亀井城の謎(その2)

7.まとめ


 以上が1988年の3月までに調査・研究できた内容です。

 今年の研究は、なんといっても、亀井住宅南側の遺構を詳しく調査し、それをいろいろな時代の城の遺構と比較して、戦国時代中期のものではな

いかという仮説をたてたことが大きな前進です。文献ではどうもはっきりしないことが、遺構によって少し見えてきました。

 顧問の意見は、最後に載せた佐藤君の考え方とは少し違います。「亀井城は亀井六郎の城」という言い伝えは、全く否定されたけではありませ

ん。亀井住宅の南側の遺構の調査でわかったことは、亀井の台地にあった城、現在遺構を残している城は、平安時代末から鎌倉時代の人、亀井

六郎の城ではないということです。

 でも、亀井六郎の城がなかったという証明にはなりません。はっきりしたことは、亀井六郎の時代の城は、戦国時代のものとも全く違うということで

す。麻生不動尊のあるところが、鎌倉時代の館のあとであり、その背後の亀井の台地が戦の時の城、と顧問は考えています。

 今後の研究は、今まで以上に多方面にわたります。

@文献で、亀井六郎ついてもっと詳しく調べること。

A小嶋佐渡守と亀井城の関連について調べること。

B亀井の台地の昔の状況についてさらに詳しく聞き込み調査をすること。

C鎌倉時代の館・城について詳しく調べること。                 

  このへんが今後の課題ではないでしょうか。

○考古学研究部・部員・班員名簿                         

  ○歴史班 臼井宗胤3)・佐藤康人1)・倉持 亘1)・保科秀幸1)・新田孝章1)林 正弘3)

  ○地形班 伊藤 悟3)・武内 守1)・遊佐兆正1)・大瀧 聡1)・大谷英昭1)

  ○その他 押井謙一3)・柏木 茂3)・上田 卓3) 

         


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