(6)なぜ世界史的視点が欠落したのか

 最後に、この教科書の記述の最大の欠落点、世界史的視点の欠如について述べておこう。

 「つくる会」教科書の記述は、きわめて日本一国主義であり、せいぜい日本の出来事関係する範囲内でほんのわずか世界史に触れると言う程度である。それゆえ、ヨーロッパについての記述は、日本が始めてヨーロッパとであった近世の所で始めてなされるという、唐突な記述になっている。しかしこの世界史の記述の不充分さは、何もヨーロッパに限ったことではない。「大航海時代」と対になって語られた「イスラム勢力」についての記述も、実は近世に入ったこの個所が始めてなのだ。そしてこの世界史的視点の欠如は、日本がその一部をなしている東アジア世界についても同様である。

 この様は、「つくる会」教科書の目次を通読するだけで良く分かる。比較のために、著者が授業でつかってきた清水書院の教科書の目次を並列してしめそう。

「つくる会」教科書 清水書院の教科書
第1章 原始と古代の日本
 1.日本のあけぼの
   @人類の出現と大陸の古代文明
   A縄文文化
   B中国の古代文明
   C稲作の広まりと弥生文化
   【コラム・日本語の起源と神話の発生】
 2.古代国家の形成
   D東アジアの中の日本
   E古墳の広まりと大和朝廷
   【コラム・神武天皇の東征伝承】
   F大和朝廷の外交政策
   【コラム・出土品から歴史を探る】
   【コラム・日本武尊と弟橘媛】
第1章 文明のおこりと日本の原始社会
 第1節 文明のおこり
  ・人類の出現
  ・1万年前ぐらい前からの生活

  ・【深める歴史@縄文時代を科学する】
  ・文明のおこり
  ・ヨーロッパ文化のみなもと
  ・インド中国の文明

 第2節 日本の古代社会と東アジア
  ・秦漢の成立と朝鮮
  ・【世界をみる@2世紀の世界】

  ・稲作のはじまりとちいさな国の成立
  ・古墳文化と大和王権
  ・東アジアと大和王権
 3.律令国家の成立
   G聖徳太子の新政
   H大化の改新
    ・進んだ中国の政治制度
    ・日本につながるシルクロード

   I日本という国号の誕生
    ・白村江の敗戦
   J律令国家の出発
   K日本語の確立
   L日本の神話
   M飛鳥・天平の文化
 4.律令国家の展開
   N平安京と摂関政治
   O院政と武士の台頭
    ・唐の滅亡
   P平安の文化
   【コラム・最澄と空海】
第2章 日本の古代国家と東アジア世界のうごき
 第1節 律令国家の成立
  ・中国の統一国家と朝鮮
  ・【世界をみるA8世紀の世界】

  ・聖徳太子と飛鳥文化
  ・律令国家の成立
  ・奈良の都と東大寺
  ・奈良時代の農民の生活
  ・【深める歴史A木簡を読む】
  ・遣唐使と天平文化
 第2節 貴族政治と文化の国風化
  ・平安京へ都を移す
  ・摂関政治と武士のおこり
  ・東アジア世界の変化と国風文化
  ・【深める歴史B絵巻を読む】
  ・院政と平氏の政権
第2章 中世の日本
 1.武家政治の始まり
   Q鎌倉幕府
   R元寇とモンゴル帝国
   S鎌倉の文化
 2.武士の政治の動き
   21南北朝の騒乱と室町幕府
    ・日明貿易
   22都市と農村の変化
   23室町の文化
   24応仁の乱と東アジア
    ・東アジアとのつながり
    ・琉球王国

   【コラム・源頼朝と足利義満】
第3章 中世社会の成立とアジアのうごき
 第1節 鎌倉幕府と元寇
  ・源平の戦いと鎌倉幕府の成立
  ・【深める歴史C古代・中世の東北・北海道地方】
  ・幕府政治の進展
  ・武士と農民の生活
  ・新しい仏教と鎌倉文化
  ・アジアのうごきと元の襲来
  ・【世界をみるB13世紀の世界】
  ・鎌倉幕府の滅亡
 第2節 室町時代の政治と民衆
  ・建武の新政と室町幕府
  ・日明貿易と朝鮮琉球
  ・【深める歴史D明・朝鮮・琉球と日本】
  ・産業の発達と都市
  ・惣村の成立と土一揆
  ・応仁の乱と社会の変動
  ・戦国時代
  ・室町時代の文化

それはヨーロッパは世界の文明の中枢ではなく、18世紀になって産業革命と市民革命の成果によって高度に発達した産業文明としての資本主義文明を発展させ世界の植民地に乗り出すまでは、文明の中枢の西の果てに存在する辺境地域に過ぎなかったという認識の欠如である。この歴史認識が欠如しているがゆえに、「イスラム教徒の力への恐怖」が「大航海時代」の背景だなどという、ヨーロッパ人を馬鹿にしたような記述をしてしまったのである。

 世界の文明の中枢がどこであるかは、文明の発生の所から考えてみればすぐにわかることである。そして世界は、その中枢地帯に発展した幾つかの文明相互の交流(交易や戦争や外交などによる)の中で発展し変化してきたことは、シルクロードを通じた東西文明の交流の歴史を辿ってみれば明かになることである。文明の中枢はエジプト・パレスチナ・メソポタミア・ペルシアという諸文明が発生した「オリエント」の世界と、その東方に位置するパンジャブやガンジスの諸文明を発生させた「インド」の世界、そしてその東方の黄河・長江流域に文明を発生させた「中国」世界からなっていた。まさにシルクロードとは、これらの文明の中枢の地帯の交流の道筋であり、文明の発生以前からの世界各地の交流の道筋であったのだ。この道筋にそって発展した諸文明は、文明の発生の当初から深い交流を持ち、相互に影響しあって変化・発展していたのだ。

 この中枢地域の周囲に、これと深く結びついた辺境地帯が多数存在した。ヨーロッパはオリエント世界の西の外延に発展した地中海世界のそのまた西の辺境地帯であり、長い間オリエントと地中海世界の文明の影響を受けながら発展してきた地域であった。翻って世界の中枢から東を見ると、日本もまた文明の中枢地帯の東の果て、中華世界の東に発展していたオホーツク・日本・東シナ・南シナの各内海を繋ぐ東アジア世界の中にある島国である。ここもまた中枢たる中国の文明の影響を受け続けて変化・発展してきたことは、これまでの歴史を通観してみればわかることでもある。

 しかし、「つくる会」教科書は、このような視点では書かれていない。これまでの古代・中世の記述を見てみれば明かなように、その記述は日本一国中心主義であり、中国や朝鮮からの日本への影響を極力排除し、かつ朝鮮を馬鹿にした記述を各所にさしはさみ、今また近世の冒頭において、ヨーロッパを馬鹿にした記述をなしている。そしてこの教科書でヨーロッパのことが記述されるのは、この近世初頭における「大航海時代」が最初なのである。補遺の項で詳しく述べるが、この教科書の記述は日本中心であり、東アジア世界のことはほんのわずかにしか記述されず、ましてやその西に広がる文明の中枢地帯、インド・オリエントのことも古代冒頭の文明の発生の個所でわずかにふれられただけである。

 近世は日本が始めて世界的な激動の波に飲みこまれた時代である。これまで日本は東アジア世界の波にもまれて来たが、東アジアの波それ自身が世界的な変動の一つの動きに過ぎなかったとはいえ、遠くユーラシア大陸の西の果てに始まった変動の波を直接受けたのは、今回が始めてである。この意味で近世日本の最初に西ヨーロッパから始まる変動の波を記述する事は正しいし、不可欠なことである。しかしその記述は上に述べてきたように、多くの誤解と独断に満ちており、さらに世界史的な動き全体に目を配ったものではなかった。だからこそ、次の項で詳しく述べるが、「大航海時代」が西欧以外の世界にどのような変動をもたらしたものであったのかも、さらには西欧自身にとってもどのような変動をもたらしたのかさえも全く記述されないと言う結果をもたらしている。そしてこの姿勢は、今後の項で明らかにして行くが、徳川幕藩体制成立の世界史的意味すらきちんと把握されないという結果をもたらし、結果としても、近世日本を日本一国史的にしか把握できなくなっているのである。 

 近世日本の歴史把握において、「つくる会」教科書は、その世界史的視点の欠如という根本的欠陥をさらしていくのだが、その冒頭の記述である「大航海時代の背景」においても、その欠陥とそれをもたらした日本一国主義的歴史観・日本至上主義的歴史観の結果としてもたらされた事実誤認と独断の誤りをしめしていたのである。