〔扇と団扇絵展〕95.8.10
江戸時代の代表的な日本画家や浮世絵師の描いた、扇や団扇絵の展示である。
作品全体を見ていて思ったことは、作品の出来栄えそのものよりも、絵の書かれたのが日用品であり、消耗品である扇や団扇であったという所である。
画布に描かれた絵は、それなりの場所に展示され、長く後世に伝承されて、多くの人に見られる。しかし、扇や団扇は日常で使われ、その中で破れ、やがては捨てられる運命にある。そんな消耗品に、当時を代表する狩野派・土佐派・丸山派の画家たちや、浮世絵師たちが、腕の限りをつくして作品を描いた。そしてこれほどの芸術作品を日常の中で愛した人々がいたという事実。このことにまず驚きを禁じえない。
ヨーロッパの絵画の伝統にはこのような例があったであろうか。ガラス工芸などにはこの傾向があるが、絵画では聞かない。
この点において江戸時代の日本文化は、世界的にも高い水準にあるのではないか。芸術作品が日常の中に生きている。きっとそれは画家たちの社会的地位の差かもしれない。中世以後のヨーロッパの宗教絵画が、消耗品である壁画や壁絵として描かれており、この時代の画家は、教会付属の職人として扱われていた。同様に江戸時代の画家たちは、大名や公卿・寺社に付属する職人であり、浮世絵師は商人階層に奉仕する職人であった。彼らは、ヨーロッパ近代のような自立した芸術家ではなかったのである。
しかし、この江戸絵画が近代ヨーロッパに与えた衝撃は大きい。その一つにここでみられるような日常の生活の中に息づく芸術という状況であろう。大量消費時代の大衆芸術のの花開く切っ掛けがここにある。
扇絵。とりわけ浮世絵の描かれた団扇を見ていて、こんな感想が浮かんだ。