〔生きた。描いた。愛した。ー三岸好太郎美術館所蔵品展〕96.3.24


 1934年。わずか31歳で死んだ画家、三岸好太郎の作品を集めた美術館。とてもおもしろい作品群であり、この人の生きた時代を象徴している。

 彼の絵は年毎に様々に画風が変化している。初期の1920年代前半は、岸田劉生の影響を受けた、特異な人物画を描いたかと思うと、ごくオーソドックスな風景画や静物画に変化する。

 そして20年代末から30年代初頭になると、彼の画風は、ヨーロッパのフォービズム風のものに一変する。この頃の道化の作品はとても幻想的な色彩の表現でありながら、力強い黒い太線で事物を描写し、力強さと弱々しさが同居した不思議な絵である。

 さらに1933年にはまた絵が一変し、絵は幾何学的な文様の並ぶ、抽象的なものにかわる。1933年の「オーケストラ」という作品は、厚塗りの白絵具で塗られた画布に、尖ったものでひっかいて演奏する楽団員の姿を描いたもの。実際の事物を描くというより、彼の心象風景を描いていると言えよう。

 もっとも興味深いのは最晩年の1934年に描かれた作品、「蝶と貝殻」である。

 黒ペンで輪郭を素描した上に、淡く水彩絵具で色つけをした作品。興味深いのは、その絵のモチーフである。自然の中に捨てられたかのような貝殻の絵。そして優雅に飛び回る蝶。一見して正反対のような題材だが、どこかそれは共通したものがある。

 戦争へと直走りつつ、あらゆる個的なものを押しつぶす時代の中にあって、この人は何を感じていたのだろうか。自然の中にうちすてられた貝殻に、自分自身を重ねていたのかもしれない。もはや何もしたいことを出来ない自分。自然の中に溶け込み、自然と一体化するしかない貝殻に、自分をなぞらえており、その事に、密かな満足すら感じていたのではないか。この画集につけられた「蝶と貝殻」という自作の詩には、世間を見る皮肉な目とともに、密かな満足感すら感じられる。

 しかし、諦めの世界に入るには彼はまだ若すぎたようである。「飛ぶ蝶」という作品。すべて標本箱の中にピン止めされた死んだ蝶の絵である。しかし、その中の一匹はピンから離れ、飛び上がろうとしている。病により死期迫った自分にも、もう一度自由にやりたいことをやってみたいという情熱が宿っていることを象徴しているのだろうか。

 作品が少なく、しかも最後の作品は画集として製本されているために、展示用に複製されたものであるため、本物を見られない残念さもある。

 しかし、時代の流れに逆らおうとする人の精神の自由さ強さをも感じさせる作品ばかりであった(時間的に余裕がなく、駆け足で回ったのも残念である)。


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