〔19世紀フランス美術の光彩〕1994.8.13
19世紀フランスの絵画を通して、成立しつつある近代社会の諸側面に触れようという、ユニークな企画展。副題は「パリの人間模様」と題されている。
1) 優雅な女たち
このコーナーでは、肖像画が多く展示されている。19世紀のフランスでは、市民階層の間に、肖像画が大流行したそうである。その中から、様々な女性の像だけを展示してある。
当時一世を風靡した肖像画家たちの作品と自然主義派の巨匠クールベの作品とを較べると、肖像画家たちの社会的性格がくっきりと浮かびあがってくる。
クールベの「彫刻家マルチェッロ(カスティリオーネ公爵夫人)」という作品は、光と影を効果的に描きわけて、人物の内面にせまるような描き方をしている。それに対して、当時の肖像画家たちの描く女達は、美しくあくまでも美しく描かれ、それは表面的な美しさそのものである。この画家たちが、顧客の注文に応じるだけのものであることを如実に示している。
その中で一点だけ興味深い作品があった。ベルト・モリゾ作の「夏」。
1878年のものだが、花に囲まれた美しい少女を描いているのだが、対象の輪郭ははっきりとは描かれず、淡い色彩と荒い筆づかいにより、少女の一瞬のはかない美しさのようなものを、動きを伴って表現しているところが良い。
2) 幸福な家庭
このコーナーは、家族を描いた作品が並べられている。じっくりと見ていると、次のようなことがわかってくる。
「夫は外、妻は家」「独自の存在としての子供の発生」。これらの新しい考え方が生まれたのが19世紀ヨーロッパであるという。しかし、そうはいっても、それは貴族とブルジョア層の家族での話しであって、貧しい都市プロレタリアの家族は核家族化しつつあっても、上記の家族・子供観とは相対的に別であるということ。
「貧しい人々の祈り」と題する1893年作の絵がある。
身に飾りもつけず神の前にぬかづく母。やつれた横顔や首筋に、生活につかれた様子がみえる。傍らにたたずむ10才ぐらいの娘。粗末なみなりで、おそらく労働に従事しているのであろうか。母の白いやつれたうなじと、娘の大きく見開かれた目とがとても印象的な作品である。作者はジャン・ジョフロア。敬虔なキリスト教信仰を称賛するという政府の政策にそった役割を果たしているが、同時に、社会の陰の部分に画家の目が注がれ始めてもいる。
3) 人々の楽しみ
このコーナーでは、避暑・ピクニック・オペラ・バレエなどの楽しみが、市民層に様々な娯楽の機会として広がったさまを示す作品が展示されている。
この絵の中の市民層は、経済的な特権層としての顔が描かれている。この絵の中で印象的だったのは、ドガの踊り子の絵。特権層に楽しみを与える娯楽としてのバレエ。その華やかな舞台の背後にある、貧しく厳しい生活をおくる踊り子たちを描いたドガ。社会の裏側を美しく切なく描いたところに特徴がある。
4) 街の片隅
ここでは市民社会の陰の部分を描く画家たちが登場している。
19世紀後半の疲弊しつつある農村や、都市の貧しい人々、酔っぱらいや質屋、そして自殺者など。さらに働く肉運搬人など。社会の底辺で懸命に生きる人々へと画家の目は注がれている。
19世紀フランスは、自然主義派や印象派という芸術的な流れを生み出した。しかし、彼等の絵を、同時代の、もっと実利的というか社会により密接に関わった絵描き(この表現のほうがよい)たちの作品と並べてみると、両者が密接にからみあっていることが良くわかる。