〔ゴヤ・4大連作版画展〕 1992.7.1
スペインの画家ゴヤは、版画の分野においても、18世紀の作家とは思えない優れた作品を残している。その代表作が、「気まぐれ」「戦争の惨禍」「闘牛技」「妄」という題の4つの版画シリーズといわれている。この版画シリーズを全て、初版で展示したのが、この作品展である。
版画は、版を重ねるごとに、少しずつ版が摩耗してきて、その微妙な表現が分からなくなるものという。今回の版画展は、全て初版によるので、ゴヤという画家の版画表現技法がよく分かるものとなっている。
技法的にいうと、エッチングに、アクアテイントという技法を使った、ハーフトーンのすばらしさといえようか。白黒の2色だけの版画なのだが、濃淡に様々な諧調があって、事物がきわめてリアルに描かれている点に特徴がある。
しかし、それ以上に感心するのは、ゴヤという画家の観察力の鋭さと、デッサンのたしかさである。人物が極めていきいきと描かれている。特にこの点が素晴らしいのは、「闘牛技」の作品群である。牛と闘牛士の対決の緊迫した場面が、その空気とともに、いきいきと描かれている。画面に動きがあるのである。
そして、もう一つ、人間の行動に対する客観的な観察力と、人間に対する愛情のあふれた作品が、「戦争の惨禍」である。
この作品はナポレオンによるスペイン侵略にたいする闘いを描いたものだが、スペイン人民の英雄的な闘いを描いたのではなく、戦争というものの悲惨さ、そしてそれを行ってしまう人間の愚かさ、さらに10年間にわたる闘いの末に見た「祖国の解放」の醜さ。こういったことを描いた作品である。宮廷画家であったゴヤが、この戦争をとおして、人間をこのような狂気の沙汰に走らせてしまう体制の醜さに気付き、より深いところからの人間にたいする愛情とその解放をねがう、自由主義的な画家へと変貌をとげていった作品といえる。
そして、戦争という悲惨なものを描きながらも、その作品は極めて美しい。
とくに、1811年のマドリードの飢饉を描いた作品群は、祈りにも似た心情のあふれる、美しい作品である。その中でも、第50番の作品、「可哀そうなお母さん」は、息絶えて運ばれる若い母親の後ろから、泣きながらその後を追う幼い女の子を描いている。暗い画面の中に、美しい母親の死顔と、母親を運ぶ男たちの悲しそうな顔、そしてその群像の後ろ、少し離れたところを歩いている幼い子の姿。この主題だけが浮き出された画面である。
画家の心情を際立たせるために考えぬかれた作品であると共に、画家のまなざしの優しさが感じられる作品でもある。