1:なぜ軍隊を持たないという憲法を日本が持つ事になったのか。
よくこれは誤解されて理解されています。つまりアメリカ占領軍がこれを押しつけたのだと。 表面的な事実を見るとこの理解は正しいように見えま
す。でも違うのです。憲法第9条は1928年の不戦条約に基づて作られているのです。
この条約は、ヨーロッパの安全保障にアメリカ合衆国をまきこむ目的でフランスが提案したものですが、ヨーロッパ問題に巻き込まれるのを怖れた
アメリカ合衆国政府はこの提案を逆手にとって多国間国際条約として締結する事を逆提案し、おりからの国際的な平和世論に押される形で1928年
に国際条約として結ばれました。
この国際条約は、自衛のための戦争を認めるというあいまいな条約ですが、「国際紛争を解決する手段としては戦争にうったえることを非とし、国
際政策の手段としては永久に戦争を放棄すること」を宣言しました。つまり侵略戦争は完全に否定していたのです。
この条約を押し上げた背景には、第1次世界大戦の余燼くすぶる中でフランスによるルール占領など、またしても戦争のきな臭い匂いがする事へ
のヨーロッパ規模での反発と労働運動の高揚。そして、アジアの中国やインドにおいて植民地解放闘争が高揚したことがあげられます。
しかし、翌年の世界恐慌を背景に植民地争奪戦争は現実化し、第2次世界大戦に突入してしまうのですが、「侵略戦争」の放棄を条約を批准した
各国人民の名で宣言した不戦条約は、ドイツ・イタリア・日本のファシズム軍事同盟諸国による侵略戦争を糾弾する人類的根拠を提供し、アメリカ合
衆国による「民主主義を守る」「自衛のための戦争」に正統性をあたえる根拠ともなりました。そしてこれは同時に日本の侵略に抗し独立を目指そう
としたアジアの各地の民族運動にも大義名分を与えるものとなったのです。
したがって第2次世界大戦が終わったとき、戦勝国は敗戦国を不戦条約違反で裁く事が出来たのであり、この条約の精神をもとに敗戦国の軍備
を解体し、それを永久に復活させないことの正統性をも不戦条約は与えたのです。
そして、この不戦条約の精神がもっとも発揮されたのが、日本の戦後処理です。
日本はドイツと違って、回りをすべて旧植民地の国に囲まれ、そして「民主主義」の一方の象徴であるソ連にもかこまれていました。ですからアメリ
カ占領軍は「連合軍」として行動するしかなく、それはソ連や中国やインドの意向に強く規定されていました。
東京裁判で天皇の戦争責任を強く糾弾したのはインドの判事であり、昭和天皇が戦争には関与していなかったことを強調する「独白録」を書かざ
るをえなかったのは、インドや中国そしてソ連が天皇の処刑を強く主張していたからだということは、今日では明らかです。日本の再軍備の問題もこ
の筋書きの中で処理されたのです。すなわち、日本が再軍備をし再び周辺諸国を侵略することを恐れた中国やインドやソ連の強い意向の下で、日
本は不戦条約を破った国として処罰され、その条約の精神を永久に保持するという証として、戦争の放棄を宣言するだけではな、く軍隊の放棄をも
宣言することになったのです。
憲法第9条はアメリカの押し付けではなく、植民地獲得の侵略戦争に反対する国際的流れの中で成立した不戦条約の精神にのっとって、その植
民地諸国の圧力のもとで成立したのです。さらにこの事実は、今でも日本が第9条を改正しようとしたり侵略の事実を覆い隠そうとしたりするたびに
アジア各国の抗議により常にその動きが頓挫してきた事に良く表現されています。
憲法第9条を、アメリカ占領軍の中枢を担ったニューディーラーたちが憲法に挿入できたのは、彼らの理想主義を後押しする国際的傾向が強かっ
たからなのです。
したがって戦争全てを否定した憲法第9条は、侵略戦争と戦ってきた世界中の人々の願いが結晶したものであり、21世紀を先取りしたものだとい
うことは、忘れ去られてはならないのです。
しかし、しばしばこの事実は忘れ去られています。特に自衛隊の海外派兵をもくろむ人たちや、アメリカやヨーロッパの主要国の政府要人たちによ
って、憲法第9条制定の国際的背景は忘れ去られています。いや正確には、彼らは「忘れたふり」をしているのです。何世紀にもわたって、世界を武
力と経済力とで支配してきた彼らにとっては、そして第二次世界大戦後も植民地は独立させながらも、あいかわらず政治的・経済的にアメリカ・ヨー
ロッパの秩序に従わせ、かの地を、原料供給市場・商品販売市場・資本投下市場として縛り付けてきたこの人々にとっては、憲法第9条の制定は、
一種の敗北だったからです。