の数か月なら耐えられるが、地獄のような夏の数か月は拷問の日々が約束されている。
明日またブロッグ(訳注:ウェブ上に書き込むこと)するだろう...私を心配するすべての人々に大丈夫だと知らせるために―私は生きていると。それに、もっと言わなければならないことがある。(翻訳:リバーベンド・プロジェクト 山口陽子)
◎5月にイラク暫定政権 国連顧問が安保理に表明米占領策を批判【ニューヨーク27日共同】(04.4.28)
イラク暫定政権づくりの方針を探っていたブラヒミ国連事務総長特別顧問は二十七日午後(日本時間二十八日未明)、連合国暫定当局(CPA)からイラク人へ主権を移譲した後の構想を安全保障理事会に公式に報告、現在の統治評議会に代わり、来年一月までに実施予定の国民議会選挙を管理するため、暫定政権を五月中に発足させる計画を明らかにした。
また治安状況改善を最大の目的として国民対話を促進させるため、各政治、宗教勢力や部族の指導者らから成る「千─千五百人程度」の「国民会議」開催構想も発表。イラクの現状は「極めて深刻。流血の対立の危険がある」とブッシュ米政権の占領政策を厳しく批判した。
◎ファルージャで戦闘 2日連続、停戦崩壊も【バグダッド28日共同】(04.4.28)
駐留米軍とイスラム教スンニ派武装勢力が対峙(たいじ)するイラク中部ファルージャは停戦期限切れを迎えた二十七日夜、米軍と武装勢力の間で激しい戦闘があり、米軍側はA130攻撃機や戦車砲で武装勢力の拠点とみられる二カ所を攻撃した。AP通信などが伝えた。死傷者数は不明。
米軍が攻撃したのはファルージャ北部ジョラン地区で、二十六日にも激しい戦闘で米海兵隊員一人と武装勢力側の八人が死亡したばかり。二日連続の戦闘で、事実上続いてきた停戦状態が崩壊する恐れが出てきた。
◎イラク民兵64人死亡 ナジャフ、米軍が交戦【バグダッド27日共同】(04.4.28)
イラク駐留米軍のキミット准将は二十七日、同国中部のイスラム教シーア派聖地ナジャフ近郊で二十六日夜から二十七日朝にかけ、米軍と対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵組織マハディ軍が交戦、民兵六十四人が死亡したと述べた。AP通信が報じた。
米軍とシーア派との間では、過去最大級の規模の戦闘。
聖地ナジャフに立てこもるサドル師側と包囲を続ける米軍との全面衝突の恐れもあり、サドル師は聖地が攻撃されれば自爆テロによる反撃も辞さないと警告。情勢は一段と緊迫の度を強めている。
◎米軍が毒ガス使用準備と逃亡黒人米兵がイラク抵抗勢力に厳重注意を呼びかけ(04.4.28)
メッカで以前に会った、どこの州から来たかは答えなかったアメリカ黒人兵 が、私に電話で警告してくれた。 ファルージャを包囲している海兵隊は、兵器庫に致死性ガス爆弾を持ってい る。それを投下すると、何の痕跡も残さず半径500メートル内の生物を皆殺し にできる、と。
続けて彼は、レジスタンス兵士に次のように警告するよう、私に求めた。 ガスマスクを使うか、さもなければ、酢とからしを混ぜたものを布に浸して鼻 を覆うこと。ただし、これは唯一効果がある方法だが、500メートル以内では 無効だ。 こうした致死性ガスの効果を制約するには、兵士は狭いところに集まらず、で きるだけ広がって犠牲者を減らす必要がある。 原文アラビア語(バスラ・ネット 04-4-25)
http://www.albasrah.net/maqalat_mukhtara/arabic/0404/abodalaf3_240404.htm
◎武装解除失敗なら攻撃再開 ファルージャ情勢で米【ワシントン26日共同】(04.4.28)
米政府は二十六日までに、緊張状態が続くイラク中部ファルージャ情勢に関連し、当面は米軍とイラク警察などとの合同パトロール実施を優先、武装勢力による重火器引き渡しの状況を見極めた上で、攻撃再開の可否を判断する方針を決めた。パウエル国務長官が記者団に語った。
◎オランダ軍発砲、1人死亡 サマワ近郊【ブリュッセル26日共同】(04.4.28)
二十六日のオランダ通信(ANP)などによると、イラク南部サマワ近郊で二十五日夕、オランダ軍部隊が停止命令を無視した車に発砲、イラク人一人が死亡、六人が負傷した。
◎ファルージャで戦闘 2日間延長の停戦に影響も【バグダッド26日共同】(04.4.28)
ロイター通信などによると、イラク駐留米軍の包囲下で停戦状態が続くファルージャで二十六日、米海兵隊とイラク人武装勢力による戦闘が起きた。
カタールの衛星テレビ、アルジャジーラによると、米海兵隊員らがファルージャのジョラン地区に進入しようとしたところ、激しい抵抗に遭い退却。米軍ヘリが同地区を攻撃しイラク人二人が負傷した。AP通信によると、米軍は武装勢力が武器引き渡しに応じなければ、二十七日の停戦期限後からイラク人の治安部隊と合同パトロールを開始、武器を所持している者を「敵」とみなし、強制的な武装解除に乗り出す。
◎米が「占領体制」正当化 大量破壊兵器で主導権【バグダッド26日共同=儀間朝浩】(04.4.28)
米国が準備していると二十六日伝えられた国連安全保障理事会の決議案は、ブッシュ米政権が六月三十日に予定されるイラク暫定政権への主権移譲後も、米主導の「占領体制」を正当化し、大量破壊兵器問題でも自説を譲らない方針であることを鮮明にした。
◎米兵発砲、子供4人死亡か バグダッド、車両爆破後【バグダッド25日共同】(04.4.28)
ロイター通信は二十五日、目撃者の話として、バグダッド市内の路上で同日、米兵が通行人らに発砲し、十二歳前後の子供四人が死亡したと報じた。
目撃者の証言によると、路上に仕掛けられた爆弾で米軍の車両が爆破された後、米兵らが周囲に向けて無差別に発砲した。死亡した子供らのほか、少なくとも五人が負傷したという。
子供たちは撃たれる前、爆破された米軍の車両が炎上するのを見て喜んでいたという。
◎ボブ・ウッドワード氏が明かすブッシュのイラク『攻撃計画』(Plan of Attack)(04.4.24)
以下は、ウォーターゲート事件の報道で有名な記者ボブ・ウッドワード氏が、4月19日に発売された新書『攻撃計画』(Plan of Attack)についてアメリカのテレビ番組で語ったものです。ブッシュ大統領を含む75人の政府と軍関係者を取材し、イラク戦争開始決定までのプロセスを検証した興味深い著書。ウッドワードは大統領の発言をそのまま引用しているので説得力があると言われています。
すでに新聞にも報道されているように、大きなポイントは次の5点。
――サウジアラビア駐米大使には事前に計画を説明。大使は、次期大統領選の数カ月まえから、石油の価格を下げて、選挙の日には米国経済が好景気であるようにすると約束した。
――ブッシュ大統領は今回のイラク先制攻撃は「21世紀の語りぐさになる」、「戦争は正しかった」と認識している。
――ブッシュ大統領は、同時多発テロの2日後にフセインを倒す意志を側近に表明。
――2001年11月21日、ラムズフェルド国防長官にイラク戦争の計画を極秘でたてるよう要請。
――開戦直前、ラムズフェルド、パウエルと意思の確認なし。父親にも相談していない。開戦指示後、神に祈る。
以下はウッドワードが番組で説明したことと、大統領の直接引用の要約です。――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1.2001年11月21日に大統領から戦争計画を命じられたラムズフェルドはフランクス将軍に指示。2002年7月には、極秘で進行中の戦争準備に必要な70億ドルを、憲法上必要な上院議員の承諾なしで調達。
2.一方フランクス将軍は公には、戦争計画をたてる指示を一切受けていないとつっぱねる。
3.チェイニー副大統領は最初からイラク戦争に積極的。湾岸戦争のやり残しを終わらせたいという強い願望を持つ。
4.最初は大統領も戦争以外の方法でフセインを倒すことを希望。しかし、2002年初め、CIAに不可能だという報告を受けて戦争を容認。
5.一方、それまでフセインが大量破壊兵器を「ほしがっている」としていたチェイニー副大統領の見解が「保有している」に変化。大統領もそれを鵜呑みにする。
6.2002年12月21日、テネットCIA長官がブッシュ大統領と副大統領にフセイン大量破壊兵器保有の「証拠写真」を披露するが、その質の悪さを指摘される。ブッシュのコメントは、「これでは一般大衆を説得できない」
7.パウエル国務長官は、最終的には戦争に同意する。しかし「避けられた戦争」と自覚していたため落胆。
8.ブッシュはパウエルに伝える2日前の1月11日に駐米サウジアラビア大使に戦争計画を入念に伝える。大使は、次期大統領選挙投票日に米国景気が好調であるよう、その数か月前から原油価格を下げると約束。
9.2003年3月19日開戦の日、ブッシュ大統領はフランクス中央軍司令官を含む9人の軍人一人ひとりにテレビモニターを通じ、開戦の準備は万端整っているか確認する。「イエス、準備万端です」と聞いた直後、ブッシュは敬礼をし、目に涙を浮かべて立ち上がり、部屋を出る。そして、「ホワイトハウスの裏を一人で歩き回りながら、神に米軍兵士の命を守ってくれるよう祈った」。また「神の許しも乞うた」
10.父親には相談なし。ライス国家安全保障担当補佐官と広報担当のカレン・ヒューズには事前に相談。ラムズフェルド、パウエルには意見も聞いていない。
11.3月19日に開戦したのは、フセインがバグダッド南部の農場に向かっているとの情報がCIAから入ったためだが、爆撃したものの目的は達成できず、作戦は失敗。
12.戦争終了後チェイニーとパウエルの関係は悪化し、2人はほとんど口をきかない。チェイニーは復興にいくら時間がかかっても最終的に「民主主義」と「安定」を得られれば良いとの考え。
13.戦後の復興については事前にいろいろな意見が交わされたが、治安と暴力が問題になろうとは誰も想定しなかった。
14.フセインが大量破壊兵器を持っていなくとも、ブッシュ大統領は「この戦争は正しかったし、イラク人民を自由にするのが自分の義務だった」と確信している。
15.しかし、アメリカ大統領にそんな「義務」はない。この発言を聞いて「身震いする人も多いだろう」とウッドワードはいう。ブッシュはあまり思慮深い人間ではなく、ウッドワードを「エリート」とからかった様子から、自分は「エリート」ではないと思っているようだ。
16.歴史はどんな審判をくだすか、と尋ねられたときの大統領の答えは――「歴史? そんなのわからない。みな死んでるもの」
要約:TUP協力者の在日ジャーナリスト(匿名希望)
◎米兵捕虜一人に対して、イラク人捕虜が二万人(04.4.24)
アーロン・グランツ 4月22日 インタープレス・サービス
イリノイ州出身のマット・モーピン上等兵は、サダム政権が崩壊して以来はじめての米兵捕虜となった。しかし、この米兵捕虜一人に対して、米軍はすでに二万人のイラク人を拘置している。そのほとんどは、占領軍による乱暴な家宅捜査のおりに拉致されたイラク人たちだ。
去年の夏、ティグリス川のそばにあるアブ・シッファ村では、真夜中に米軍部隊が村を襲い、民家を壊し、若者たちを拉致していった。村の主婦レジャンは、以前は自分の家がそこにあった瓦礫の上に立ち、こう嘆いた。
「朝方になると、米兵は私たちを家から連れだし、外に立たせました。彼らにどうしてこんなことをするのか? と尋ねると、米兵は私たち女性を殴り始めたのです。そして戦車二台が来てマシンガンを撃ちまくり、その後ミサイル2発を我が家に向かって撃ち込んだので、家は粉々になりました」
「武器の摘発」を口実に村に侵入した米兵たちは、結局、武器はひとつも見つけることができなかった。それなのに、レジャンの息子たち4人を含む村人73人を捕まえて引き上げたのだ。
村人たちの話では、米兵は村の家々を捜査しながら大量の現金を盗み、引き上げるときには村所有の数台のトラックまで没収していったという。
その事件から9ヶ月がたち、拘束された73人の村人のうち、二人だけが容疑不明のまま釈放された。自由になった一人が、レジャンの息子、15歳のアーメドだ。
「捕まえられてから最初の6日間は、有刺鉄線で囲まれた荒れ地に放置されたままだった。テントも毛布もないまま、太陽や雨にさらされ続けた。簡易トイレもないので、ぼくらはみなその場で排泄するしかなかった。夜はまた痛くて、まったく眠れなかった。なぜかって? 米兵が夜を徹して、ぼくらに石を投げ続けたからだよ」
結局、アーメドはバグダッドのアブ・グライブ刑務所に移された。刑務所で彼は、サダム時代に政治犯罪者が投獄されていた横90センチ、縦120センチの独房に入れられた。そこでアーメドは、屋外での運動もできなかった上に、家族や弁護士に会うことさえ禁じられた。
「夜になると、米兵はオオカミみたいな警察犬を独房の中に放り込んで、ぼくを怖がらせた。それも、毎晩だった。もう耐えきれなくて、赤十字の視察員に訴えて、やっと犬をやめさせた」
人権監視グループによると、アブ・シッファ村での拉致・拘束のような事件が米軍占領下のイラクで、あまりにもたくさん起きているという。
人権団体・アムネスティーは、米兵が拘束したイラク人たちを継続的に拷問にかけていると報告している。また囚人たちにズタ袋を頭からかぶせたまま放置したり、故意に明るすぎる照明をつけたままにして眠らせなかったりとのレポートもある。
米政府が指導するイラク人権省で働く弁護士サード・スルタン・フセインは、占領軍から、アブ・グライブ刑務所内に自分の人権相談所を設置する約束をとりつけた。しかしいまのところ、案内人つきの視察しかできないと、こう語った。
「刑務所内では、彼ら米兵が私たちに見せたい場面だけしか見ることができません。尋問室などには入れませんし、もちろん尋問の様子を視察するなんて認められません。
米占領軍はアブ・グライブ刑務所に15000人の囚人を拘置しているのですが、その大多数が米軍に反抗的なイラク人政治犯です。他にも、イラク南部のウム・カスルに去年建てられた刑務所があって、7500人のイラク人が収監されています」
弁護士スルタン・フセインは、アメリカの占領政策はジュネーブ協定違反だと、こう訴えた。
「米軍占領での大きな問題は、米兵が気が向くままにイラク人を捕まえ、苦しめていることです。イラクの同朋たちがある日突然捕まえられ、姿を消しても、なぜ捕らわれたのか、いまどこに収監されているのか、誰も分からないんです。米軍は、イラク人家族との面会も禁じているわけですから、これは明らかにジュネーブ協定に違反しています」
筆者はこれらの訴えについて、アブ・グライブ刑務所を警護していた米兵たちに質問したが、彼らは口々に、「ノーコメントだ。それに答えることができるのは、空港駐留の高官だけだ」と言った。
空港駐留の米軍高官に同じ問い合わせをすると、高官たちは不在だった。 (抄訳・パンタ笛吹/TUPチーム)
http://www.antiwar.com/ips/glantz.php?articleid=2362
◎ファルージャの真実 アーロン・グランツ 4月21日 インタープレス・サービス(04.4.23)
停戦交渉が始まって数日たったファルージャでは、今日(21日)もまた武装していない市民6人が死亡し、10人が負傷したと、ロイター通信は伝えています。
アメリカで最も公平なラジオ番組のひとつ、「デモクラシー・ナウ」で、イラクの様子を届けてくれるアーロン・グランツの記事が出たので、ラジオのインタビューとともに抄訳しました。
ファルージャからバグダッドに逃れてきた人々の証言から、生々しい「ファルージャの真実」が伝わってくるようです。
(パンタ笛吹/TUP)
家族とともに、やっとのことでファルージャから逃げ出した11歳の少年ユーセフの話は、他の多くのファルージャ市民の体験を代弁している。
「アーメド君は同じクラスの友達なんだ。アーメド君が小学校の前の道を横切ろうとしたら、撃ち殺されたんだ。アメリカ兵から・・・」
米軍司令官は英記者の質問に、「ファルージャの攻撃で殺された六百人のイラク人のうち、95%は武器を持った民兵たちだった」と答えた。 ファルージャの臨時診療所で負傷者の治療にあたってきたイラク人医師に現場の状況を語ってもらった。
(ドクター) 「私たちは5歳の少年が頭を吹き飛ばされて診療所に連れてこられたのを見ました。頭蓋はあっても脳みそが残っていない子供もいました。 また、母親が赤ちゃんを抱いたまま殺されていたのですが、赤ちゃんの首はなく、母親の体のいたるところに爆弾の破片が突き刺さっていました。これでも、犠牲者の95%は武器を持った民兵と言えるでしょうか?」
米海兵隊によってあまりにも多くのファルージャ市民が殺されたので、サッカー競技場に200人以上の遺体を葬らなければならなかった。
(ドクター) 「私たちは多くの遺体を競技場に埋めたので、そこはすでに一杯になっています。しかし問題は、私たちは遺体をちゃんと地中深くに葬ることができなかったことなんです。 競技場でゆっくり埋めていると米兵に撃たれるので、人々はシャベルで急いで穴を掘り、そこに何人もの遺体を重ねて放り込んで、上からすばやく砂をかけて逃げるしかなかったんです」
ファルージャでは、負傷した人々を運んでいた救急車でさえ、何度にもわたって米兵からの攻撃を受けたという。
(ドクター) 「米軍によって孤立させられ、白旗を振って助けを求めている家族に水と食料を届けようと、救急車でその家に近づいたのですが、救急車のドアを開けるたびに米兵が狙撃してきたので、家まで入れなかったんです。
しかたがないので水と食料を家の前の道路に置いて病院に戻ろうとすると米兵はその水のビンと食料の袋まで撃ちこわしたんです」
米軍の狙撃兵や爆撃機は、家の中に待避していた市民の多くも殺害した。米軍の爆撃にあい、二人の従兄が殺され、五人の家族が負傷したアル・ハムザ氏はこう糾弾する。
「2日間、私の二人の従兄の遺体は、2日間も我が家の居間に寝かせて置かなくてはならなかったんです。というのは、遺体を埋めるために外に出ようとすれば、米兵に撃ち殺されるかもしれないからです。でも二人の遺体が腐り始めたので、裏庭を掘って埋めました。
ブッシュ大統領はすべてのイラク人を敵にまわしたと思います。いまだに電気もろくになく、水道水もありません。おまけにみんな仕事も失ってしまったしね。いまファルージャで有り余っているのは、爆撃機やヘリコプターからの投爆と、米兵からの銃弾の雨だけです」
ファルージャで働いた人道援助活動家、オーストラリア人のドナ・マルバンは、米海兵隊は無差別発砲を繰り返していると、こう語った。
「ファルージャで私たちは薬が切れた医院に医薬品を運ぶため、救急車といっしょに米軍が占領している区域を通ろうとしました。車から降りる前に、拡声器で『私たちは青い色の医務服を着ています。いまから医薬品を医院に届けに行くので撃たないでください。パスポートを手に持っていま車から出るところです』と大声で米兵に報せました。そして、両手をあげて道を歩きはじめると、米兵は後ろから私たちを撃ち始めたのです」
ドナ・マルバンたちにとっての問題は、米兵だけではない。彼女たちはファルージャに行く途中、ムジャヒディン(聖なる戦士)に拉致され24時間にわたって拘束されたのだ。その体験をドナはこう語る。
「彼らは、最初は私たちが誰なのかを知りたがっていました。私たちの持ち物を検査したり、質問を繰り返すうちに、私たちが人道援助活動家だと分かってくれたのでしょう。それからは、敬意の気持ちをもって接してくれ、ご馳走までしてくれました」
ドナと同じグループにいて拘束されたイギリス人ボランティアのベス・アンジョーンズは、ムジャヒディンと話すうちに、「米軍の攻撃の醜さ」という共通の話題で通じ合うものがあった・・・とこう語った。
「彼らは自分の兄弟がこうして殺されたとか、父親がこう射殺されたとか、詳しく私たちに語ってくれました。それでムジャヒディンのみんながどれだけ米軍に対して憤りを感じているかが分かりました。 1年前にサダム政権が崩れてアメリカから自由を約束されたのに、いまでは自由どころか米軍に痛めつけられ苦しんでいる現実があるだけなんです」
バグダッドに無事に戻ってきたドナは、自分を拘束したムジャヒディンに対して、もはや怒りを感じてはいなかった。
「ファルージャは海兵隊に包囲された街なんです。いま街から避難しようとしている女性や子供たちでさえ、街を出るのを止められています。そして空からの爆撃はいまでも頻繁に続いています。米軍狙撃手は動くものは何でも撃つので、人々は怖がっていまだに家から外に出られません。
ファルージャの人々は、自分たちの国と、自分たちの街に閉じ込められ、捕虜になっているのです」
(抄訳・パンタ笛吹/TUPチーム)
http://www.democracynow.org/article.pl?sid=04/04/13/1443247
http://www.antiwar.com/ips/glantz.php?articleid=2352
◎イラクの刑務所爆破は反乱鎮圧のため米軍が起こす(04.4.22)
イラク駐留米軍は20日、バグダッド西約20キロのアブー・グレイブにあ る、イラク戦争後に米軍が拘束した旧フセイン政権残党や反米武装勢力などが収容される連合軍拘置施設に同日、迫撃砲12発が撃ち込まれ、イラク人受刑者22人が死亡、100人近くが負傷したと発表した。
事件後各方面から、米軍発表に疑問の声が上がっていたが、果たして真相はどうなのか。
21日付のネット紙、イラク・フォー・オールは、バグダード西部のアブーグレイブの刑務所の岳は事件は、米軍によるものだと報じた。 目撃者証言などに基づきイラク救国戦線が発表し、同紙が伝えたところによ ると、事件の経過は次のようになる。
アメリカ軍は、約250人の受刑者に発砲した。また受刑者たちから、情報や自供を引き出すために残忍な拷問を加えた。親類縁者との連絡を禁じた。罪状を示さずに長期間拘留を続けた。
上記のような非人間的な扱いに対して、幾つかの監房で暴動が発生したが、 米軍は鎮圧することが出来なくなった。
状況の悪化を見てアメリカ軍は、3つの監房を爆破した。その結果、数十人が殺害され、数百人が負傷する惨事となった。
事件を隠蔽するために米軍は、事態が収拾されるまで、イラク人に刑務所に近づくことを禁じた。
イラク救国戦線は、「第二次世界大戦時のナチス軍による蛮行を超える、この暴虐行為をとめるよう、国際社会と人権諸機関に要請する」と訴えている。 http://www.iraq4allnews.dk/viewnews.php?id=48303
◎ファルージャの死者17人に 重火器返還、予断許さず 【バグダッド21日共同】(04.4.22)
重火器放棄、予断許さずファルージャで二十日から二十一日にかけて起きた米軍とイラク人武装勢力の戦闘で、駐留米軍当局は二十二日、武装勢力側の十七人が死亡、米海兵隊員三人が負傷したと発表した。
一方、AP通信によると、米軍側が地元代表との合意を基づき、本格的な停戦の前提として武装勢力に引き渡しを求めていた重火器の一部が引き渡しされたものの、ほとんどが既に使用不能だったという。
停戦の実現は武装勢力が重火器引き渡しに応じるかどうかにかかっているが、現状では予断を許さない情勢だ。
駐留米軍の発表によると、戦闘は二十日夕、ファルージャ東部で武装勢力がロケット砲や自動小銃で米海兵隊を攻撃、米海兵隊が応戦して始まった。間もなく武装勢力の車三台が現場に到着したが、米海兵隊の迫撃砲攻撃で武装勢力八人が死亡し、車三台も破壊。
さらに二十一日早朝、ファルージャ北部で武装勢力約四十人が小火器やロケット砲で米海兵隊を攻撃。海兵隊が呼んだヘリの攻撃で武装勢力九人が死亡、多数が負傷したという。
◎ファルージャで激しい戦闘 停戦崩壊の恐れも 【バグダッド21日共同】(04.4.22)
イスラム教スンニ派武装勢力と駐留米軍の間で一時停戦が続いていたイラク中部ファルージャで二十一日朝、激しい戦闘があった。ロイター通信は目撃者の話として、米軍の攻撃で民間人六人が死亡、十人が負傷したと報道。カタールの衛星テレビ、アルジャジーラは武装勢力九人が死亡し、米兵三人が負傷したと伝えた。
ロイター通信によると、戦闘はファルージャのゴラン地区で二十一日午前六時(日本時間同十一時)ごろから約四時間続き、自動小銃や迫撃弾などで交戦、米軍は航空機も投入した。AP通信は米軍を攻撃した武装勢力は約四十人と伝えた。
◎バスラで同時テロ68人死亡 4警察施設標的 南部で最大、治安悪化拡大 【バグダッド21日共同】(04.4.22)
イラク南部バスラの三つの警察署とバスラ近郊の警察学校前で二十一日早朝(日本時間同日午後)、車爆弾を使った同時自爆テロが発生、ロイター通信によると、子供十七人と女性を含む少なくとも六十八人が死亡した。負傷者も二百人を超えた。昨年五月のイラクでの大規模戦闘終結後、バスラで大規模テロが起きたのは初めて。南部でもこれまでで最大のテロとなった。
最も安定した地域の一つとされたバスラで発生したことは、同国全体の治安情勢が脆弱(ぜいじゃく)で、六月三十日の主権移譲を前に駐留連合軍が治安を確立できていないことをあらためて浮き彫りにした。
◎地域ぐるみの抵抗運動か 3邦人解放から1週間 【バグダッド21日共同】(04.4.22)
全文は http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/hostages/
イラクで武装集団に拘束されたボランティア活動家高遠菜穂子さん(34)ら三人が解放されてから二十二日で丸一週間。事件の全体像は不明な点が多いが、人質の証言などから、犯行は地域ぐるみの「反米、反占領」の抵抗運動の一環であることが次第に明らかになってきた。
駐留米軍は、外国人を拉致しているのは一部の武装勢力だと主張してきた。だが、日本人五人を含む人質の解放を呼び掛けてきたイスラム教スンニ派聖職者でつくるイラク・イスラム聖職者協会の関係者は「米軍がファルージャで続けてきた大規模掃討作戦で多くの子供や女性が殺害された。一部の武装組織だけでなく、住民全員が米国に対する憎悪を抱いている」と指摘する。
アブグレイブで拘束された非政府組織(NGO)メンバー渡辺修孝さん(36)も帰国後の都内での記者会見で「(拘束中)民家の住民と同じ部屋で寝たり食事をした」と語った。
イラク側関係者の中には、安田さんらを拉致したのはスンニ派の中で最も戒律が厳しいワッハーブ派武装組織だとの指摘もあった。だが、その後の証言を追っていくと、住民が地域を挙げた抵抗運動の一環として自警団のような組織をつくり、検問所を設けて「米軍のスパイ」だと疑われる外国人を次々に拘束しているというのが実像のようだ。
◎スペイン軍撤退を歓迎 イラク市民、自衛隊も 【バグダッド19日共同】(04.4.21)
スペイン軍のイラク早期撤退を命じたサパテロ首相の決断を、バグダッド市民らは「正しい決定」と一様に歓迎している。中には「イラク復興のためには軍隊はいらない」と、自衛隊撤退を求める声も出始めている。
「サパテロに感謝したい。(イスラム教シーア派の聖地)ナジャフはイラク人自身が管理すべきです。サパテロはブッシュ(米大統領)の犬ではないということね」と評価するのは、バグダッド大大学院の女子学生ヒンド・モワファックさん(25)。
モワファックさんは「必要なのは民間企業による支援で、外国の軍隊はいらない」と主張。これに賛意を示すシーア派の写真家ジワド・ラミさん(43)は「自衛隊もイラクから去るべきだ。私たちに軍隊はいらない。必要なのはイラクの復興事業に参加する民間企業」と話した。
バグダッド中心部で文具店を営むクルド人男性タハシン・カセムさん(50)も、スペイン軍が今月四日、ナジャフで住民と衝突、二十人を殺害したことを踏まえ「スペイン軍が任務を続けるのはもう難しいだろう。サパテロは、他の部隊もイラクを去るための新たな扉を開いた」と語った。
◎ナジャフで全面衝突の懸念 米軍とサドル師の民兵 【バグダッド19日共同】(04.4.21)
イラク中部にあるイスラム教シーア派の聖地ナジャフで、同市を拠点とする対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の民兵と駐留米軍が十九日もにらみ合いを続けており、全面衝突への懸念が高まっている。
ロイター通信によると、普段なら国内外からの巡礼者で込み合うナジャフ中心のイマーム・アリ聖廟(せいびょう)周辺は、ほとんどの商店が閉まり、迫撃砲や自動小銃で武装した民兵組織マハディ軍のメンバーがあふれている。
サドル師のスポークスマン、ハザリ師は「米軍が聖地を攻撃すれば、イラク全土での革命の発端となる」と警告。武装解除の要求を突っぱねた。
米軍はマハディ軍の壊滅を目指し、シーア派聖職者ホエイ師暗殺事件に絡んで逮捕状が出ているサドル師について「拘束するか殺害する」(サンチェス司令官)と公言している。
しかしナジャフで米軍が大規模な掃討作戦に着手すれば、スンニ派住民との激戦で反米抵抗運動の象徴となったファルージャの二の舞いになりかねない。数万人ともいわれるマハディ軍が激しく抵抗すれば、米軍はスンニ、シーア両派との本格的な二正面作戦に引きずり込まれる恐れもある。
◎イラク日本人人質事件*急速だった治安悪化*代償大きい邦人不在*「自己責任」だけの問題か 2004/04/19, 北海道新聞朝刊全道(04.4.21)
日本人計五人がイラクで拉致、拘束された事件は、十七日のフリージャーナリスト安田純平さん(30)と非政府組織(NGO)メンバー渡辺修孝さん(36)の解放で無事解決した。バグダッドを拠点に約八カ月間イラクを見詰めてきたが、これほどまでの治安悪化は一カ月前には想像だにできないことだった。(共同通信バグダッド支局長・及川仁)
戦地の治安は日々変化する。ボランティア活動家、高遠菜穂子さん(34)ら三人が通ったのは、海外の大手メディアもごく普通に利用していたルートだ。事件が発覚した八日は、共同通信の同僚が同じ経路でイラク入りを予定、前日には別の日本の新聞記者が逆にバグダッドからアンマンに抜けたばかりだった。
*迂回路に検問所
高遠さんらの拉致現場は中部のイスラム教スンニ派地域ファルージャ。米軍が五日からわずか一週間で女性や子供を含む住民約六百人(地元病院医師)を殺害する大規模な包囲掃討作戦を実施、このため同地域周辺で道路を迂回(うかい)したところ、反米、反外国人感情を募らせる武装組織検問所に遭遇した。
今回の日本人解放の立役者となったイラク・イスラム聖職者協会のクバイシ師も同じファルージャの迂回路で武装勢力の検問を受けた。武装勢力は同師に「米国に協力する者はイラク人でも即刻殺害する。外国人は皆人質とし、ファルージャの戦闘が終わるまで拘束する」と語ったという。
ファルージャでの作戦の目的は三月末、同地域で米民間業者の四人が襲撃され、住民が黒焦げの遺体を引きずり回し、宙づりにした事件への報復だ。このような行為は容認されるべきでないが、「四人」に対する報復が「六百人」では、命の価値があまりに均衡を欠いている。
米軍主導の連合軍の記者会見では、連合軍に攻撃を仕掛ける勢力に対し「暴徒・反乱分子」という言葉が日常的に使われる。
だが連合軍への反発は、中南部シーア派住民にも拡大。バグダッドでは同派住民地区を米軍が空爆、南部バスラでは州政府庁舎を対米強硬指導者サドル師の民兵が一時占拠する騒乱となった。イラクでの武装蜂起は一部の「反乱分子」によるものではなく、全人口の80%を占めるアラブ系イスラム教徒全体に広がっている。
駐留米軍は、ファルージャでの作戦は武装勢力だけを標的に「正確に行われている」(キミット准将)と主張する。しかしファルージャの現場で取材しているカタールの衛星テレビ、アルジャジーラのウェブサイトを見れば、そこで実際に何が起きているのかがよく分かる。准将は同テレビを「反連合国メディア」と呼んだ。
*当局伝えぬ真実
陸上自衛隊が活動する南部サマワには、一月十九日の先遣隊到着当時、百人近い日本の報道陣がいたが、その後の情勢流動化で、十八日現在残っているのはフリーカメラマンら二人だけ。
サマワではこれまで、日本メディアが日本人の視点で治安情勢を詳細に報道してきた。しかし日本人記者がいなくなれば、陸自先遣隊到着当時、既に機能停止に陥っていたサマワ市評議会に関する報道など、日本政府とは異なる視点からの情報に接することができなくなってしまうだろう。
今回の五人も連合国や政府など「当局」が伝えない真実を伝え、取り残された子どもたちに直接援助の手を差し伸べようとした。日本では「安全への配慮が足りない」と批判が出ている。しかし政府が仕掛けた「自己責任」の世論に乗る形のジャーナリスト、支援活動家排除は、国民が自身の目と耳をふさぐ行為でもあることに留意する必要がある。
◎米軍はファルージャ市民を虐殺している(TUP速報)(04.4.17)
ダール・ジャマイル 4月13日 アンチ・ウォー掲載
ファルージャではここ数日間、市全体が米軍により包囲され、水も電気もないまま、一般市民が「集団処罰」を受けているという。なのにマスコミはその惨状をほとんど報道してはいない。
実際、ファルージャ市内で取材している記者は、たった二人しかいないのだ。私は現場で起こっているだろう残虐行為をこの目で見て世界中に報らせるめ、ファルージャに行くことにした。
バグダッドの友人たちの助けもあり、私たち世界各国から集まった小さなグループは、医薬品などの人道支援物資を大型バスに積んでファルージャに向かった。いつまた始まるか分からない次の虐殺の前に、負傷者たちをバグダッドの病院に連れ帰ることも、このバスの目的のひとつだった。
いまとなっては、バグダッドを離れるだけで危険きわまりない。米軍はヨルダンまでの道路を封鎖している。ハイウェーでは爆破されたタンクローリーが道路わきでくすぶっていた。また、抵抗勢力の攻撃を受けたばかりなのか、まだ黒煙をあげている米軍の巨大なMー1戦車の横も通り過ぎた。
途中、道路わきの小さな家から子供が飛び出し、バスに向かって、「ぼくらは死ぬまでムジャヒディン(聖なる戦士)なんだぞ!」と叫んだ。
最初の米軍検問所では、米兵たちはすでに30時間ぶっつづけでそこにいるとぼやいていた。兵士たちから車内検査をされたあと、バスはファルージャに向かった。そこでも道路わきに、破壊され放置された武装軍用車があった。
ちょうど近隣の村人が、その軍用車からたくさんの箱を略奪し、運んでいるところだった。路上には他に車が走っている様子はなく、それはまさに殺伐とした風景だった。
いったんハイウェーの検問所から離れると、もうそこには米軍の姿はまったく見えなかった。私たちは、ムジャヒディンが米軍から奪還した領域にいるのだ。
バスが農道を通過する間、イラク人とすれ違うたびに彼らは、「ファルージャに行くのか? 神の祝福があらんことを!」と叫びかけてきた。すべてのイラク人が私たちのバスに向かって手を振ったりピースサインを出したりした。
町に近づくにつれ、道路わきの子供たちがパンや水を、無料で人々に渡しているのを見た。子供たちは平たいパンのかたまりを、バスの中の私たちにも気前よく投げてよこした。
これらイラク人たちの隣人愛というか親しく接待する気持ちは、信じられないほどだった。彼らはみんな私たちを歓迎してくれているようだった。
ファルージャに到着するなり、市内から巨大な爆煙がのぼるのを見た。米軍が大きな爆弾を投下したのだ。「一時停戦」なんて、あったものではない。
ファルージャ市内は、ムジャヒディン戦士たちがそれぞれの街角で待機している以外は、ほとんどもぬけのからだった。ここは、戦闘中の街なのだ。
私たちのバスは、イタリアのNGOから託された医薬品を届けるために、町中の小さな医院に向かった。
街でいちばん大きな病院は、そこに出入りしようとする人々を米兵が狙撃するので使えないし、もう一つの病院は米軍がすでに爆撃したので使用不能だ。いまファルージャで機能しているのは、二つの小さな医院だけだった。それはこの医院と、もうひとつは車の修理工場内に設置した臨時医療所だ。
私がその小汚い医院にいる間に、米兵に撃たれた女性や子供たちがひっきりなしに運び込まれた。ひとりの女性は首を撃たれ、息をするたびに妙な音をたて、苦しそうにもがいていた。
同じく首を撃たれた小さな子供は、医者が必死で命を救おうとする間も、うつろな目を空に向けて、口から何かを吐き続けた。30分たったころ、医者は二人の命をあきらめざるをえなかった。
外では狙撃の音が断続的に続いていた。米軍の侵略行為で傷ついた犠牲者が次々に運ばれたが、そのほとんどが女性や子供たちだった。
夕方、モスクのスピーカーから「ムジャヒディンは米軍の軍用車隊のひとつを壊滅させた」との放送があった。すると町中から歓声があがり、お祝いの銃声が道々にとどろいた。
そしてモスクから祈りの詠唱がひびきわたると、この町の人々の決意と自信がひしひしと伝わってきた。
11歳の小さな少年は、自分の背丈ほどもあるカラシニコフ銃を手に持ち医院のまわりを警護していた。彼は銃撃戦になるのを恐れてはいなかった。米兵はこの11歳の少年と戦うことをどう感じているのだろう? とふと思った。
次の日も、ファルージャを去るときも、私はいくつかの少年のグループがムジャヒディンとして戦っているのを見た。
医薬品を医院におろしたあと、私は3人の友人といっしょに、まだ動いている救急車で、路上の負傷者を乗せて連れもどることにした。その救急車のフロントガラスには、すでに三つの弾痕があった。米軍狙撃兵が救急車のイラク人運転手の頭を撃ったのだ。
外では爆撃が散発的に爆発し、銃撃の音がしばしば聞こえるなか、今度は私たち外国人が救急車に乗っていれば、米兵も狙撃しないだろう。そうすれば、路上で苦しんでいるイラク人負傷者を助けられると思ったのだ。
夜になると、私たちは地元民の家に泊まった。そこの家主は、自分がここ数日間に撮影したビデオを見せてくれた。次々に出てくる、血まみれになって殺されたファルージャ市民たちの映像・・・中でもひどかったのは、お乳を吸っていた赤ちゃんが、母親の胸から引き剥がされ、海兵隊員によって、無惨に殺されてしまった姿だった。。
私がファルージャにいる間中、ひっきりなしに聞こえてきたのが米軍が放った遠隔制御無人戦闘機のブーンブーンという音だった。夜、私たちがからっぽの街路を宿泊所まで歩いていくときも、無人戦闘機は私たちの上空を飛びながら、いくつかの照明弾を発射した。
私たちは走って近くの壁に身を隠した。クラスター爆弾を落とされるのではないかと恐れたのだ。
地元民の話では、今夕、医院に最後に運びこまれた二人の犠牲者は、クラスター爆弾でやられたそうだ。二人の体は引きちぎられ、恐ろしいくらいに焦げていた。
翌朝、友人の女性は、また救急車に乗って、米軍に狙撃され傷ついた老人を医院まで運び込んだ。この老人は自分の家の前で撃たれて倒れたのだが、その妻と子供は、さらなる狙撃を恐れて外に出られないので、家の中から、外で苦しんでいる老人に向かって泣き叫んでいたという。
病院に着いたときには、老人の体はすでに硬直していて、その傷口にハエがたかっていた。
状況はひどくなるばかりだ。米兵からは「掃討作戦」が始まるので待避せよとの警告も受けた。私たちはバスに乗せられるだけのイラク人負傷者を乗せてバグダッドに向かうことにした。
帰りの路上では、もっと多くの米軍用車が「自由の戦士」たちに撃破されて、黒煙をあげていた。
私がこのレポートで伝えられることは、ファルージャではマスコミが伝えているような「停戦」など履行されていないということだ。イラク人の女性や子供が米狙撃兵によって、撃たれ続けているのだ。
ファルージャではすでに六百人が、アメリカの侵略により殺された。住民は二つのサッカー競技場を集団墓地にして、次々と死体を葬っている。
そしていま、米軍は最大スケールの侵攻を再開しようと準備している。四人の米国人警護員(実際は傭兵であり、住民に憎まれている非公式の戦闘員)が殺されたので、その犯人を捕まえるためにという口実で、これらすべての惨劇が起きているのである。
(抄訳・パンタ笛吹/TUPチーム) http://www.antiwar.com/orig/jamail.php?articleid=2303
(訳者注・上記のURLで、記事にそった写真も見られます)
◎ファルージャ大虐殺(TUP速報)(04.4.17)
イーワ・ジェシウィック 4月11日 オキュペーション・ウォチ掲載
米軍はファルージャで、クラスター爆弾や大砲を使って、罪もない女性や子供たちをすでに数百人殺した、と現地の目撃者は告発している。その残虐さは、イスラエル軍によるジェニンの難民キャンプでの大量虐殺よりもひどいと描写する人々もいる。
筆者はこの3日間、ファルージャから負傷者をバグダッドに運び出した友人たちと電話で話した。ここに彼ら3人の証言を書きつづることにする。
*イタリア女性、ポーラ・ガスピローリの証言
ファルージャでは大量虐殺が行われています。すでに470人が殺され、1700人以上が負傷しています。停戦など、実際には履行されてはいません。市民の中で、女性や子供たちの多くは街を逃げ出そうとしています。
バグダッドへと向かう橋も、米軍により破壊されました。米軍は救急車にまで発砲するので、路上の負傷者を病院に運ぶことさえできません。
私はもっとイラクにいたいのですが、危なくてこれ以上ここには居られません。すでに外国人が27人も人質にされています。イタリア人の私も誘拐の目標になっているんです。私は飛行機でアンマンに飛びます。
*今日、そしてこの数日間、ファルージャにいた友人男性の証言
私たちはこの目で見たんです。ファルージャから逃れた何千人という人々が、13キロメートルにものぼる車列を作ってバグダッドを目指したのですが、砂漠で立ち往生しているんです。そして米軍は、その難民たちに向かって爆撃しているんです。 米兵はイラク人家族たちを攻撃しているんです!子供や老人や女性たちが、砂漠で米軍に痛めつけられているんです。
ファルージャ市内では、米軍はB52爆撃機を使って、爆撃したんです。彼らは病院も爆破しました。別の病院に傷ついた子供がいたのですが、その子の家族25人が全員、爆撃で殺されたんです。
米軍は空からクラスター爆弾を落としています。クラスター爆弾は地上で3ー4メートルジャンプするんです。街の路上では殺されたイラク人がころがっています。米軍は「停戦する」と言いながら、また空から攻撃を仕掛けてきたんです。
これは大量虐殺です。どうか助けてください。世界中の人々に、大使館に抗議するように頼んでください。私たちには外国人が必要なんです。外国人ならここで何かできます。
私たちはこの3−4日間、ほとんど眠っていません。明日は外国人たちで米軍の検問所に抗議に行きます。
*イギリス人ジャーナリスト、レイ・ゴードンの証言
ここはもう狂気のさたです。私は自分の命がどうなるかも分かりません。外国人は徐々に殺されて行くでしょう。ファルージャのイラク人たちは、どんどんと絶望の崖っぷちに立たされています。
彼らの母親や父親や家や犬や猫や・・・すべてが爆撃されたら、イラク人たちは外国人を襲いはじめるでしょう。
(抄訳・パンタ笛吹/TUPチーム)
◎ファルージャの目撃者より:東京東チモール協会のHPに、ファルージャの目撃談があります。(04.4.16)
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/ 他にも多くのイラクレポートがあります
ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい
ジョー・ワイルディング
原文2004年4月13日転送・転載歓迎
長くなってしまいます。お許し下さい。でも、どうか、どうかこれを読んで下さい。そして、できるだけ多くの人に広めて下さい。ファルージャで起きていることの真実を明るみに出す必要があるのです。ハムーディ、私の思いはあなたとともにあります。
2004年4月11日 ファルージャ
ファルージャ東部の高速道路で、トラックや石油タンカー、戦車が燃えていた。少年と男たちの流れが、燃えていないローリーを行き来して、ローリーを裸にしていた。私たちは、アブ・グライブ経由の裏道にまわり、持ち物をあまり持たない人々で一杯の自動車が逆方向へ向かうのにすれ違いながら、道沿いにできた急ごしらえの軽食スタンドを通り過ぎた。ヌハとアフラルはアラビア語で歌っていた。スタンドの少年は、バスの窓から、私たちと、そして今もファルージャにいる人々に、食べ物を投げ込んでいた。
バスは、ファルージャの導師の甥が運転する車の後について進んでいた。彼はまた、ムジャヒディーンと接触がある私たちのガイドでもあり、今回のことについてムジャヒディーンと話をつけていた。私がこのバスに乗っていた理由は、と言えば、知人のジャーナリストが夜11時に私のところに来て、ファルージャの状況は絶望的であり、手足が吹き飛ばされた子どもをファルージャから運び出していたと語ったことにある。また、米軍兵士たちは、人々に、夕暮れまでにファルージャを離れよ、さもなくば殺すと言っていた、と。けれども、人々が運べるものをかき集めて逃げ出そうとすると、町はずれにある米軍の検問所で止められ、町を出ることを許されず、ファルージャに閉じ込められたままで、日が沈むのを人々は見ていたと、彼が私に語ったことに。
彼はまた、援助車両とメディアもファルージャに入る前に引き返させられたと私に説明した。医療援助をファルージャに運び入れる必要があり、外国人、西洋人がいると、米国の検問を通過してファルージャに入ることができるチャンスは大きいと。その後の道は、武装グループにより守られているとのことだった。そこで私たちは医薬品を持ち込み、他に何か手伝えることはないか調べて、帰りにはバスでファルージャを離れる必要がある人たちを乗せていこうと考えていた。
どうやって決意したか、自分自身で何を思い、お互いに何を聞いたかについては想像にお任せしよう。私の決断を狂気と言うのも結構。けれども、そのとき思ったのは次のようなことだった:もし私がしないならば、誰がするのだろう? いずれにせよ、私たちは何とか無事到着した。
到着後、私たちは物資をバスから降ろした。荷箱はすぐに引きちぎるように開かれた。最も歓迎されたのは毛布だった。そこは病院と呼べるものではなく、ただの診療所だった。米軍の空襲でファルージャの大病院が破壊されてから、ただで人々を診療している個人医の診療所だった。もう一軒の診療所は、ガレージに臨時で作られたものだった。麻酔薬はなかった。血液バッグは飲み物用の冷蔵庫に入っており、医者たちは、それを非衛生的なトイレのお湯の蛇口の下で暖めていた。女性たちが叫び声をあげながら入ってきた。胸や顔を手のひらでたたき、祈りながら。ウンミ、お母さん、と一人が叫んでいた。私は彼女を抱きかかえていた。それから、コンサルタント兼診療所の所長代理マキが私をベッドのところに連れていった。そこには、頭に銃による怪我を負った10歳くらいの子どもが横になっていた。隣のベッドでは、もっと小さな子どもが、同じような怪我で治療を受けていた。米軍の狙撃兵が、この子どもたちとその祖母とを撃ったのである。一緒にファルージャから逃れようとしたところを。
明かりが消えた。換気扇も止まり、急に静かになった。その中で、誰かがライターの炎を付けた。医者が手術を続けられるように。町の電気は何日も前から止まっており、発電器の石油が切れたときには、石油を入手するまで、とにかく何とかしなくてはならない状況だった。デーブがすぐに懐中電灯を渡した。二人の子どもたちが生き延びることはなさそうだった。
「こちらへ」。マキが言って、私を一人、ある部屋に案内した。そこには、お腹に受けた銃の傷を縫い上げたばかりの、年老いた女性がいた。足のもう一カ所の傷には包帯がまかれていたが、彼女が乗っているベッドには血が染み込んでいた。彼女は白旗を今も手に握りしめていた。彼女の話も、同じである:「私が米軍の狙撃兵に撃たれたのは、家を出てバグダッドに向かおうとしているときでした」。街の一部は米軍海兵隊に制圧されている。別の一部は地元の戦士たちが統制している。彼女たちの家は、米軍が制圧した地域にある。彼女たちは、狙撃兵が米国海兵隊兵士であるという固い確信を持っている。
米軍の狙撃兵たちは、ただ大虐殺を進めているだけではない。救急車と救助活動も麻痺させている。ファルージャ最大の病院が爆破されたあと残った次に大きな病院は米軍が制圧する地域にあり、狙撃兵たちによって診療所から遮断されている。救急車は、銃弾による損傷を受けて、これまでに4回、修理された。路上には遺体が転がったまま。遺体を取り戻しに道に出ると狙撃されるので、誰も遺体を取り戻すことができない。
イラクに行くなんて、私たちは狂っている、と言った人たちがいた。ファルージャに行くのは、完全に正気の沙汰じゃない、と多くの人たちが言った。そして今、ファルージャでは、ピックアップ・バンの後ろに乗って狙撃兵のところを通り、病いや怪我で倒れた人たちを車で連れてくるなんてことは、これまで見たこともないほど狂ったことだと私に向かって言っていた。私だって、それは分かっている。けれど、私たちがしなければ、誰もしないだろう。
彼は、赤三日月[イスラム世界での「赤十字」にあたる]のマークのついた白旗を手にしていた。私は彼の名前を知らない。運転手が、我々がどこに行こうとしているか通りがかりの人々に告げたとき、皆、私たちに手を振った。ムジャヒディーンの地区のはずれにあるピックアップが最後の角から見えなくなり、次の壁の向こう側からは海兵隊の制圧地になる、そのはざまの地帯は、すさまじいまでの沈黙が支配していた。鳥も音楽もなく、誰一人生きている者の兆しはなかった。そのとき、反対側にある一つの門が開いて、一人の女性が出てきた。彼女はある場所を指さした。
私たちは壁に空いた穴まで壁沿いに歩いた。そこから車が見えた。まわりに迫撃砲の跡があった。側溝には、交差した足が見えた。彼は既に死んでいると思った。狙撃兵の姿も目に入った。二人が建物の角にいたのである。狙撃兵たちにはまだ私たちの姿が見えないと思ったので、私たちの存在を知らせる必要があった。「ハロー」。できるだけ大声で、私は叫んだ。「聞こえますか?」 聞こえたはずである。私たちから30メートル位しか離れていない所にいたのだから──もっと近かったかも知れない。そして、蠅の飛ぶ音が聞こえていた。何度か繰り返し叫んだが、返事はなかったので、自分についてもう少し説明することにした。
「私たちは医療団だ。この怪我をした男性を運びたい。出ていって彼を運んでいいか?OKだというサインを出してもらえるか?」
私の声は、確実に聞こえたはずであるが、彼らはそれでも応えなかった。まったく私の言葉が分からなかったのかも知れない。そこで、私は同じ言葉を繰り返した。デーブも、アメリカ英語のアクセントで同じように叫んだ。それから、再び私が。ようやく、叫び声が返ってきたように思えた。確かではなかったので、もう一度呼びかけた。
「ハロー」「ヤー」「出ていって彼を運び出していいか?」「ヤー」
ゆっくりと、両手を上に上げて、私たちは出ていった。それにあわせたかのように現れた黒い雲は、熱いすえたような臭いを運んできた。彼の足は硬直していて、重かった。私は足をレナーンド・デーブに任せた。ガイドは腰を持ち上げていた。粘ついた血によって、カラシニコフが彼の髪の毛と手にくっついていた。カラシニコフは御免だったので、私はその上に足をかけ、彼の方を持ち上げた。背中の穴から血が流れ出た。私たちは彼を持ち上げてピックアップまで運び、蠅を追い払おうとした。
彼はサンダルを履いていたのではないかと思う。というのも、そのとき彼は裸足だったから。20歳になっていない感じで、偽のナイキのズボンをはき、大きく28という背番号のついた青と黒の縞模様のサッカーシャツを着ていた。診療所で、この若い戦士をピックアップから降ろしたとき、黄色い液体が彼の口から流れ出た。人々は彼の顔を上向きにしてクリニックに連れて入り、臨時の死体安置所にすぐに運び込んだ。私たちは、手に着いた血を洗い、救急車に乗った。別の病院に閉じ込められた人々がいた。これらの人々はバグダッドに行く必要があった。サイレンをならし、ライトを点滅させながら、私たちは救急車の床に座って、パスポートとIDカードを窓から外に向けて見せていた。私たちは救急車に人々を詰め込んだ。一人は胸の傷をテープで貼り合わせ、もう一人は担架に乗せて。足がひどく痙攣していたので、彼を運んでステップを昇るとき、私は足を押さえていなくてはならなかった。
診療所よりも病院の方がこうした怪我人を治療するのに有利だが、病院には適切な手当をするに十分な物資が何もなかった。怪我人をバグダッドに運ぶ唯一の方法は、私たちが乗ってきたバスで連れ出すことだが、そのためには、診療所に怪我人を連れて行かなくてはならなかった。私たちは、撃たれたときのために、救急車の床にすし詰めになって乗った。私と同年代の女性医師ニスリーンは、私たちが救急車から降りたとき、涙をこらえきれなかった。
医者が走り出してきて、私に言った:「女性を一人連れてきてくれないだろうか?彼女は妊娠しており、早産しかけている」。
アッザムが運転した。アフメドが彼と私の間に座って道を指示した。私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に座った。私の手のところで何かが飛び散った。救急車に銃弾が当たったと同時だった。プラスチックの部品が剥がれ、窓を抜けて飛んでいった。
私たちは車を止め、サイレンを止めた。青いライトはそのままにしておいて、待った。目は、建物の角にいる米軍海兵隊の軍服を着た男たちの影に向けていた。何発かが発砲された。私たちは、できるだけ低く身を伏せた。小さな赤い光が窓と私の頭をすり抜けていくのが見えた。救急車に当たった銃弾もあった。私は歌い出した。誰かが自分に向かって発砲しているとき、他に何ができるだろう? 大きな音を立ててタイヤが破裂し、車がガクンと揺れた。
心底、頭に来ていた。私たちは、何の医療処置もなく、電気もないところで子供を産もうとしている女性のところに行こうとしていたのだ。封鎖された街の中で、はっきり救急車であることを表示しながら。海兵隊は、それに向かって発砲しているのだ。一体、何のために?一体、何のために?
アッザムはギヤを握り、救急車を逆行させた。道の真ん中の分離帯を超えるとき、もう一つのタイヤが破裂した。角を曲がったときにも、銃弾が私たちに向けて発砲されていた。私は歌い続けていた。車輪はキーキーと音をたて、ゴムは路上に焼き付いた。
診療所に戻ると、人々が担架に駆けつけたが、私は頭を振った。彼らは新たについた弾痕に目をとめ、私たちが大丈夫かどうか寄ってきた。彼女の所に行く他の方法は無いのか、知りたかった。ラ、マーク・タリエク。他に方法はない。私たちは正しいことをしたんだ、と彼らは言った。これまでにも4回救急車を修理したのだから、今度もまた修理するさ、と。けれどもラジエータは壊れ、タイヤもひん曲がって、そして彼女は今も暗闇の中、一人っきりで、自分の家にいて、出産しようとしている。私は彼女の期待に背いてしまった。
もう一度行くわけにはいかなかった。救急車がなかったし、さらに、既に暗くなっていたので、私の外国人の顔で、同行者や連れ出した人々を守ることも出来ない状況だった。その場所の所長代理はマキだった。彼は、自分はサダムを憎んでいたが、今はアメリカ人の方がもっと憎い、と言った。
向かいの建物の向こう側のどこかで、空が炸裂しはじめた。私たちは青いガウンを脱いだ。数分後、診療所に一台の車が突進してきた。姿を目にする前に、男の叫び声が耳に入った。彼の体には、皮膚が残っていなかった。頭から足まで焼けただれていた。診療所でできることは何もなかった。彼は、数日のうちに、脱水で死ぬだろう。
もう一人の男性が車から引き出されて担架に乗せられた。クラスター爆弾だ、と医者たちは言った。この犠牲者だけなのか、二人ともがそうなのかははっきりしなかった。私たちは、ヤセル氏の家に向かって歩き始めた。角ごとに、私たちが横切る前に道をチェックしながら。飛行機から火の玉が落下して、明るい白光を発する小さな弾へと分かれていった。それがクラスター爆弾だと、私は思った。クラスター爆弾が心に強くあったからだが、これらの光はそのまま消えていった。驚くほど明るいがすぐに消えるマグネシウムの炎だった。上から街を見るためのものである。
ヤセルは私たち全員に自己紹介を求めた。私は、弁護士になる準備をしていると述べた。別の一人が、私に、国際法について知っているかどうか尋ねてきた。戦争犯罪についての法律、何が戦争犯罪を構成するのか、知りたがっていた。私は彼らに、ジュネーブ条約の一部を知っていると述べ、今度来るときには情報を持ってきて、アラビア語で説明できる人も連れてくると伝えた。
私は菜穂子[高遠氏]のことを話題に出した。目の前にいる戦士たちのグループは日本人捕虜を取っているグループとは無関係だが、人々が、この夕方私たちがしたことに感謝している間に、菜穂子がストリート・チルドレンに対してしていたことを説明した。子どもたちが、どれだけ彼女のことを愛していたかも。彼らは何も約束はできないが、菜穂子がどこにいるか調べて、彼女と他の人質を解放するよう説得を試みると言った。事態がそれで変わるとは思わない。この人たちは、ファルージャでの戦闘に忙しいのだから。他のグループとも無関係なのだから。けれども、試してみて困ることはない。
夜通し、頭上を飛行機が飛んでいたので、私はまどろみの中で長距離フライトの中にいるようだった。無人偵察機の音にジェット機の恐るべき音、そしてヘリコプターの爆音が、爆発音でときおり中断されるという
状態だった。
朝、私は、小さな子、アブドゥルやアブーディのために、風船で犬とキリンと象を作った。航空機と爆発の音にも苦しんでいないようだった。私はシャボン玉を飛ばし、彼はそれを目で追いかけた。ようやく、ようやく、私は少し微笑んだ。13歳の双子も笑った。一人は救急車の運転手で、二人ともカラシニコフ銃を扱えるとのことだった。
朝、医者たちはやつれて見えた。この一週間、誰一人、2時間以上寝ていない状態だった。一人は、この一週間でたった8時間しか寝ておらず、病院で必要とされていたので、弟と叔母の葬儀にも出られなかった。
「死人を助けることはできない」とジャシムは言った。「私は怪我人の心配をしなくてはならないんだ」。
デーブとラナと私は、今度はピックアップで再び出発した。海兵隊地帯との境界近くに、病気の人がいて、避難させなくてはならない。海兵隊が建物の屋上で見張っていて、動くものすべてに向かって発砲するので、誰も家から出る勇気はなかった。サードが私たちに白旗を持ってきて、道をチェックして安全を確かめたから心配することはない、ムジャヒディーン側が発砲することはない、我々の側は平和だと伝えた。サードは13歳の子どもで、頭にクーフィーヤをかぶり、明るい茶色の目を見せて、自分の背丈ほどもあるAK47型銃を抱えていた。
私たちは米軍兵士に向かって再び叫び、赤三日月のマークのついた白旗を揚げた。二人が建物から降りてきた。ラナはつぶやいた:「アッラー・アクバル。誰も彼らを撃ちませんように!」。
私たちは飛び降りて、海兵隊員に、家から病人を連れ出さなくてはならないこと、海兵隊が屋根に乗っていた家からラナに家族を連れ出してもらいたいこと、13人の女性と子供がまだ中にいて、一つの部屋に、この
24時間食べ物も水もないまま閉じ込められていることを説明した。
「我々は、これらの家を全部片付けようとしていたところだ」と年上の方が言った。「家を片付けるというのは何を意味するのか?」「一軒一軒に入って武器を探す」。彼は時計をチェックしていた。何がいつ行われるのか、むろん私には告げなかったが、作戦を支援するために空爆が行われることになっていた。「助け出すなら、すぐやった方がよい」。
私たちは、まず、道を行った。白いディッシュダッシャーを来た男性がうつぶせに倒れており、背中に小さなしみがあった。彼のところに駆けつけた。またもや、蠅が先に来ていた。デーブが彼の肩のところに立った。私は膝のところに立ち、彼を転がして担架に乗せたとき、デーブの手が彼の胸の空洞に触れた。背中を小さく突き抜けた弾丸は、心臓を破裂させ胸から飛び出させていた。彼の手には武器などなかった。私たちがそこに行って、ようやく、息子たちが出てきて、泣き叫んだ。彼は武器を持っていなかった、と息子たちは叫んだ。彼は非武装だった。ただ、門のところに出たとき、海兵隊が彼を撃った、と。それから、誰一人外に出る勇気はなかった。誰も、彼の遺体を取り戻すことはできなかった。怯えてしまい、遺体をすぐに手厚く扱う伝統に反せざるを得ない状態だった。私たちが来ることは知らなかったはずなので、誰かが外に出て、あらかじめ武器だけ取り去ったとは考えにくい。殺されたこの男性は武器を持っておらず、55歳で、背中から撃たれていた。
彼の顔を布で覆い、ピックアップまで運んだ。彼の体を覆うためのものは何もなかった。その後、病気の女性を家から助け出した。彼女のそばにいた小さな女の子たちは、布の袋を抱きしめ、「バーバ、バーバ」と小声でつぶやいていた。ダディー。私たちは震えている彼女らの前を、両手を上に上げて歩き、角を曲がって、それから慌ててピックアップに彼女らを導いた。後ろにいるこわばった男性を見せないように、視線を遮りながら。
私たちが、銃火の中を安全に人々をエスコートするのではないかと期待して、人々が家からあふれ出てきた。子どもも、女性も、男性も、全員行くことができるのか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そうに私たちに尋ねた。私たちは、海兵隊に訊いた。若い海兵隊員が、戦闘年齢の男性は立ち去ることを禁ずると述べた。戦闘年齢? 一体いくつのことか知りたかった。海兵隊員は、少し考えたあと、45歳より下は全員、と言った。下限はなかった。ここにいる男性が全員、破壊されつつある街に閉じ込められる事態は、ぞっとするものだった。彼らの全員が戦士であるわけではなく、武装しているわけでもない。こんな事態が、世界の目から隠されて、メディアの目から隠されて進められている。ファルージャのメディアのほとんどは海兵隊に「軍属」しているか、ファルージャの郊外で追い返されているからである[そして、単に意図的に伝えないことを選んでいるから]。私たちがメッセージを伝える前に、爆発が二度あり、道にいた人々は再び家に駆け込んだ。
ラナは、海兵隊員と一緒に、海兵隊が占拠している家から家族を撤退させようとしていた。ピックアップはまだ戻ってきていなかった。家族は壁の後ろに隠れていた。私たちは、ただ待っていた。ほかにできることはなかった。無人の地で、ただ待っていた。少なくとも海兵隊は、双眼鏡で私たちを観察していた。恐らくは地元の戦士たちも。
私はポケットに、手品用のハンカチを持っていたので、レモンのように座ってどこにも行けず、まわり銃で発砲と爆発が起きている中、ハンカチを出したり隠したりしていた。いつでも、まったく脅威ではないように、そして心配していないように見えることが大切だ、と私は考えた。誰も気にして撃とうなどと考えないように。けれども、あまり長く待つわけにもいかなかった。ラナは随分長いこといなかった。ラナのところに行って急かさなくてはならなかった。グループの中に若者が一人いた。ラナは海兵隊に、彼も一緒に立ち去ることができるよう交渉していた。
一人の男性は、人々の一部──あまり歩けない年寄り二人と一番小さな子ども──を運ぶために自分の警察用車を使いたがった。その車にはドアがなかった。それが本当に警察の車なのか、収奪されてそこに放置されたものか、誰も知らなかった。それでより沢山の人をより早く運べるかどうかは問題ではなかった。人々は家からゆっくりと出てきて壁のそばに集まり、両手をあげて、私たちの後ろについて、赤ん坊とバッグとお互いをしっかりつかみながら、道を歩いた。
ピックアップが戻ってきたので、できるだけ多くの人を乗せていたときに、どこからか救急車がやってきた。一人の若者が家の残骸のドアのところから手を振っていた。上半身裸で、腕には血で膨れた包帯を巻いていた。恐らくは戦士であろうが、怪我をして非武装のとき、戦士かどうかは関係ない。死者を運ぶことは最重要ではなかった。医者が言ったように、死者は助けを必要としない。運ぶのが簡単だったら、運ぶだろう。海兵隊と話が付いており、救急車が来ていたので、私たちは死体を運び込むためにもう一度急いで道を戻った。イスラムでは、遺体をすぐに埋葬することが重要である。
救急車が私たちの後を付いてきた。海兵隊兵士たちが救急車を止まらせるよう、銃口を向け、私たちに英語で叫んだ。救急車は速い速度で動いていた。救急車を止めようとして皆が叫んでいたが、運転手が私たちの声を聞くのに永遠の時間を要したような気がした。救急車は停止した。兵士たちが発砲する前に。私たちは遺体を担架に乗せ走って、後部に押し込んだ。ラナが前の座席の怪我人の横に滑り込み、デーブと私は後部の遺体の横に乗った。デーブは、子供の頃アレルギーがあって、あまり鼻が利かない、と言った。今になって、私は子供の頃アレルギーだったらと思いながら、顔を窓の外に出していた。
バスが出発しようとしていた。バグダッドに連れていく怪我人を乗せて。やけどした男性、顎と肩を狙撃兵に撃たれた女性の一人、その他数人。ラナは、手助けをするために自分は残ると言った。デーブと私も躊躇しなかった:私たちも残る。「そうしなければ、誰が残るだろう?」というのが、そのときのモット−だった。最後の襲撃の後、どれだけの人々が、どれだけの女性と子供が、家の中に残されただろう? 行く場所がないから、ドアの外に出るのが怖いから、留まることを選んだから……。私はこのことを強く考えていた。
最初、私たちの意見は一致していたが、アッザムが、私たちに立ち去るべきだと言った。彼も、全ての武装グループとコンタクトをとっているわけではない。コンタクトがあるのは一部とだけである。各グループそれぞれについて、話をつけるために別々の問題がある。私たちは、怪我人をできるだけ早くバグダッドに連れて行かなくてはならなかった。私たちが誘拐されたり殺されたりすると、問題はもっと大きくなるので、バスに乗って今はファルージャを去り、できるだけ早くアッザムと一緒に戻ってきた方が良い。
医者たちが、私たちに別の人々をまた避難させに行ってくれとお願いしてきたときにバスに乗るのは辛いことだった。資格を持った医師が救急車で街を回ることができない一方、私は、狙撃兵の姉妹や友人に見えるというだけで街を回ることができるという事実は、忌々しいものだった。けれども、それが今日の状況で、昨日もそういう状況で、私はファルージャを立ち去るにあたり裏切り者のように感じていたけれど、チャンスを使えるかどうかもわからなかった。
ヤスミンは怯えていた。彼はモハメドにずっと話し続け、モハメドを運転席から引っぱり出そうとしていた。銃弾の傷を受けた女性は後部座席に、やけどをした男性はその前に座り、空箱のダンボール紙を団扇にして風をあててもらっていた。熱かった。彼にとっては耐え難かっただろう。
サードがバスの所に来て、旅の無事を祈った。彼はデーブに握手してから私と握手した。私は両手で彼の手を握り、「ディル・バラク」、無事で、と告げた。AK47をもう一方の手に持った13歳にもならないムジャヒディーンにこれ以上馬鹿げた言葉はなかったかも知れない。目と目があって、しばらく見つめ合った。彼の目は、炎と恐怖で一杯だった。
彼を連れていくことは出来ないのだろうか? 彼が子供でいられるようなどこかに連れていくことは、できないのだろうか? 風船のキリンをあげて、色鉛筆をプレゼントし、歯磨きを忘れないように、ということは? この小さな少年の手にライフルを取らしめた人物を捜し出せないだろうか? 子どもにとってそれがどんなことか誰かに伝えられないだろうか? まわり中、重武装した男だらけで、しかもその多くが味方ではないようなこの場所に、彼を置いて行かなくてはならないのだろうか? もちろん、そうなのだ。私は彼を置いて行かなくてはならない。世界中の子ども兵士と同じように。
帰路は緊張したものだった。バスは砂の窪地にはまりかけ、人々はあらゆるものを使ってファルージャから逃げ出していた。トラクターのトレーラの上にさえ、人がぎっしりで、車は列をなし、ピックアップとバスが、人々を、バグダッドという曖昧な避難場所へと連れて言っていた。車に乗って列をなした男たちが、家族を安全な場所に連れ出したあと、ファルージャに戻るために並んでいた。戦うか、あるいはさらに多くの人々を避難させるために。運転手は、アッザムを無視して別の道を選んだ。そのため、私たちは先導車の後ではなくなり、私たちが知っているのとは別の武装グループが制圧する道を通ることとなった。
一群の男たちが銃を振ってバスに止まれと命じた。どうやら、彼らは、米軍兵士が、戦車やヘリにいるのではなく、バスに乗っていると考えていたらしい。別の男たちが車から降りて、「サハファ・アムレーキ?」アメリカ人ジャーナリスト?と叫んだ。バスに乗っていた人たちが、窓から「アナ・ミン・ファルージャ」私はファルージャから来た、と叫び返した。銃を持った男たちはバスに乗り込み、それが本当だということを確認した。病人と怪我人、老人たち……イラク人。彼らは安心して、手を振って我々を通した。
アル・グライブで一端停止し、座席を変えた。外国人を前に、イラク人を見えにくいようにし、私たちは西洋人に見えるように頭のスカーフをとった。米軍兵士たちは西洋人を見て満足する。兵士たちは西洋人と一緒にいるイラク人についてはあまり気にしなかった。兵士たちは男とバスのチェックをしたが、女性兵士がいなかったので女性はチェックされなかった。モハメドは、大丈夫だろうかと私にずっと訊いていた。
「アル−メラーチ・ウィヤナ」と私は彼に言った。天使は私たちの中にいる。彼は笑った。
それからバグダッドについて、彼らを病院に連れていった。うめき声をあげて泣いていたやけどの男をスタッフが降ろしたとき、ヌハは涙を流していた。彼女は私に手を回し、友達になってと言った。私がいると、彼女は孤独が和らぎ、ひとりぼっちではなく感じる、と。
衛星放送ニュースでは、停戦が継続していると伝えており、ジョージ・ブッシュは、兵士たちはイースターの日曜休暇中で、「私はイラクで我々がやっていることが正しいと知っている」とのたまっていた。自宅の前で非武装の人間を後ろから射殺する、というのが正しいというわけだ。
白旗を手にした老母たちを射殺することが正しい? 家から逃げ出そうとしている女性や子供を射殺することが正しい? 救急車をねらい撃ちすることが、正しい?
ジョージよ。私も今となってはわかる。あなたが人々にかくも残虐な行為を加えて、失うものが何もなくなるまでにすることが、どのようなものか、私は知っている。病院が破壊され狙撃兵が狙っており街が封鎖され援助が届かない中で、麻酔なしで手術することが、どのようなものか、私は知っている。それがどのように聞こえるかも、知っている。救急車に乗っているにもかかわらず、追跡弾が頭をかすめるのがどのようなことかも、私は知っている。胸の中が無くなってしまった男がどのようなものか、どんな臭いがするか、そして、妻と子供たちが家からその男の所に飛び出してくるシーンがどんなものか、私は知っている。
これは犯罪である。そして、私たち皆にとっての恥辱である。
◎邦人2人、新たに拉致か バグダッド郊外(04.4.15)
【バグダッド14日共同】日本の非政府組織(NGO)関係者によると、バグダッド郊外アブグレイブで日本人2人が14日、何者かに拉致されたとの電子メールが同日、この関係者に届いた。日本時間15日午前1時現在、外務省には具体的な情報は入っておらず、確認を急いでいる。
メールによると、2人に同行していたイラク人のNGO関係者が拉致を目撃したといい、被害者は「ヤスダジャンベ」さんと「ワタナベ」さんという。ヤスダさんはフリージャーナリストの安田純平さんとみられる。発生時間は14日午後2時(日本時間同日午後7時)ごろとの情報がある。
メールや現地の関係者の情報によると、2人は13日に米軍ヘリコプターが緊急着陸した現場のアブグレイブに写真を撮りに行き、後ろから来た車に止められた可能性がある。降りたところを連れ去られ、行方が分からなくなったという。(共同通信)[4月15日1時32分更新]
◎コリン@グローバル・ウォッチです。(04.4.15)
近況をお伝えします。残念ながら、月曜の緊急声明5以降、今のところ、朗報
に接することができません。
<INDC/CONDI>のリカービ氏も昨夜から、彼らのネットワークと拉致グループと
の仲介者と電話連絡が取れなくなっています。他のコンタックトの可能性を懸
命に探しています。この状況は、無論ファルージャの状況と密接に結びついて
いると考えられます。
レバノンにいるグローバル・ウォッチの仲間とも連絡を取りました。
アルジャジーラのテレビ局では、聖職者が自称仲介者ドレイミはペテン師で、
信用してはならないと表明したそうです。ドレイミについてはもうどんな人物
か、はっきりしたと思います。
ファルージャ近辺では、誰が呼びかけているのか知りませんが、<西欧人を拉
致しろ!>と呼びかけるビラがかなりまかれているといいます。反米勢力のみ
ならず、恐らくこの混乱に乗じて跳梁している<ならず者>たちもいるようで
す。金銭目当てだけの人質事件もあるようです。現地では警察の機能がほとん
どマヒした状態ですが、この責任も国際法を盾に取れば、アメリカ軍にありま
す。レバノンの仲間の知り合いは、カナダ人女性を家庭で預かっていたのです
が、その家庭も危険なので他の家庭に移したということです。外国人の身辺の
安全が非常に脅かされています。
とにかく、現在、ファルージャ近辺ではゲシュタポまがいの乱暴な捜索が行わ
れ、一人の犯罪者を殺すために、10-50人殺してもかまわない(付随的犠牲
者)という戦略が平気で行われています。私たちは、拉致された日本人同胞の
ことも心配ではありますが、このような殺戮がどこの国からも市民からも抗議
も受けずに平然と展開されていること(イスラエルと同じように)に、抗議の
声をハッキリあげようではありませんか。米国はこのような攻撃をして、どこ
が民主主義の解放者なのか!と。それこそが、テロリスト以上のテロリズムな
のですから。人命を尊ばぬ人道援助とは何か!と小泉に突きつけるのと同じよ
うに!
◎軍事活動停止を受諾 シーア強硬派サドル師(04.4.15)
【パリ14日共同】フランス公共ラジオによると、イラクのイスラム教シーア派の対米強硬派指導者ムクタダ・サドル師の関係者は14日、「サドル師が(同師を支持する)民兵組織マハディ軍の軍事活動を停止し、政治、社会活動の組織に転換することを受け入れた」と述べた。
サドル師側は同日、米国との交渉入りの条件としていた米軍撤退などの条件を既に取り下げたことを明らかにした。相次ぐ譲歩で、イラク中南部を中心とするマハディ軍と米軍の衝突が沈静化する環境が整い始めている。
サドル師は対米交渉に向け、今後は宗教指導者の指示に従う方針としている。 シーア派に強い影響力を持つイランは米側の要請を受け、仲裁の使節をイラクに派遣した。
◎イラク人独立議会を開催する国際的呼びかけ2004年4月9日(04.4.15)
イラクの占領は2年目に突入した。イラク人の要求は日々、明らかになっている。占領の即時停止と、米国が関与しないすべてのイラク人が参加する自由選挙である。
現在の状況では、すべてのイラク人が占領軍の捕虜と化している。彼/彼女らは自由に会うことも集まることもできない。自らの将来を考える権利を否定されている。さらに、米国政府が提案している政治的暫定プロセスは、飼いならされた政権、すなわち、米国の利益と彼らの継続的なイラク駐留を受け入れる政権の樹立が意図されている。
我々、ここに署名する平和を求める活動家、宗教指導者、知識人、学者、著述家、ジャーナリスト、国会議員、労働組合活動家および市民は、占領のない権利、そして自らの歴史の歩みを自ら自由に決定できる権利がイラク人にあることを主張する。我々は、すべてのイラク人が参加する、かつ占領軍の関与のない自由選挙の呼びかけを支持する。
我々は、2003年パリの欧州社会フォーラムおよび2004年ムンバイの世界社会フォーラム反戦会議で支持されたジャカルタ平和合意の呼びかけ、すなわち、イラク社会のあらゆるセクターが、今後のイラク国家のかたちについて自由に討論し、かつ提案できる、占領軍の関与がない緊急イラク人独立議会の開催呼びかけを支持する。これは新生イラクを作り上げるプロセスの始まりであり、かつ自由選挙、民主主義および主権を目指すきわめて重要な第一歩である。
この議会はイラクにおいて開催されなければならない。しかしながら、この可能性が占領軍によって否定されるなら、準備会議がイラク国外で召集されなければならない。我々は、我々の支援と出席を通じて、そのような会議の完全無欠性と公開性を守るためのあらゆる努力を保証する。我々は占領停止を要求し、かつ主権および自決権に関するイラク人の権利を支持する。
Aminata Dramane Traore, former government minister and social
activist, Mali
Chalmers Johnson, writer, USA Chandra Muzzafar, writer and
activist,
Malaysia Christophe Aguiton, activist, France Dennis Brutus,
academic and
activist, South Africa/USA Dennis J. Kucinich (Representative),
presidential
candidate (Democrat), USA Florence Carboni, linguist, Italy
Francis Houtart,
intellectual and activist, Belgium Gustavo Codas, trade unionist,
Brazil
Hans von Sponek, former UN humanitarian coordinator in Iraq,
Germany Horacio
Martins, Brasil Immanuel Wallerstein, writer and activist,
USA/France James
Petras, writer and activist, USA Jeremy Corbyn, Member of
Parliament, UK
Jorge Eduardo Saavedra Durao, activist, Brasil Jose Maria Vigil,
liberation
theologist and writer, Panama Kamal Chenoy, academic and
activist, India
Mario Maestri, historian, Brasil Marta Harnecker, writer, Chile
Miguel
Alvarez Gandara, peace activist, Mexico Miguel Urbano Rodrigues,
writer,
Portugal Mike Marqusee, writer and activist, UK/USA Naomi Klein,
journalist
and activist, Canada Nawal El Saadawi, writer and activist, Egypt
Noam
Chomsky, linguist and writer, USA P.K.Murthy, All India
Federation of Trade
Unions, India Pedro Casaldaliga (Bishop), religious leader,
Brasil Roni
Gechtman, academic, Canada Samir Amin, intellectual and activist,
Egypt/Senegal Samuel Ruiz, former Bishop of San Cristobal de los
Casas,
Chiapas, Mexico Saul Landau, academic and activist, USA Sergio
Haddad,
international secretary, ABONG, Brasil Shivani, India Susan
George, writer
and activist, France Walden Bello, academic and activist,
Philippines
ITALY
Alfio Nicotra, peace secretary, Rifondazione Comunista
Luciano Muhlbauer, trade unionist, SinCobas, Italy
Fabio Alberti, peace activist, Bridge to Baghdad, Italy
ITALIAN SENATE
Sen. Luigi Malabarba (Rifondazione Comunista)
Sen. Nicodemo Filippelli (Udeur)
Sen. Daria Bonfietti (Democratici di Sinistra)
Sen. Stefano Boco (Verdi)
Sen. Angelo Flammia (Democratici di Sinistra)
Sen. Aleandro Longhi (Democratici di Sinistra)
Sen. Loredana De Petris (Verdi)
Sen. Antonio Rotondo (Democratici di Sinistra)
Sen. Angelo Flammia (Democratici di Sinistra)
Sen. Paolo Brutti (Democratici di Sinistra)
Sen. Antonio Falomi (Misto)
Sen. Natale Ripamonti (Verdi)
Sen. Elidio De Paoli (Lega Autonomia Lombarda)
Sen. Luigi Marino (Comunisti Italiani)
Sen. Tommaso Sodano (Rifondazione Comunista)
Sen. Alberto Maritati (Democratici di Sinistra)
Sen. Walter Vitali (Democratici di Sinistra)
Sen. Livio Togni (Rifondazione Comunista)
ITALIAN CHAMBER OF DEPUTIES
On. Fausto Bertinotti (Secretary General Rifondazione Comunista)
On. Franco
Giordano (Rifondazione Comunista) On. Ramon Mantovani
(Rifondazione
Comunista) On. Giovanni Bellini (Democratici di Sinistra) On.
Paolo Cento
(Verdi) On. Elettra Deiana (Rifondazione Comunista) On. Titti De
Simone
(Rifondazione Comunista) On. Pietro Gasperoni (Democratici di
Sinistra) On.
Luigi Giacco (Democratici di Sinistra) On. Alfonso Gianni
(Rifondazione
Comunista) On. Giovanna Grignaffini (Democratici di Sinistra) On.
Graziella
Mascia (Rifondazione Comunista) On. Giorgio Panattoni
(Democratici di
Sinistra) On. Giuliano Pisapia (Rifondazione Comunista) On.
Gabriella
Pistone (Comunisti Italiani) On. Ruggero Ruggeri (La Margherita)
On.
Giovanni Russo Spena (Rifondazione Comunista) On. Tiziana
Valpiana
(Rifondazione Comunista) On. Nichi Vendola (Rifondazione
Comunista)
(to sign on to this statement, go to this link:
http://www.focusweb.org/int-call/
)
◎一時停戦中のファルージャより ラウル・マハジャン 4月12日 コモン・ドリーム掲載(04.4.15)
私たちは一時停戦中のファルージャに行った。そこで私たちが見たことをここでレポートしよう。
ファルージャではいま、治療を行える病院が四軒しかない。そのうちの一軒は、自動車の修理工場を臨時に使っているありさまだ。この町への攻撃が始まったとき、米軍はまず発電所を爆撃したので町中が停電だ。病院では、自家発電でなんとかしのいでいる。
私たちが行った病院は、まさに死にものぐるいの様相をていしていた。医者たちはほとんど眠らずに、昼夜をてっして負傷者の治療にあたっていた。英語を流ちょうに話す病院の部長、アル・ナザルは、米軍によるファルージャの包囲が始まってからの恐怖のできごとをこう語った。
「女性や子供たちがたくさん撃たれたんです。また米軍の狙撃手は、負傷者を運んでいる救急車に向かっても弾をあびせたのです。わたしは47歳のいまになるまで馬鹿でした。これまで米欧の文明を信じていたんですからね」
救急車までが射撃されたなんて、ここに来るまで私は信じていなかった。しかし病院で、フロントガラスに弾痕がついている救急車をこの目で見た。
それは運転手の胸を狙って正確に発射された弾痕だった。米軍の狙撃手は、敵兵の胸を的確に射撃するように訓練されているという。
ファルージャの町中が停電で真っ暗な中、この救急車は赤と青のライトを点滅させ、サイレンを鳴らしながら走っていたので、抵抗勢力と間違えられることはありえない。だから、意図的に狙撃されたとしか考えられない。
一時停戦中なので、米軍は重火器を使っての爆撃はひかえている。そのかわり狙撃手を使っての攻撃がいまも続いている。私たちがその小さな病院にいた四時間のあいだに、十数人の負傷者が運ばれてきた。
その中に十八歳の若い女性がいた。彼女は頭を撃たれ、口から泡を吹きながら発作に襲われていた。医者は、彼女の命は今夜いっぱいは持たないだろうと言った。
同じように死にかかって運ばれてきたのは、幼い少年だった。彼の内臓は大量に出血していた。また、上半身のほとんどが焼けただれたまま運び込まれた男性も見た。彼の太ももはギザギザにちぎれており、これはクラスター爆弾にやられたのではないかと思われた。
病院の中は、「アラー・アクバル!」(神は偉大なり)と泣き叫ぶ人々であふれ、錯乱状態だった。そして人々の怒りはすべて、この地獄をもたらし
たアメリカ人に向けられていた。
ブッシュ政権は、ファルージャで抵抗しているムジャヒディン(聖なる戦士)は、一部の過激派で、多数の市民から孤立していると断言している。これは笑止千万で、これほど真実から離れた言葉はないだろう。
もちろん、女子供や老人は、ムジャヒディンには加わらないが、地域の住民は全力でムジャヒディンをサポートしているのが現実だ。私が会ったムジャヒディンのひとりがイラク警察の防弾服を着ていたので尋ねたところ、実際に彼はイラク警察の一員だった。
負傷して運び込まれた青年アリに、「君はムジャヒディンなのか?」と聞くと彼は、「今日まではそうじゃなかったけど、でもこれからは・・・」と微笑みながら親指でグーサインを出した。こんな仕打ちのあとでは、彼もカラシニコフ銃を手に取るのだろう。
病院の部長、アル・ナザルは、「もしサダムがファルージャ市民に働けと命令したら、われわれは3日間の連休をとりたがるでしょう。ファルージャの住民はサダムの信望者などではありません。それどころかサダムに抵抗しつづけたんです。なのにアメリカ人はわれわれをサダムの残党なんて、まだ呼んでいるんです」と語った。
また、通訳のアル・アロウビーは、「ファルージャの人々は、素朴でシンプルな人間なんです」と私に言った。これらの人々のほとんどは信仰心の篤い農民なのである。だから、ファルージャの人々の好意的な接待を受けることは、いたって簡単なはずだったのだ。なのに米軍は、無惨な挑発行為で彼らの善意を無茶苦茶にしてしまった。
いまとなってはファルージャは、残忍な集団処罰の処刑場になってしまった。すでに六百人以上の市民が殺されたが、そのうちの二百人が女性で、百人以上が子供たちだったと見積もられている。男性の死者の多くもまた、非戦闘員である一般市民だった。
ベトナム戦争のとき、米特殊部隊の大佐が、「この町を救うために、まずこの町を破壊しなくてはいけない」と言った。いまのイラクでも、米兵は同じことを言うのだろう。ファルージャは破壊されつくさないかぎり、テロリストたちから救うことができないのだと・・・。
(抄訳・パンタ笛吹/TUPチーム) http://www.commondreams.org/views04/0412-01.htm
●緊急声明3 グローバル・ウオッチ(パリ)(転送可) :4月11日 22:55 転送されたものを受信(04.4.14)
日本政府へ、そして反戦市民、団体すべてへ
アルジャジャーラにたいする川口外相の声明、外務省報道官の声明は、拉致グループを激怒させるに充分です。わたしたち、グローバル・ウオッチはバグダッド経由の警告を受け取りました。(パリ時間正午12時15分)
これ以上、日本政府が自衛隊派兵の正当性を主張し、米軍と組んでイラク民衆を攻撃しようとするなら、人質解放の扉は閉ざされる危険性があるだろう、との警告です。
私たちは、日本政府がいっさいの無意味なアジテーションをやめ、今回の人質解放に繋がる道を開いたのは、政府の努力ではなく市民たちのネットワークであることを素直に認めるべきである。拉致グループを含め、イラク民衆が望んでいるのは、あらゆる外国の軍隊のプレザンスの退去であり、占領の早期終結です。
以上のことが尊重されないなら、拉致された日本人の生命に万が一のことが起こった場合のあらゆる責任は日本政府にあると判断されても仕方がないでしょう。
グローバル・ウォッチ/パリ コリン・コバヤシ PS:日本政府へ転送できる方は転送をお願いします。
◎22:26リカービがスポークスマンをしている<イラク人民主化潮流>の昨日の声明を転送します。コリン2004年4月12日(04.4.13)
イラク人民主化潮流情報室
怪しい人物が日本人人質3名の解放を妨害している
ここ数日間、イラク人民主化潮流の我々の仲間は日本人人質3名の解放のために数々のコンタクトを作り、訴えをしてきた。我々は、これらの若者3名は、日本政府の公式方針とは全く関係なく、イラク人との連帯および人道支援の仕事をするためにイラクにやってきた国際的活動家である。我々は、ここイラクにおける日本政府の真の動機が何であるのか疑っていた。平和および反戦活動家の手本になることなんて、まっぴらだと思ったのだろうか。
イラクにおけるいくつかの良心的なグループが人質3名の問題を取り上げ、イラク国内で精力的にコンタクトを持った。彼らは拉致グループとのコンタクトを確立しようとして、人質3名を拘留する相当な不当性について彼らに説明した。拉致グループは肯定的な態度を示し、解放の時期を設定したようである。のちに我々は、その解放が「技術および安全確保上」の理由により遅れるということを知った。期限が過ぎたとき、解放が遅れている理由について仲介者は再度、問い合わせを行った。
我々は、きわめて怪しい人物、かつてサダム・フセイン独裁政権の治安部隊とつながりがあったことで有名な人物が介入して、人質の解放を妨害し、拉致グループに、解放と引き換えに日本に身代金を要求するよう説得していることを知った。この人物は、フセイン時代にイラク大使館での自分の仕事を通じて金銭および政治的事件を起こしたことで知られていた。現在、彼は、自分は占領への抵抗に積極的な役割を果たしていると嘘をついている。
この人物はイラクの国内および国外を自由にオープンに移動することができ、占領当局によって一切制限されずに、自分はイラク人の抵抗を代弁しているという嘘を語っている。ラティフ・アル・マヤー博士といった本当に占領に反対する人物は、シスタニ派の自由選挙の呼びかけを支援しているというだけで、占領当局が雇った殺し屋に殺害された。昨日、ムクタダ・アルサドル師を心からかつ連帯して訪問したという理由だけで、尊敬されている聖職者のアームド・バグダディ師に対して殺害未遂事件があった。怪しい人物は行動が自由であり、占領当局からほとんど圧力を受けることなく自由に扇動的な声明を出すことができる。
当然ながら我々はこの人物を深く疑っている。隠していることは何だ?統治評議会の内外で、ブレマーのCPAや裏切り者と、公表できない関係があるのではないか。
我々は再度、拉致グループに、これ以上遅れることなく、これらのイラク人の友人たちを解放し、かつそのような怪しい、いかがわしい人物の助言に耳を傾けないよう訴える。さらに、これらの若者3名は金持ちではなく、身代金として提供できるものは何もない。日本政府として、政府は君たちに解放と引き換えに何も提供しないであろう。政府はおそらく彼ら人質を好ましくない人物だと思っているからである。
最後に、我々は、この怪しい人物に対して、この妨害活動をし続けることによって、もし人質3名、イラクの友人であるこれら3名に何らかの危害がかけられるなら、これは、人生で最も愚かな行為になるであろうことを警告する。イラク人は、イラク人、イラク人の抵抗、および友人たちを汚した者に徹底的に責任を取らせるであろう。
◎11:30きくちゆみです。*ファルージャ大虐殺:*バグダットからの報告(04.4.13)
*ファルージャ大虐殺:子どもたちの写真(残酷ですので見たくない人はパスしてください。でもこれが「人道復興支援」をしている日本が支えている米軍がしていることです) http://english.aljazeera.net/NR/exeres/8CB7C17E-F69E-48A2-8034-DEA425192815.htm
*バグダットからの報告
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0404.html
「地獄の扉を開く:バグダッドからの報告」ラウール・マハジャン
今しがた、アメリカからファルージャで病院が爆撃された、との情報を得ました。サンフランシスコの独立ラジオステーションKPFKからの情報。600人以上の市民を殺して、2000人を血まみれにして治療が追いつかない状態にして、さらに病院や救急車を攻撃する米軍。イラク市民を大虐殺する米兵を運んでいる日本の自衛隊(航空自衛隊)。心あるマスコミの方、これを報道してください。どうしてこれが人道支援といえるのでしょうか。無理です、イラクの人は自衛隊がCPAの一員で米軍を支援していることを知っています。誰も人道支援(もちょっとはしている、で、そこばかり大きく報道される)が主目的とは思っていません。今は一時撤退のジェスチャーだけでも見せるべきではないのでしょうか。「撤退を検討している」と、小泉首相は言うべきです。そして、昨日チェイニーさんにはせめて「戦闘を一時中止するように」と申し入れるべきでした。確かに川口さんも小泉さんも、ひどいですが、政治家の声明文は官僚が(内閣府や外務省)が書いているはずです。政治家はそれを読むだけですから。危機管理能力も人として最低の思いやりや想像力もないんですね。ああいった文章を渡されてあのまま読む、というのは人間として悲しいです。
◎1:51イラクからのレポートー(04.4.13)
バグダードバーニングbyリバーベンドーを送ります。ファルージャの殺戮について書いてあります。(転載可)
人質事件は本人達の事故責任という意見が出ていますが、NGOやジャーナリストは湾岸戦争以降何万人も継続的にイラクに入っています。それなのに、一斉に各国のNGOやジャーナリストが誘拐された背景には、以下のような虐殺を行っている米軍に責任があると思います。
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2004年4月9日金曜日
1年後__2004年4月9日
今日、イラク操り人形評議会が”建国記念日”といって祝うこの日は、”ファルージャ大虐殺”の日として記憶されるだろう・・・ブレマーは、ついさっき休戦を命じ、爆撃は停止されると宣言した。しかし、爆撃は、いまこれを書いているあいだも続いている。ファルージャでは3百人以上が死んだ。市のサッカー場で死者たちの埋葬が始まった。墓地の近辺への立ち入りを禁止されているからだ。死体は暑さで腐敗し始めていて、人々は到着するとすぐ、なんとか埋葬しようと必死だ。かつて若者の足が走り歓声に満たされたフィールドは、男たち、女たち、こどもたちの埋められた一大墓地と化した。
ファルージャの人々は、これまでの48時間、女性と子どもを市から出そうと一生懸命だった。しかし、市外へ向かう道路はすべてアメリカ軍によって封鎖され、たえまなく銃撃され爆撃されている・・・私たちはテレビを見て泣き、叫んでいる。病院は犠牲者であふれている・・・腕や足を失った人たち・・・愛する人を失った人たち。薬も包帯も足りない・・・これはアメリカ軍のしたこと、何てひどいことするのか。これは、集団懲罰だ・・・これが、私たちのおかれた混乱状況への解決法なのか? これが、作戦の’核心’たる’心理戦’?
食料や水、薬や血液や医者を積んだ輸送車隊が市内へ入って支援しようと、きのうファルージャへ向けて出発した。私のうちの近所でも、ファルージャへ送る小麦粉や米の袋を集めていた。E(弟)と私は、家中ひっかきまわして、小麦粉の大袋ひと袋、小さめの米の袋ふたつ、レンズ豆やヒヨコ豆などの混合数キロを見つけた。トラックが任務を果たし人々の助けになることを心から願っていた。それがなんということだ、あるイラク人の医者から、輸送車隊はすべて市内へ入ることを禁止されたと、たったいま聞いた・・・いまは女性とこども、重病の人や負傷者を市外へ出そうと一生懸命だという。
南部も状況は同じだ・・・犠牲者の数は増え続け、加えて略奪と無秩序が広がっている。バグダードでは、怒りがはっきりと形をとって表れている。人々の顔はとつぜん悲しみに満ちてこわばり、ことばで言い表せない無力感が感じられる。水面下に捕らえられて、もがいてももがいても水面へ届かないのに似ている。これら破壊と荒廃のかぎりを見ることは。
フィルド広場(例のフセインの銅像が倒されたところ)は立ち入り禁止だ。アメリカ軍は怒った群衆とデモを恐れているから・・・だけど関係ない。みんな家にじっとしているのだから。もう数日間もこどもたちは学校に行っていないし、大学でさえ誰もいない。バグダードの状況は、ひじょうに不安定で、近所の男たちはまた巡回監視をしようと話している・・・占領の初めの頃とまったく同じだ。
役たたずの統治評議会はどこ? どうして誰ひとり、南部とファルージャの殺りくを非難しないの? どうして彼らは、あの大馬鹿ブレマーに大反対して、こんなことは間違ってる、間違ってる、間違ってるってとことん言わないの? 彼らの一人でも、すこしでも男らしければ、いや人間らしければ、「直ちに停戦しなければ辞職する」と迫ることもできただろうに・・・人々は怒っている。現在のこの事態は、彼らがイラク人でないことの証明だ__イラク国民の生命と生活を守るためにイラクにいるのではないということの。
アメリカやヨーロッパのテレビ局は、死んでいくイラク人を見せない・・・包帯に包まれあるいは血を流している女性や子どもたちを見せない__血の海と腕や足が散らばるただ中で息子の痕跡でもないかと探す母親。死人と死にかけた人々であふれた病院も見せない。アメリカの機嫌を損ねたくないからだ・・・しかし、見る”べき”だ。アメリカよ、見るべきだ。自分たちの起こした戦争と占領の代価を__アメリカ人が故国を何千キロも離れたところで戦争をしているのは、フェアでない。アメリカ人は死者たちをこぎれいな棺に入れ国旗でおおう。対して私たちは、死者たちの断片を床からかき集めなければならないのだ。そしてアメリカの銃弾が、誰だかわからないほど愛する人の遺体をめちゃめちゃにしていませんようにと願うのだ・・・
一年たった。そして、ブッシュは望んだものを達成した__今日、この日のことを歴史は記憶し、イラク人は決して忘れないだろう。人類史上おびただしい量の血が流された日々のうちの一日として。リバーによって掲示 午後4時32分
占領の日__2003年4月9日
この数日、私は、心が記憶の小道へ迷いこんでいかないよう苦しい努力をしてきた。バグダードが炎に包まれる映像が映しだされるたび、チャンネルを変えた。ラジオが占領の初めの日々のことを言いはじめると、スィッチを切った。そして、家族の誰かが「おぼえてる? どんなに・・・」と話しはじめると、静かに部屋を出る。ええ、おぼえてるわ。でも、私は、思いだしたく”ない”のだ、人生でもっともひどかった日々を。コンピュータみたいに、記憶を選んで’デリート’できたらいいのに・・・出来るわけはないけど。
今日は、去年の4月のことを思い出すままにたどってみた。とくに2003年4月9日のことを。この日を、わが操り人形評議会は’建国記念日’にと選んだのだ・・・占領が、ありうること、ではなくなってまぎれもない現実となったこの日を。
この日は、激しい爆撃で始まった。朝5時、ものすごい爆音で目がさめたのを思い出す。髪の毛はほとんど逆立っていた。家族全員、リビングルームで寝ていた。カーテンが厚くて、その分ガラスが飛び散っても安全と思えたからだ。E(弟)は、即とび起きて、カラシニコフ銃がちゃんと充填されているか確かめに走った。私は、いとこの子どもたちを厚い毛布でしっかりくるもうとした。もう暑くなっていたけれど、毛布は子どもたちをガラスの破片から守ってくれる。一番年長の女の子は、幸いなことに、まだぐっすり眠っていた__夢の中、いや悪夢かしら。いちばん年下の子は、うす暗がりの中で大きく目を見開いていた。彼女が、”だいじょうぶ?” と私の表情を読みとろうとしているのに気づいた・・・私はしっかりと微笑んでみせた。「まだ寝てなさい」。
ものすごい爆音がいくつか続いたあと、もう寝てはいられないことをさとった。朝ご飯には早すぎたし、それに誰もそんな気分ではなかった。母と私は、起きあがって、荷作りしてあったバッグを点検した。そして、ドアのそばに待機した。バッグは、戦争の初めの数日に備えて詰められていた___丈夫な衣類、水のびん、出生証明書と身分証明書など重要書類、予備のお金。天井が落ちてきたり、アメリカ軍の戦車が大きな車体で近くに押し入てきたときを想定して、バッグはドア近くにおかれていた。天井、戦車どちらの場合も、ドアめがけて走り、バッグを持ち出すと各自に指示が与えられあった。“遅れている人を待ってはだめ。ひたすら走り、バッグを持ち出す”ということになっていた。
わたしたちの住む地区は、危険地区のひとつだった。頭上を舞うヘリコプター、戦闘機、爆発。本通りを渡った、すぐ向こうの地区には、戦車が押し入り、一晩中、銃撃と戦車の音が聞こえていた。母は、不安げに窓のそばにたって、通りの様子を見ようとしていた。避難すべきだろうか。家にとどまって待機すべきだろうか。どうなるだろう何が起こるのだろう。Eといとこは、近所の人はどうするつもりか聞いてくると言った。
Eたちは、5分後に戻ってきた。Eは青ざめ、いとこの表情は固かった。近所の誰もが同じだった。どうしていいかわからない。Eは、家のすぐ近くには通りに人影があるものの、バグダードはほとんど空っぽだと言った。私たちは、家を出て、バグダードのむこう側の端にある叔父の家へ行こうと話し合った。が、いとこは、それはできないと言った。道路はすべて封鎖され、橋はアメリカ軍の戦車に破壊され、運よく叔父の家近くにたどり着いたとしても、戦車かヘリコプターに銃撃される危険があるという。家で待とう。
いとこの妻は、そのときにはすっかり目がさめていた。ふたりの子どもを両わきに座らせて、しっかり抱きしめていた。彼女は、自分の親と1週間も話していなかった・・・電話は通じなかったし、親たちが住む地区へ行くすべもなかった。この大変な事態に、おびえきっていて・・・親たちはみんな死んでしまったか死にかけていると思いこんでいた。なんとか正気を保っているのは、娘たちがいたからだった。
このとき、私の心は麻痺していて、ただ爆発だけに反応していた。特別すごい爆発のときは、縮みあがり、遠くに聞こえたときは条件反射で感謝の祈りを唱えた。ときどき、頭を使わないでできる家事__水差しに水を入れたり、毛布をたたんだり__ができる程度には、正常になった。が、そうでないときは、麻痺していた。
いくぶん爆発がおさまったのは、昼近かった。私は、思いきって少しの間外へ出てみた。戦闘機がほしいままに行き来し、遠くに銃撃の音が聞こえていた。それ以外は、不気味な静けさだった。少しして、母も出てきて、小さなオリーブの木の下の私に寄り添って立った。
「うちを出なければならなくなったときのために、知っておいてほしいことがあるの・・・」と母は言い、私は、蚊のような音で飛ぶ’ムシ’というあだ名の、中でも憎たらしい飛行機が飛んでるわと思いながら、ぼんやりうなずいた。あとで、これは、抵抗勢力つまりイラク軍を捜索している’偵察’機だと知った。
「バッグの中の書類は、家の登記関係と車の・・・」。私は気がついた。母のほうに向き直り聞いた。「どうしていまそれを言うの。私が知っているって
こと、わかっているでしょ。一緒に荷作りしたんだから・・・とにかく“お母さん”は全部知っていることよ・・・」。 母はうなずいて認めたが、「ええ、ちょっと確認したかっただけ・・・もしなにか起こったら・・もし私たちが・・」。
「つまりなにかで離ればなれになったらってこと?」私は急いで引き取って言った。「そう、もし離ればなれになったら・・・その通りよ。どこに何があって、どういうものか知ってなくちゃいけないでしょ・・・」。その頃には、涙をこらえるのに必死だった。やっとのことで涙をのみ込んで、いっそう飛行機に注目した。どれほど多くの親やこどもたちが、きょう、これと同じ会話を交わしているだろうか。母はもう少し話を続けた。恐くて考えたこともなかった、これまで話されたことのない恐ろしい可能性についての話らしい__死後の人生について。死後の永遠の生命のことではない。そんなの聞きあきている。そうではなくて、親の死の後の、私たち(私と弟E)の人生、という可能性。
戦争のあいだ、つねに死の可能性があった。きわどいところで、家族全員死んでいたと思う瞬間が何回かあった。とくにあの恐ろしい’衝撃と畏怖’のあいだ。しかし、私はみんないっしょに死ぬと当たり前のようにずーと思っていた__家族みんな。私たちはみんな一緒に生き延びるか、みんな一緒に死ぬか・・・これまで話は簡単だった。新たに突きつけられた可能性については、まったく考えたくもなかった。
二人でそこに座って、母は語り、私はといえば悪夢のような言葉に深く迷い込んでいくいっぽうだった。そのとき、ものすごい爆音がして、窓ががたがたと鳴り、小さな庭のしっかり根をはった木さえ揺さぶられたようにみえた。私は飛び上がり、ほんとに生まれて初めて爆音を聞いてほっとした・・・これで陰気な会話は終わり。私の思いはただ、”なんていいタイミング”ということだけだった。爆音が試合終了のゴングのように聞こえたのだ。
そのあとは、電池ラジオを聞いて、まわりで何が起こっているのかなんとか知ろうとすることだけで過ぎていった。近所の人から、アーダミヤの大虐殺のことを聞いた。南部でアメリカ軍は無差別に銃撃していること、多くの死者、略奪・・・通りは危険で、危険をおかして出ている人は、ほかの地区に避難しようとしている人か、盗人だ。盗人たちは、死んだばかりのライオンに群がるハゲタカのように、家々や学校、大学、美術館、政府の役所などを襲い始めていた。
いつしか夜になった・・・私の人生でもっとも長い一日。その日、バグダードでの戦いが終わったことを知った。そして、戦争の恐怖は、新たに直面することになる恐怖に比べればなにほどのものでもなかった。その日、アメリカ軍の戦車を初めて見た。戦車がバグダードの通りに異様な姿を現し進んできた__住宅地区を通り抜けて。
これが、私の4月9日。何百万人のイラク人にとっての4月9日。私たちほど運がよくなかった人はおおぜいいる__4月9日に愛する人を亡くした
人々。銃や戦車やアパッチ(米軍攻撃用ヘリコプター)によって。それを、統治評議会は4月9日をうれしい日として思いだし、”建国記念日”として祝えと言っている。勝利の日として・・・だけど、だれの勝利? それに、だれの国? リバーによって掲示 午後4時28分
◎3:02> 情報の混乱を避ける目的で書きます。(04.4.13)
仲介者として登場したミズヘル・アル・ドレイミ(緊急声明4で仏語式にミュ
ズヘール・アル・デライミと書いてしまいましたが)は、謎が多く、ペテン師
といわれている人物で、1991年、サダム・フセインのボディーガードだと称し
て、フランス・テレビTF1のスター的ニュース・プレゼンテーター、パトリッ
ク・ポワーヴル・ダルヴォールのニュース番組に登場し、キャピテン・カリム
と名乗った人物です。後日、それが真っ赤なウソだということがわかり、彼の
いうことに同意を与えていたパトリック・ポワーヴル・ダルヴォールも事実ね
つ造の嫌疑をかけられて裁判沙汰になりました。その後、この男は企業家と自
称して、あちこちのメディアに顔を出し、現在ではイラクで、<イラク人権擁
護団体>の市民反戦活動家と自称しています。しかし、裏ではCPAのポール・
ブレーマーとも繋がっているとまで指摘されています。
フランスでは、ペテン師として知る人の間では有名です。
読売のサイトが日本時間深夜1時頃に彼の声明を流しましたが、しかし、この
仲介役といわれた男も、現在、拉致グループから追い出されました。私たちの
市民のネットワークが信頼されたのです。一時はこのペテン師が登場したこと
で、事態の推移をたいへん危惧しましたが、まもなく、何事もなければ解放さ
れるはずです。そして多くの真実がわかるでしょう。
仲間の三人は元気で、客人として接待されているということです。
取り急ぎ。 グローバル・ウォッチ/パリ コリン・コバヤシ
★ものすごい数の声明や呼びかけが飛び交い、とても引用しきれません。(04.4.13)
みな真剣な想いと工夫のこもったものばかりです。TUPでもメンバーの一人である今井くんら3人に生きて返ってほしいと、外国メディアへの働きかけやNGOルートでの救出サポート、翻訳支援など、休む間もなく動いています。
有志の声明も出しました。→ http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/295
また高遠さんを慕うイラクの人たちが、拘束グループに向けて発信し、チラシにしてファルージャ周辺で1万枚撒いた手紙も訳出しました。
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/297
◎占領監視センターからの緊急行動要請(04.4.12)
イラクの人々と共に連帯するための緊急要求 国際占領監視センター代表エマン・アーメド・カマス 国際占領監視センター
2004年4月8日
バグダッド占領
世界の人々と代表者に、国際連合で米国主導の占領軍による攻撃に反対するよう、イラクの人々は国際的な連帯を要求します。
これらの攻撃がイラクの都市とその周辺に住む全ての住民を恐怖に追いやることを意図しているのは明確です。
報告によれば、4月4日に始まった攻撃により、ファルージャだけで300人以上(*)のイラク人が殺され、さらに何百人もの負傷者で溢れています。
アダーミヤ、スーラ、ヤモク、ファルージャの市街とその近郊、、ラマディ、バスラ、ナシリーヤ、カルバラ、アマラ、クート、クファ、ナジャフ、ディワニヤ、バラドおよびバグダッドでは特にサドルで戦闘が続いています。
住宅、病院、モスクのみならず救急車が怪我人を搬送中にも占領軍兵士や戦車によって爆破され、銃撃されています。
ファルージャとアダーミヤは、民間区域を包囲し長期間抑留下におくことを禁止するジュネーブ協定も違反して、現在占領軍によって包囲攻撃の下にあります。病院も十分な医療援助、不可欠な医薬品と装備、あるいは輸血用血液供給の手段も奪われています。ファルージャでは包囲されているために、病院は医者に自分の家で野戦病院を開設するしかない状況におかれています。献血者が入ることさえ許可されていません。従って、バグダッドとファルージャではモスクが怪我人のために血液を集めている状態です。水と電気がこれまでの数日の間断絶されたままです。
サドルシティでは、米軍ヘリコプターが住宅地域をロケット弾で攻撃し、家を破壊しています。外出禁止令が公式には出されていないなかで、米国軍兵士は暗くなってから街路を動いている車輌を発見すると戦車砲で攻撃をしています。火曜日の夜だけで、少なくとも6人の人々がこのようにして殺されました。米軍はすべての警察署とサドル市役所を占領し、包囲し続けているのです。
このような攻撃がこれまでの1週間にわたって急激に拡大したのですが、それは決して占領されているイラクで新しい現象ではありません。文民への無差別殺戮、人々への安全保障義務の提供や電気もまともな医療のための社会基盤整備も拒絶している現実は、占有当局がイラクにもたらした「自由」を特徴づけるものです。
我々は諸国家、市民社会と反戦および反占領の運動に対して団結の具体的な表明として、この恐怖の米国主導の戦争に対し、そしてイラクの人々を支援するために、この身の毛がよだつ事実を直視することを求めます。
どうか米国によって指揮された攻撃を直ちに中止するよう要求するために、街頭に出てください。
世界中の米国領事館と大使館の前で抗議と要請行動を組織化してください:
この大虐殺を直ちに止めろ;
イラクの都市や近郊の包囲攻撃を直ちに止めろ;
攻撃下に住んでいるイラクの人々への援助を提供しようと努めている、人道・医療支援組織にの立ち入りを直ちに認めよ;
そして、「我が国」による占領を止めろ
デモがすでに組織化された都市は、ミラノ、モントリオール、東京、イスタンブール、ボストン、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワシントン
D.C. とニューヨークです。
バグダッドの国際占領監視センターと連絡を取るために、どうか001
914 360-9079 あるいは001 914 360-9080に電話をしてください。
また、電子メールは eman@occupationwatch.org
です。
◎サラヤ・アル・ムジャヒディーンの兄弟たちへ(04.4.11)
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以下は、高遠菜穂子さんの友人である細井明美さんの、イラクの
友人が、アルジャジーラ、アルアラビアを通して、高遠さ
んたちを拘束しているレジスタンスに向けて届くよう送った
手紙です。また、ファルージャ、ラマディ近辺に10,000枚
配られたそうです(原文はアラビア語)。呼びかけ人は、
高遠さんと一緒にストリートチルドレンのために働いていた人
だそうです。
(池田真里)
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神の名において
サラヤ・アル・ムジャヒディーンの兄弟たちへ
神が、わたしたちの国のためのよき計らいを祝福してくださいますように。神が、わたしたちの祈りをお聞きとどけくださって、この国から悲しみが取り除かれますように。
この手紙が、あなたがたのもとに届きますように。神は、この手紙が真実のものであると知っておられます。この手紙があなたがたのもとに届き、あなたがたが読むことは、神の思し召しでもあります。あなたがたの捕らわれ人となっている日本の女性、菜穂子さんについて、神はあなたがたの知らないことを知ってほしいと望んでおられるからです。わたしたちは、アルジャジーラの放送で、彼女が捕らえられている3人のうちの一人であることを知りました。
わたしたちは、菜穂子さんとほかの二人の日本人を、あなたがたが大切に遇してくださっていると信じています。わたしたちの信ずる神がそれを命じておられるからです。それは、わたしたちが偉大な先師たちから学んできたことでもあります。
この手紙は、あなたがたの行いまた企図を裁こうとして書かれたものではありません。そしてまた、わたしたちは、日本の軍隊(それが正規の軍隊であろうと、日本政府がいうように復興支援の防衛軍であろうと)の入国を支持するからこの手紙を書いているのでもありません。
この手紙と添えられた写真は、ただひとつの願いから書かれたものです。菜穂子さんは、(もしあなたがたが人質を必要としているとして)、けっして人質とされてはならない人だということを知ってほしいのです。
この日本女性は、一個の人間として自ら強く望んで2003年5月からバグダッドに来ています。その日から、イラクのホームレスのこどもたちの手に食物を、衣服を、医薬品を届け、長い間働いて貯めたお金をそのためにすっかり使いきってしまうのです。この前、日本に帰ったとき、菜穂子さんは、1カ月半ほど働いてお金を貯めて戻り、イラクのホームレスのこどもたちのために使おうと計画しました。だが、活動はとても困難で、日本のお母さんといって菜穂子さんの帰りを待つこどもたちのために必要な品々を買うお金を十分貯めることができませんでした。あなたがたが、菜穂子さんを捕らえたちょうどその日、バグダッドでは、多くの人々が彼女を待っていたのです。
サラヤ・アル・ムジャヒディーンの兄弟たち、わたしたち自身とイラクの孤児たちのために、3人の日本人の人質たちを解放してほしいという願いを聞きいれてください。中でも、菜穂子さんは、自分はひと切れのパンで満足し、わたしたちのこどものためにはたっぷりとパンを求めてくるような人です。彼女は、イラク国民への深い思いやりをいかに示すか、日本人にとってのよいお手本となっています。
神が望まれ、あなたがたが3人の日本人を解放するなら、あなたがたは、日本人に対し、あなたがたとわたしたちがともに望むことをなす、善きチャンスを与えることになります。日本の人々は、いつもわたしたちに味方しわたしたちの主張を支持していました。信仰と国を同じくするわたしたちの兄弟たちの多くがただ見ていただけのときにも。
なすべきは神のために。
アル・サラム・アライクム
ストリートチルドレン・イラク人活動家グループ 2004年4月9日
◎【TUP論説】「ファルージャで惨殺されたのは、ただの“民間人”ではない!」(2004.4.4)
3月31日にイラクのファルージャでアメリカ人4人が殺され、その焼死体を住民が引きずまわしたり、鉄橋から逆さ吊りにしたりした悲痛な事件について、日本のマスコミは米国の「民間人」「ビジネスマン」「復興請負業者」などとボカした伝え方をしているようです。けれども、新聞・テレビを含め海外ニュースでは、4人が占領軍暫定当局のブレマー行政官の身辺警護にも当たるブラックウォーター社という特殊警備会社の社員であることをはっきり報じています。4人を単なる「民間人」や「ビジネスマン」ととらえたのでは、問題の本質を見逃してしまいます。被害者の冥福を祈るとともに、自衛隊派遣にも影響する事態をより正確に理解するために、いまわかる範囲で情報提供します。
2004年4月4日 星川
淳/TUP
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■ブラックウォーター社■
「ブラックウォーター・セキュリティ・コンサルティング」という名称で、米国ノースカロライナ州に本部を置く広義の警備保障会社「ブラックウォーターUSA」の傘下5社の一つ。要人や重要施設の警護のほか、米軍や警察の特殊部隊、外国民兵組織などに武器と訓練を提供する。年収10〜20万ドル(1000〜2000万円)の高給により、現役・退役を問わず軍から引き抜かれた幹部・教官・社員が主力で、実態は民間軍事企業。米軍やFBIと連携した特殊任務も多く、イラクではブレマー行政官の警護も担当する。
[参考]
http://www.blackwatersecurity.com/
http://www.cnn.com/2004/US/South/03/31/civilian.deaths.ap/
■ファルージャ襲撃■
公式発表では、襲撃されたときの任務は食料運搬の警護とされるが、車両に大量の武器が積まれていたとの報道もあって、真相は不明。現場で発見されたチラシには、イスラム過激派の名で、イスラエルによるパレスチナのハマス指導者ヤシン師暗殺に対する報復と書かれていたようだ。アメリカ側は海兵隊4000人を投入した強硬な平定作戦を検討中。イラク国民の占領への憎悪は、各地でいっきに高まる可能性がある。
■民間軍事企業――21世紀の傭兵?■
この事件の背景には、米英が進める“軍事アウトソーシング”ないし“戦争民営化”とも呼ぶべき方針がある。正規軍に同行して兵站・給食・技術サービスなどを提供する民間企業社員は、湾岸戦争時の兵士100人に1人から、今回のイラク戦争では兵士10人に1人まで激増したといわれる。戦闘終了後の占領にともなう警護サービスも、この現代の傭兵ビジネスの一端で、米英のほか南アやチリからも相当数の私兵が参入している。
最大の問題は、正規軍と違って国際条約やROE(交戦規則)に縛られないため、誤った行動などによる被害の責任を問われず、また死傷者が出ても“企業秘密”の名目で正式な犠牲者にカウントされないこと。自国兵士の被害が最大のダメージとなる政府としては、国民に犠牲の少ない戦争と見せかけることができる。もしこうした軍事企業関係者の被害を加えれば、イラクの米側死者数は現時点で600人をはるかに上回っているだろう。
さらに、ブラックウォーター社員の高給が示すとおり、表向きの戦費支出が節約できるように見えて、じつは国庫や国際的な復興援助供出金から民間企業に莫大な資金が流れ、むしろ費用対効果が低下しかねない(燃料や給食で不正請求したハリバートンが好例)。軍からこれら民間軍事企業への人材流出も問題化しつつある。
[参考]
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=15&ItemID=5256
http://www.workingforchange.com/article.cfm?itemid=16701
http://www.findarticles.com/cf_0/m1181/1998_Fall/56021075/p1/article.jhtml?term=David+Shearer