昔の人の食べ物

                                                                     昔の人の生活班 


1.はじめに 

 私達の班は,今までは衣服を中心に,昔の人の生活を調べていました。昨年までは,古墳〜奈良時代の人の衣服について調べ,それを作ってみ

るなどの事をしてきました。

 今年は,調べる範囲を広げて,縄文時代〜江戸時代の人々の食べ物について調べてみました。

2.縄文時代の食べ物

 食べ物は,動物をとらえて,肉のほかに内臓まで食べました。内臓は栄養があり自然の塩分もふくんでいるので,体に良い食べ物だという事を,

原始人も知っていました。内臓は,火でやいて食べました。たき火の中であつくした石の上で肉をあぶる方法もあったらしく,『焼石』がみつかること

があります。

 動物の骨や角は,加工して道具をつくり,毛皮は衣服にしました。 動物のほかに,木の芽・木の実・野草なども食べました。

 このことからも分かるように,この時代の日本人は,いろいろな種類の食べ物を食べました。これは,日本の土地に食べ物の種類が多かったから

です。                                         

 3.弥生時代の食べ物 

 弥生時代の人々は,米のもみがらをとって,玄米のまま食べるのが普通でした。いまの御飯は,精米した米をたきます。

 弥生時代には,米を土器で煮るほかに,蒸す方法がありました。底に小さい穴をいくつもあけた『こしき』という土器があります。これが,むし器だっ

たのです。むした御飯は,ひえると固くなります。そこで,蒸してすぐに,固くおしつぶして丸く平らな形にまとめました。これが,『もち』のおこりです。

 米を食べるようになると,かびの作用で米を醗酵させて作る『酒』もできます。はじめの頃の酒は,液体ではなく,どろどろした食べ物でした。木の

葉などに乗せて食べました。

 <いろいろな食物>

 米のほかに,アワ・ヒエや豆なども畑でさいばいしていました。大根の先祖の,オオネという野菜や,ウリ・ヒョウタン・モモなどもさいばいしました。

山や海でとれる動物や魚・貝なども大事な食べ物でした。野菜や木の実もよく食べました。このころはまだ調味料はありませんが,蜜・果物の干した

もの・山椒の実などで,味の変化を楽しんでいました。                        

4.古墳時代の食べ物 

 古墳時代になると,米がたくさんとれるようになって,御飯を食べることが多くなりました。米を主食にする習慣は,このころにでき,食事の回数は

朝と夕の2回でした。しかし,米が多くなっても,国民みなが米を食べたわけではありません。豪族にさしだしたり,物々交換につかうので,自由に食

べられませんでした。そこで人々は,米に麦やアワをまぜたり,ヒエやアワだけの御飯を食べる方が多かったのです。

 米や野菜をさいばいするほかに,野草をつんだり,魚や貝・海草をとって,たくさんの種類の食べ物をとったので,多くの人々は,健康で働くことが

できました。                                    

 5.奈良時代の食べ物 

 ひしおや塩からは,穀物や肉を醗酵させてつくる食品で,長持ちしました。ひしおは,味噌のようになめ物にしたり,味つけに使いました。ひしお・

酢・塩などを食物にまぜたり,のせたりして,味を良くしました。また,塩の生産が増えますが,まだたくさんでまわらないので,値段はかなり高いもの

でした。

 役人の食事では,米を蒸した御飯が食事の中心(主食)で,おかずは動物の肉・魚・野菜・海草(ワカメ・コンブなど)を食べました。唐の国の食べ

物にならって,米粉や小麦粉をこねて,油であげたり,蒸して作る『唐菓子』も食べるようになりました。食事の後に,果物(モモ,ウリ)も食べるように

なりました。

6.平安時代の食べ物 

 主食は,米を蒸した御飯で,『強飯』といいます。それを食器に高くもりあげました。宴会の時には,鳥や魚・貝・魚のなます・米粉や小麦粉でつくっ

た『唐菓子』・果物・『水菓子』などももりあげます。食卓の上に高くもりあげた方が,りっぱなもてなしととられているからです。

 食卓の上の食品の多くは,干した物です。干した食品を『けずり物』といいます。めいめいが小刀で削っておわんに入れ,お湯を入れてやわらかく

して『おまわり』という調味料をつけて食べたからです。

 この時代には,野菜を食べることも少なくなります。                                                

 7.鎌倉時代の食べ物

★−武士の食べ物−★ 

 武士は野山で狩りをして,けものの肉を手に入れたりして,粗末でも,自由な食事をとりました。朝・夕の2回,玄米を蒸した御飯を食べます。

☆−民衆の食べ物−☆

 野菜の種類や,漁村から塩づけにした魚が送られてくるので,いろいろなものを食べるようになりました。

 古代の『ひしお』という食品から発達した味噌は,調味料となめ物に使いました。ウリ・スモモなどをつけた『奈良漬』や,大根の『たくあん漬』もおこ

ります。『うめぼし』も,このころできます。

 蒸した米が食事の中心でしたが,今の御飯と同じように,水で炊く方法もしだいに広まります。

 農民は米を作っても,年貢に差し出す分が多いので,米に麦やアワ・ヒエなどの雑穀をまぜて食べました。貧しい家や,米がとれない山の村の人

たちは,アワ・ヒエだけの食事をしました。

 お茶を飲む風習が,この時代からひろまりはじめます。 

8.室町時代の食べ物

★−武士の食事−★

 このころには,今まで2回だった食事の回数が3回になります。また,生魚のさしみを食べるようになりました。『つくり身』ともいって,切身をきれい

に盛りつけました。『醤油』があらわれるのもこの時代ですが,はじめは,さしみにわさび酢などをつけて食べていました。

☆−民衆の食事−☆ 

 米の生産が増えて,これまで貧しくて,ヒエやアワを多く食べていた農民も,米を食べることが増えます。それから,いろいろな種類の『もち』ができ

たり,中国から伝わった,『豆腐』『うどん』『まんじゅう』などが加わります。     

9.安土・桃山時代の食べ物 

★−武士の食事−★ 

 このころのぜいたくな料理には,コイ・タイ・アワビ・ツルのような,魚・貝・鳥をそろえて,さしみ・焼物・あぶり物・いり物・あえ物・しる物など,いろい

ろな料理をつくりました。

 『さしみ』は,料理法が発達してからできたもので,ワサビをそえるのは,風味を良くするためだけではなく,生魚の中毒をふせぐ目的もありました。

 『醤油』がこのころからひろまって,さしみにつけたりしました。煮物には,煮る途中で味をつけるようにし,よい味がしみこみました。

☆−民衆の食べ物−☆ 

 御飯が食べれなくて,アワ・ヒエを主食にしたり,雑炊を食べる農民が多かったのです。 

10.江戸時代の食べ物 

★−将軍の食べ物−★

 将軍の食事で,魚は一口食べると『おかわり』となり,それは三度しかできず,三度目には将軍も奥方も手をつけずに残すのがしきたりでした。

☆−民衆の食べ物−☆

 米を主食にして,それにおかずをそえる食事が普通になります。しかし,貧しい人たちは,アワ・ヒエなどを米のかわりに食べました。

 おかずには,しる物・焼物・煮物・あげ物・あえ物・漬物など,いろいろな料理の方法があります。

 『てんぷら』は,南蛮人の魚のフライをまねて始まったあげ物料理で,この時代にはすっかり日本化します。


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