〔ピカソ─晩年の旋律─展〕  1993.7.25


  ピカソの1950年代から70年代の晩年の作品を集めた、展覧会。主に、リノリウムの板を彫りこんでつくった多色刷り版画の作品が展示されており、一つの作品が完成されていくまでの、色を重ねていく過程がわかるように展示されている所が、おもしろい展示であった。

 この展覧会のパンフレットには、色彩の鮮やかな作品ばかりが載せてあるが、会場で目についたのは、茶と黒の2色でなりたった作品の多さであった。

 会場の入口には、闘牛をえがいた作品が何点か展示してあった。

 これらの作品を見た時の第一印象は、「古代ギリシャの絵とそっくり」というものであった。茶と黒との2色で描かれた絵。そして対象が生き生きと描かれ、その動きが大胆に描写されている。これらは、古代ギリシャの壷に描かれたものと、きわめて似ているのである。

 この印象は、その後の人物画のコーナーに移っても同じであった。このコーナーになると、様々な色彩で描かれた作品も多くなるのであるが、なぜか「古代ギリシャ」のイメージが重なっていた。

 何度も作品を見直していて気がついた。このイメージは、人物の目の描かれ方にあるのだと。

 ピカソの人物の目は、つねに正面から見た形に描かれている。一つの顔が正面から見た形と側面から見た形の双方が合体したように描かれているのが、ピカソの技法(これが立体派といわれるゆえんだが)。だから、目は、常に正面から見た形に描かれている。これが古代ギリシャの絵と同じなのである。もっと正確に言えば、ギリシャというよりは、古代エーゲ文明の絵であり、古代エジプトやメソポタミアの絵と同じなのである。

 この茶と黒を基調とした絵。そして「アルカイックアイ」と呼ばれる目の描き方。従来は、ピカソがアフリカの芸術の影響を受けて描いたと言われていた。しかし、はたしてそうなのであろうか。ピカソは地中海沿岸のスペインの人。そして晩年は同じく地中海沿岸の南フランスで過ごした。この地中海沿岸地方こそ古代オリエントの文化圏であり、ピカソのこの描き方は、そこに由来しているのではなかろうか。

 これは勝手な推測で証拠はない。だが強いて言えば、この展覧会の作品の中に、バッカス祭と羊と羊飼いを題材にした作品がかなりあるということがある。バッカス祭とは、ギリシャの性の祭典である。ここにも、プリミティブなものに引かれていくピカソの姿が、垣間見えるのではないだろうか。

 目を常に正面から描く技法。そして茶と黒とを基調とした絵。この方法をいつ頃からビカソが使ったのかは分からない。

 それにしても、絵からだんだんと色彩が消えていくという傾向は面白いし、物の形を描くのに、より古代的なものに帰っていくというのも面白いものである。


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