〔フランス19世紀のエッチング ─腐食銅版画家協会─ 〕 1992.8.26


 写真や印刷術の発展によって、挿絵やイメージ伝達の手段としてつかわれてきた銅版画が衰退に向かう19世紀。この銅版画を芸術的表現の手段として生まれ変わらせようとした試みが、ヨーロッパであった。

 その一つの動きが1862年にパリで結成された「腐食銅版画家協会」であり、その5年間に発行された300点あまりの作品から選ばれたのが、今回の展示である。

 風景画が多い。

 まるで写真でもあるかのように、細い線で、風景を精密に描写できる銅版画。その特徴が良く出ている。当時のパリの街路の描写やパリ・コミューンの場面描写の作品は、歴史資料としてもかなり水準の高いものであろう。

 しかし、もっとも重要なのは、このエッチングを芸術的表現の手段として高めた、印刷技法であるという。

 天才といわれた刷り師、ドラトール。この人が編み出した方法とは、インクを版に塗り込んだあとで、布で拭き取る時、インクの油膜を残す方法にあるという。この油膜の残しかたによって、線で表現された暗部に深みがまし、絵がより立体的になる。また、インクを拭き取ったあとで、線の周りに溝の中に埋まったインクを押し出してぼかす方法も、エッチングの固い線の表現を軟らかくする上で効果のある技法であるという。

 この事を示す作例が多く展示されていた。

 しかし、驚いたのは、この二つの技法を大胆に使ったのは、17世紀初頭のオランダの画家レンブラントであるということ。そして、ドラトールは、レンブラントの作品を見て、この『芸術的』技法の効果に気がつき、この技法を復活させたのだという。

 もう一つは、エッチングの発展の中で、エッチングの特徴である細密描写をやめ、少ない線でもって事物を描写し、あとは油膜による陰影で、事物の光と陰をとらえようとする傾向が生まれていったことである。19世紀末のフランス印象派の技法に通ずる傾向が、この版画という単彩色の絵画を通じて生まれたことが面白いと思う。


美術批評topへ HPTOPへ