〔クプカ展〕1994.8.5
クプカは、20世紀初頭に、抽象絵画を生み出したパイオニアの一人として、美術史上に残る画家だという。
この回顧展は、画家の初期から晩年にいたる作品を年代毎に並べることにより、画家の思想や生き方と絵画との関わりや、とりわけ彼が1910年代に抽象絵画を生み出す過程を明らかにしようとしたものである。
以前から、抽象絵画が生まれた理由について疑問を持っていたわけだが、このクプカの作品群を見て、一つ納得がいった。
クプカが抽象絵画を描くに至った理由には、二つの動機があったように思う。
その一つは、彼が事物の表面ではなく、その内面世界によって捉えられたものを描こうとした事にある。つまり、魂=霊の世界といえるだろう。
このことは、彼が若い時から降霊術で生計を立てており、現実の社会への鋭い批判的精神を持ち、その中で神智学にも関心を持っていたという、伝記上の事実によって証明される。そして、作品で見ても、このことは明らかである。
1919年に描かれた「彩られたもの」。
この作品は座った女性の体から発せられる、オーロラ状の色彩を描いている。これぞまさしく、神智学でいうオーラの輝き。オーラとは、その内面の世界、つまり魂から発せられる光であり、そこにこそ、生命の営みが見られるというものである。この作品はそのものズバリといえよう。
そして、女性とおぼしき人体は、すでに、幾何学文様の組み合わせと化しつつあるのである。
さらに1912年に描かれた「アモルファ(不定形)─2色のフーガ」と題された作品がある。
ふたつの同心円がかさなった絵で、その同心円は、その中心からいくつかの色彩のグラディエーションとして表現されている。
この作品は、1908年に描かれた「ボールを持つ少女」という作品を、さらに、ボールの円周運動と、少女の手の動きや少女自身の生命の動きとを画面に表現しようと苦闘しているうちに、ボールの円周運動でできた円と、少女の手の動きでできた円との交差という形になってしまい、それに、ボールと少女双方の魂の輝きが加わって、できあがった。この事が、多くのデッサンを展示することで示されていた。
抽象絵画をクプカが生み出した二つめの理由は、技法的には、印象派の点描法をつきつめて行った結果ではないだろうか。
1910年代の「垂直のシリーズ」。
様々な色彩のグラディエーションによる垂直の棒の組み合わせで、事物の形を現そうというのであるが、これこそ、点描の技法をつきつめた結果と思える。そしてさらに言えば、この二つは二つで一つといえよう。
印象派の「光の構成としての事物」という捉え方は、画家の主観=内面の表現を重視するという考えを反映しており、その意味で、クプカの「自己の内面世界によって捉えられたものの表現」という絵画の捉え方に、通じるものがあるからである。
1910年代にあらわれた、クプカの抽象絵画。
これは、クプカ自身の魂によって捉えられた、事物の奥底の世界の表現だったのである。そしてそれは、時には「音」の世界であり、代表作「ノクターン」のように、ピアノの鍵盤によって空間を埋める絵となっていく。また時には、「運動」として現れたり、「光」として現れたりし、目に見えない世界として、形は捨象されていったのである。
抽象絵画とは、画家の内面によって見た世界のことであり、それゆえ、形は定まらず、色彩と音の世界、要するに、感情の世界として表現されているのであろう。年来の疑問が解けた瞬間であった。