〔ムンク版画展〕 1993.6.6
19世紀末から20世紀の、ノルウェーを代表する画家ムンク。その版画作品を140点あまり展示。中心は120点の木版画であるが、同じ版木をつかいながらも、色彩をかえたり、版木に手を加えた様々な作品が同時に見られることが、特色である。
何とも暗い作品である。木版画の太い、力強い線が強烈である。
女性を描いた作品が多い。そしてその女性の多くは後ろ姿である。正面を向いている時は、大きな黒い目が印象的。まるで顔面に大きな深い穴が開いているかのような、大きな黒い目。そこには瞳は描かれてはおらず、目と目のまわりの窪みが、巨大な暗い穴となっているのである。
解説によれば、ムンクにとっての女性とは、「男に破滅をもたらす魔性のもの」と「至福をもたらす聖母」という両極端な性格の間を揺れていたという。それは、幼くして、母と姉を失った体験。そして成長して後の数々の、結局は破局にいたった恋愛体験。このような体験そのものといえるのだそうである。そして、彼にとっての女性とは、結局のところは「常に傍らにおり、自分と一体のものとなることによって、自分の過去を清算し、自分を再生させてくれるもの」であったという。
ムンクの描く女性像の典型は以下のもの。
1)海を見て立ち尽くす、後ろ姿の少女。
2)月光を浴びて、森の中に立ちつくす、黒い大きな目をした女。
3)男と一体に溶け合って接吻する女。
4)男に抱かれて暗い森に消えていく裸の女。
全て美しくもあり、不可思議でエロチックな姿である。
こういったムンクの女性像の典型は、「マドンナ」と題する絵であろうか。
恍惚状態にあえぐ美しい裸体の女性。その美しい顔と豊かな胸と腹部。白い豊かな肉体が、漆黒の暗闇の中に、のたうつようにくねっている。この女性をとりまくようにうごめく男性の精子と、片隅の胎児。
ムンクにとっての女性とは、セックスそのものではなかったか。「自分と一体になる」「過去を清算し自分の再生する」。すべてそれは、追い詰められた、弱い男が、女性との性的な交わりの中に自分を埋没させて、全てを忘れようとする、姿そのものではないだろうか。女を抱くことによって全てを忘れようとする。そこには、破滅の姿しか見えない、前途には漆黒の暗闇だけである。
あまりに暗く、陰鬱な絵の数々。その最後の方に、それまでとは違った絵を見た。晩年の1930年に描かれた女性像。ムンク67才の作品である。
ここに描かれた女性は、正面を向いて座っており、これまでのものと違い、美しい大きな澄んだ目で、こちらを見つめている。その表情には、微笑みすら浮かんでいる。
ムンクは、その生涯の終わりに近づくにつれ、その生涯をつきまとった不安から脱却したのだろうか。この絵の女性は、多くの絵に描かれる聖母そのものである。
ムンクが木版画をはじめたきったけは、日本の浮世絵を見てからであるという。ここにも、19世紀末の先行きを見失った混迷状態にあるヨーロッパが、東洋に出口を求めたのと同じ傾向が見られる。
そしてムンクの版画は、戦争と動乱の20世紀にあって、その動乱の目であったドイツで、時代の不安を先取りしたブリュッケ派の画家たちに影響を及ぼしたという。
そういえば、ブリュッケ派の版画作品には浮世絵的に表現が見られ、不思議に思ったものである。