〔火と炎の絵画展〕 1992.9.15
鎌倉時代の仏教絵画に描かれた火から、現代にいたるまでの、直接火を描いた作品を約100点集めた、ユニークな企画展。
いくつか、興味深い所があった。
その一つは、仏教絵画にみる、火の表現のされかたの変遷である。
同じ不動明王の絵を見ていくとよく分かるが、平安末期から鎌倉時代の絵では、火の勢いが強く、火が、まるで生きているかのように表現されていて、仏法にあだなすものを焼きつくす神の火という表現である。南北朝時代には、この傾向が継続するが、次の室町時代になると、火の表現は一変する。火勢が衰え、火の表現が形式化していくのである。江戸時代になると、その傾向はさらに徹底し、不動明王自身、憤怒の形相ではなくなり、形式化した表現となってしまう。
南北朝期が、日本の歴史の中の分水嶺だとよく言われる。この時代に、神秘なるものの価値観が一変し、神そのものが、より合理的に捉えられるようになったといわれる。この事が、火の表現にもあらわれていて、おもしろかった。
もう一つ興味深いのは、同じ火の表現だが、江戸時代に書かれた石山寺縁起絵巻の火災の場面は、恐ろしい程のいきいきとした表現である。
でも解説をよく読むと、これは、鎌倉時代の平治物語絵巻の火災の場面を手本として描いたといい、明治になって模写された「伴大納言絵巻」でも、応天門炎上の場面は、平安時代末期に原本が書かれているので、火はいきいきとしており、神秘的ですらあるのは、興味深いことだ。
同様に、川端龍子の「金閣寺炎上」の炎も、神々しいばかりに生き生きとしている。
火を聖なるもの、人の力を超えたものとして捉えると、火が生きていることに驚かされる。